ニーナは、ゆめのなか。

 トルールをだきかかえて森を歩くニーナに、聞き覚えのある声がよびかけます。

「ニーナ! ……ニーナ! ……ぼくだよ、ノーマンだよ! ほら、ぼくにサンドイッチをくれただろう?」

 ニーナの半分ほどの背丈で、まるでミノムシみたいに、大きな葉っぱで全身をおおった不思議な男の子、ノーマンです。

 ニーナは自分の部屋のベッドのなかで、目を覚まして、そしてとてもおどろきました。なぜなら、気がついたニーナの目の前に、なんと森で出会ったノーマンが、ニーナの顔をのぞきこんでいたからです。

「ノーマン!? どうやって来たの? それに、なぜニーナの家がわかったの?」

 ノーマンの真夜中の訪問に、すっかり目が覚めたニーナは、トルールをむねの前でぎゅうっとだきしめました。

「きみが持っていたんだね、ぼくの帰り道を……」

 ノーマンはそう言って、ニーナのオレンジ色のナップサックを指さしました。ニーナがナップサックへ目をやると、なんとニーナのナップサックが暗い部屋のなかで、青白くぼんやりと光っています。

 ニーナはあわてて飛び起きて、ナップサックのなかをのぞきます。すると、森の中で拾った小さなとびらが、部屋にさしこむ月明かりに反応するようにして、ほんのりと光っているのです。

「これはノーマンのものだったのね。ごめんね、すごくすてきだったから、持って帰ってきちゃった」

 とびらの置物をノーマンに手わたしながら、ニーナは、親ジカの角に引っかかっていた、このとびらの置物を持って帰ってきてしまったことをあやまりました。

「これでようやく家に帰ることができるよ」

 ニーナからとびらを受けとったノーマンが、うれしそうに笑います。

 それからノーマンは、ひらめいたように、ニーナに向かって言いました。

「そうだ! ニーナとトルールをぼくの住む世界に案内してあげるよ! どうだい? 一緒に来ないかい?」

 とつぜんのノーマンのさそいに、ニーナの顔がいっしゅんぱあっとかがやきました。

 だけど、大喜びの反面、パパやママに知られたらきっと大変なことになります。パパとママが朝起きて、ニーナがいなくなっていることに気づいたら、大さわぎになるでしょう。

「ニーナもとっても行きたいけど、もうこんな時間だし、パパとママが心配するわ。明日じゃだめなの?」

 ベッドにこしかけたまま、トルールをひざの上で、もどかしそうにいじっているニーナ。

 そんなニーナにむかって、ノーマンが自信満々にこう言いました。

「それなら心配ないさ。朝までに帰ってくればいいんだから。ぼくたちが住む世界は、きみたちが住む世界とは、時間の流れ方がちがうからね。今から出かけても、たっぷり遊んで帰ってこられるよ!」

 ノーマンの言った言葉の意味は、ニーナにはよく理解できませんでした。だけれど、朝までに帰ってこられるなら、心配はいりません。

「わかったわ! 待ってて!」

 そう思ったニーナは喜び、さっそくパジャマをぬいで着がえると、ママにあんでもらった、お気に入りの青のカーディガンをはおりました。

 トルールをわきにかかえて、ノーマンとともに部屋を出るニーナ。パパとママに見つからないように、そっと息をひそめて、静かにろうかを歩きます。

 いつもなら、ろうかのいたんだ木の床が、ギイギイと音を立てるのに、不思議と今日は物音ひとつしません。それどころか、だんろのある部屋にかけられた、大きなふり子時計の音もしないし、風が当たってガタガタとゆれる、まどガラスの音もしません。

 まるで、ニーナ以外の時間がすべて止まってしまったかのようです。


 こうしてニーナたちは、だれにも見つかることなく、ノーマンと家を飛び出しました。そして森へとかけていきます。

 そこは真っ暗な森。いつも遊んでいるはずの森なのに、今はまったく別に感じられました。

 月明かりを浴びて、深緑の森の木々と、真っ黒な土の上を歩くニーナとノーマン。不気味な鳥の鳴き声と、はだをさす空気の冷たさに、目を細めながら必死にノーマンの後を追いかけます。

 小わきにかかえたトルールをギュッとだきしめて、暗い森の中を歩くニーナ。

「さあ、もうすぐだよ」

 そう言って、ようやくふり返ったノーマンが、うれしそうにニーナに声をかけました。ニーナはほっとして、こわばっていた表情が自然とゆるんでいきました。

 そこは、ニーナたちが昼間サンドイッチを食べたみずうみのほとりでした。ニーナが昼間にこしかけた、スツールボックスほどの大きさのまるい石が目の前に転がっています。やはりみずうみに、舟は見当たりません。

「どうやって向こう岸まで行くの?」

 ニーナがノーマンにたずねると、ノーマンはとびらの置物を、スツールボックスほどの大きさの、石の少し手前に置きました。

「見てて」

 得意気に、ニーナにそう言ったノーマン。置かれたとびらの置物に月明かりが当たり、みるみるかげがのびていきます。そのかげが石にたどり着いたとき、青白くボヤっと光るとびらのかげ絵が、石の表面に映し出されていました。

「すごい……」

 ニーナは思わず声をもらして、体を乗り出しました。

「さあ、行こう!」

 そう言ったノーマンが、石に映るかげ絵のとびらにふれると、なんと不思議なことに、かげ絵のとびらが開かれていきます。

 そしてノーマンは、ためらうことなく、とびらの中へと進んでいくのです。

「さあ! ニーナもおいでよ」

 石の表面に映し出されたとびらは、ニーナの体の半分くらいの大きさ。ニーナは声もなく、おそるおそる身をちぢめると、開かれたとびらの中へと入っていきました。

 石の中は、青白くぼんやりと光るどうくつのようです。そこは、石の大きさからは、そうぞうもできないほどに広く、おくのほうまで広がっていました。

 そのながめに言葉を失い、ニーナは天井を見つめました。

「苦しい! そんなにきつくだきしめたら、息もできないよ!」

 とつぜん、ニーナのむなもとから声がしたかと思うと、なにかがバタバタとあばれだしました。

 なんと、うさぎのぬいぐるみのトルールです!

「トルール!」

 おどろいたニーナが思わずトルールをはなすと、トルールは自分の足で地面にぴょんと着地しました。ニーナは目を丸くしておどろいています。

「やっときみと、こうしてお話しすることができたね」

 トルールが白衣の汚れをポンポンとはたきながら、ニーナに話しかけました。

 まさか、トルールが自分の足で立って、しかも自分に話しかけているなんて。

 ニーナはさらにわけがわからなくなり、こんらんしてしまいました。

「ニーナ。おどろいているの? でもちっとも不思議なことなんかじゃないさ。だって、ニーナはトルールのことを本当の友だちみたいに大切にしていただろ? そんなトルールに命が宿るのは、ちっとも不思議なことじゃない」

 おどろき、とまどうニーナに、ノーマンが声をかけます。

「そうなの?」

 ノーマンの言葉を聞いたニーナは、今度はトルールにたずねます。

「そうとも!」

 トルールは、今まで自分を大切にしてくれたニーナと会話することができるのが本当にうれしそうです。

 とにかく、ノーマンと出会ってから、ニーナのまわりで起こる出来事は不思議でいっぱい。うまく気持ちを説明できないけれど、ニーナは大好きなトルールとお話しもできて、そしてこれから連れていってもらう、ノーマンの住む世界に、まるで心臓がむねの中でスキップするように、ワクワクとした気分でした。


 ひっそりと、静かに青白く光るどうくつのなか、三人の足音だけがひびきます。

 どのくらい歩いたのでしょうか。ニーナたちがどうくつの中を歩き続けると、やがてぼんやりと、出口を月明かりが照らしだしました。

 どうくつを出ると、そこは大きなみずうみ。ニーナがふり返ると、辺りは大きく切り立った山々がみずうみを囲んでいます。そこは明らかに、ニーナがふだん遊んでいる森とは、まったくちがう場所でした。

「みずうみは、ニーナたちが見たみずうみにそっくりだけど、辺りの景色は全然ちがうわ」

 ニーナがまるでため息でもつくようにつぶやくと、トルールがおおげさに腕を組んで言います。

「きっと、あのとびらのかげ絵が、この世界の入口だったんじゃないかな?」

 それを聞いたノーマンが、ニッコリ笑ってうなずきます。

「さすが、ドクター・トルール。きみは物知りなんだね」

 トルールは照れくさそうに、耳をポリポリとかきました。でも見たところ、やっぱりみずうみには舟の一隻だって見当たりません。みずうみの表面に映る月が、ゆらゆらゆれながら、みずうみの真ん中に一本の光の道を映しだしているだけ。

「どうやって、向こう岸に行くの?」

 ニーナがノーマンにたずねます。するとノーマンは「ぼくについておいで!」と、まっすぐみずうみに向かって歩きだしました。ニーナとトルールはお互い顔を見合わせると、ノーマンを追いかけました。

「みずうみに照らしだされる《月明かりの道》はね、ぼくたちだけの帰り道なのさ」

 そう言い終わるとノーマンは、水面に映る月明かりの道の上を歩き出しました。

「見た!? トルール? ノーマンったら、みずうみの上を歩いてるわ!」

 ニーナがこうふんして、ノーマンを指さして言いました。

「うん! うん! みずうみの上を歩いてるね! 不思議だなあ」

 トルールもニーナと同じくらいこうふんしています。

 みずうみの上を歩くノーマンがふり返り、手招きしながらふたりをよびました。

「さあ! きみたちも早くおいで。みずうみをこえたら、そこがぼくの住む世界だよ!」

 ふたりは思いっきり、みずうみまでかけていきました。

 だけどふと、みずうみの手前でニーナの足が止まります。

「でも、大丈夫かしら?」

 少しだけとまどうニーナに、トルールが力強い声で言いました。

「大丈夫だよ、ニーナ! ぼくがついてる」

 トルールが、真っ白でフワフワの手をニーナにさし出します。

 ニーナはトルールの手をつかみます。

 ニーナは思いました。不安なとき、いつもこうしてトルールにふれているだけで、ニーナは安心することができたのです。

 それはきっと、トルールが自分に勇気をくれるからだと、ニーナは思いました。

「さあ! 行こう」

 トルールが、ニーナの手を引っぱって、月明かりの道を歩きはじめます。

 ゆらゆらとゆれる月明かりの道は、まるで大きなフルーツゼリーの上を歩いているかのように、プルプルとした歩き心地。

 はじめてふみしめる地面のかんしょくに、なんだか足の裏がくすぐったくて、ふたりともさっきまでの心配などすっかり忘れてしまっていました。自然と笑顔があふれ出します。

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