出日拝む者はあっても入り日拝む者なし
三鹿ショート
出日拝む者はあっても入り日拝む者なし
何事にも終わりは訪れるという当然のことを、何故忘れていたのだろうか。
自宅から次々と運び出されていく家財を眺めながら、私はそのようなことを思った。
***
現在の私の年収は、かつて一日で使っていた金銭よりも少なかった。
爪に火をともすような日々には慣れたものの、当初は自らの意志でこの世から去った方が良いのではないかと考えるほどに、己の惨めさに泣いていた。
それでも私が生き続けている理由は、彼女が存在していたからである。
大尽だった頃の私に対して媚び諂っていた人々は、私が全てを失った途端、手の平を返していたのだが、彼女だけは異なっていた。
彼女は単なる知り合いであり、裕福というわけではなかったのだが、私の当座の生活費のために、自身の貯金を切り崩し、時には私物を売ったことで得た金銭を私に渡してくれたのである。
それだけではなく、私が住む場所や仕事までも探してくれたために、彼女に対して私がどれほどの感謝の言葉を吐いたのかは、分からなかった。
やがて、生活が落ち着いてくると、私はふと抱いていた疑問を彼女に投げかけた。
「きみは、何故そこまで私に対して親切にしてくれるのか」
彼女とは、特別な関係ではなかった。
私の金銭を目当てに近付いてくる異性は多く、そして、私はその異性たちと関係を持っていたのだが、彼女が私に求めたものはなかった。
ゆえに、気になっていた存在ではあったが、それは恋愛的な意味ではなく、その人間性だった。
私の問いに、彼女は口元を緩めながら、
「困っている人間に対して手を差し伸べることは、当然のことでしょう」
其処で、私は初めての感情を抱いた。
身体を重ねた後に金銭を渡して終了というような一時的なものではなく、老いるまで並んで歩き続けたいというものだった。
つまり、私は彼女に対して、特別な感情を抱いたのである。
零落れた己に優しくしてくれたというだけで恋愛感情を抱くなど、我ながら単純であるとは思うが、彼女の人間性が素晴らしいということに変わりはない。
勤務を開始した会社でそれなりの地位を得、生活に余裕というものが生まれ始めた頃、私は彼女に想いを伝えた。
彼女は驚いたような表情を見せることなく、その言葉を待っていたといわんばかりに、笑みを浮かべながら頷いた。
***
全てを失う前と同等というほどではないが、私は多くの他者よりも金銭を得ることができるようになっていた。
そのような地位に至ったためか、私を見放していた人間たちが再び近付いてきたのだが、私はそのような相手を全て拒絶しては、彼女のように裕福ではないが人間的には善良なる人々と交流するようにした。
彼らは私とどのようなことを話せば良いのかということを悩んでいた様子だったが、私が世間を騒がせている事件や家族についてなどといった卑近な話題を口にすると、親近感を抱いたのか、困惑する様子を見せることはなくなった。
考えてみれば、この世界は彼らのような人間たちによって支えられているのである。
金銭に物を言わせたところで、得られるのは一時的な優越感であり、やがて全てを失うことになると思えば、金銭を抜きにした人間関係を築いていた方が良いだろう。
それを教えてくれた彼女には、どれほど感謝をしたとしても、足りないほどである。
会話をしていた人々に別れを告げ、子どもと手を繋ぎながら笑顔で此方を見ていた彼女のところへと、私は向かった。
***
「そろそろ、帰宅しなくては」
「もう少し、良いだろう。帰宅が遅れたとしても、久方ぶりの友人との会話が盛り上がってしまったと言い訳をすれば良い」
「確かに、彼は私がどのような言い訳をしたところで信ずるでしょうが、あなたとの時間を大事にしているように、私は、家族との時間も大事にしているのです」
「彼を裏切っていながら、よくもそのようなことを言うものだ」
「私には、良き妻であり母親としての時間と、一人の女性としての時間が存在しているのです。どちらが欠ければ、私は私ではなくなってしまうのです」
「きみが女性として生きるために必要な道具として選ばれたことは光栄だが、何故彼を選んだのか。彼は零落れて、目も当てられなかったではないか」
「他の人間が次々と見放す中で、変わることなく支え続けていけば、彼は当然ながら感謝をすることでしょう。そして、その恩義から、私を裏切るような行為に及ぶこともなくなります。だからこそ、良き夫であり父親としては、彼が最も相応しいと考えたのです」
「彼がそのことを知ったとき、どのような感情を抱くのだろうか」
「知ることはありません。彼と共に過ごしている私は、此処に存在している私とは異なる人間ですから」
出日拝む者はあっても入り日拝む者なし 三鹿ショート @mijikashort
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