月の帰り道

虹乃ノラン

 スウェーデンの南、スコーネ地方は緑ゆたかで、おだやかな時間と風、雲と水の流れる、とても美しい場所です。

 ニーナはスコーネ地方にある、小さな町にくらす、小さな女の子。甘栗のような赤茶色の髪に、大きな水玉のヘアターバン。白いはだに青色の目の女の子。

 かのじょのお気に入りは、白衣を着た赤い目のうさぎのぬいぐるみ、『ドクター・トルール』――ニーナの大親友です。それからもうひとつ。ママが手あみであんでくれた、ニーナの目の色と同じ、青色の毛糸のカーディガン。

 ニーナは今日も朝ごはんを食べると、トルールと一緒に森へと遊びにいきます。

「サンドイッチはふたつでいい?」

 ママが、やさしく話しかけます。

「うん! ニーナとトルールの分!」

 ランチボックスにサンドイッチをつめてもらい、井戸からくんだ冷たい水を水筒へいれます。それを太陽のような明るいオレンジのナップサックにつめて、左わきにトルールをかかえたニーナは、元気よく家を飛び出していきました。

「今日はなにして遊ぼうか?」

 トルールをふり回しながら、ニーナは森へとかけていきます。

 ニーナは毎日森の中で遊びます。木の実を集めてアクセサリーを作ったり、森を歩き回って地図を作ったり、ときには高い木に登り、森をぐるっとながめたり。

 森についたニーナは、オレンジ色のナップサックから、書きかけの地図を取り出すと、トルールにむかって言いました。

「今日は、地図の続きを書きましょ!  え? ママにあんまり森のおくまで行くなって言われてるって? 大丈夫よ! ほんの少しだけ、おくに行くだけよ」

 小わきにトルールをかかえ、地図を見ながらニーナは森のおくへと歩いていきます。

 冷たい空気と鳥たちの歌声、木々のすきまからさす、陽の光のシャワーを浴びながら、ニーナは書きかけの地図のさらに先を目指し、森を進んでいきました。

 書かれた地図の向こうがわは、ニーナの知らない《未開の地》。つまりニーナにとっては、はじめて足をふみいれる大地です。

 そんなふうに考えるたび、ニーナはワクワクとした気分になるのでした。


 生いしげる背の高い草をかきわけて、木の根のもりあがったトンネルを流れる小さな川を飛びこえて、さきほこる花々のわきを通りぬけるころ、ニーナのしせんのはるか先に、キラキラとかがやくなにかが見えました。

「あれはなにかしら? あなたにはわかる?」

 ニーナはそう言って、トルールを両手で高くかかげます。

「ねえ、トルール、なにが見えた? え? 遠すぎてよくわからないって? 仕方ないわね。じゃあ近くまで行ってみましょ」

 目的の場所に向かってしばらく歩いていくと、キラキラとかがやくものの正体が、やがてニーナにもはっきりとわかりました。

「みずうみだわ!」

 陽の光を浴びたみずうみの表面は、キラキラとかがやいています。そのかがやきは、ニーナの目にも飛びこんで、ニーナの青い目も、まるでみずうみのようにキラキラとかがやくのでした。

 ニーナは、みずうみのわきにスツールボックスほどのまるい石を見つけ、そこへこしをおろします。

「ここらへんで、お昼にしましょ」

 そう言うとナップサックから、ママに作ってもらったランチボックスを取り出して、サンドイッチを口中いっぱいにほおばりました。

 ニーナは、まるい石にこしかけて、両足をブラブラとゆらします。目の前に広がる大きなみずうみをながめながら、ほおばるママのサンドイッチは、かくべつです。

「これでまた、ニーナの地図が大きくなるね」

 ニーナはうれしそうに、ひざの上に乗せたトルールに話しかけます。

 そのとき、ニーナの後ろで、大きな木のしげみから、なにか物音がきこえたような気がしました。ニーナによびかけるような、小さな声です。でもニーナがあわててふり返っても、そこにはだれもいません。

「気のせいかしら?」

 きょろきょろとしたニーナが、ふたたびしせいをみずうみに向け直すと、また、しげみから声が聞こえます。

「おーい! ……」

「やっぱり聞こえたわ! ねえ、トルールも聞こえたでしょ?」

 ニーナはおそるおそるふり返ります。

 でもやっぱり、だれのすがたも見えません。ニーナはこわくなって、かかえていたトルールを、きつくだきしめました。

「だれかいるの!? かくれてないで、出てきてよ!」

 すると、しげみの中から、とても小さな男の子が顔を出しました。何枚もの葉っぱで全身をつつんでびくびくとふるえています。

「ぼくのこと、イジメない?」

 ニーナははじめ、その男の子の葉っぱだらけの格好や、ニーナの背丈の半分くらいの大きさにおどろいて、言葉を失ってしまいました。でも気をとりなおして、その男の子に言いました。

「もちろんよ! イジメたりしないわ」

 ニーナのその言葉を聞いて、小さな男の子は少し安心したように、ゆっくりとしげみから出てきます。全身を大きな葉っぱでつつみ、出ている部分は顔と手と足だけ。まるでミノムシのような男の子です。

「あたしの名前はニーナ、この子はドクタートルールよ」

「はじめまして、ニーナ、トルール。ぼくの名前はノーマンだよ。ところできみ、とってもおいしそうなものを食べていたけど、ぼくにも少し分けてくれない? お腹がペコペコなんだ」

 ノーマンはよっぽどお腹が空いているのでしょう。ニーナをせかすように話しました。

「ママが作ってくれるサンドイッチはかくべつよ! でもこれはトルールの分なの。ねえ、トルール、あなたのサンドイッチをノーマンに分けてあげてもいい?」

 ニーナがトルールにそうたずねると、トルールがにっこり笑ったように、ニーナには思えました。

「……そう、ありがとう、あなたってとってもやさしいのね」

 ニーナはにっこりとして、ランチボックスからトルールのサンドイッチを取り出すと、ノーマンへと手わたします。

「ありがとう、ニーナ、そして、ドクタートルール」

 そう言ったノーマンは、ふわふわのサンドイッチを一気に口の中へとつめこんでいきます。

「おいしい!」

 モゴモゴと口の中につめこまれたサンドイッチを飲みこむと、ノーマンはうれしそうにさけびました。

「言ったでしょ? ママが作ってくれるサンドイッチはかくべつなの」

 なごりおしそうに、指先をペロペロとなめるノーマンを見て、ニーナは得意気です。

 おなかがいっぱいになったノーマンは、今度はみずうみに顔をつっこんで、ガブガブと水を飲みはじめました。

 ニーナがたずねます。

「ノーマンはどこから来たの? ニーナが住んでるところでは、見た覚えがないんだけど……」

 ニーナがそう言うと、ノーマンはニッコリと笑いました。

「そりゃあそうさ。ぼくは、きみたちのくらす世界とは、ちがう場所に住んでいるんだから」

 ニーナには、ノーマンの言った意味がわかりません。

 ニーナは、首をかしげて聞き返します。

「そこは遠いの?」

「ううん、このみずうみの向こうがわだよ」

 ノーマンは、みずうみの対岸にある森を指さして言いました。

「でも、わけあって、今は帰れないんだ。帰り道をなくしてしまって……」

 自分よりも小さな男の子で、不思議な格好をして、不思議なことを言うノーマン。きっと、こちらがわの岸に来るときに乗ってきた舟が、帰ってしまったんだと、ニーナは思いました。


 ゆっくりと、かたむきかける太陽の光。ニーナは、そろそろ家に帰らなければ、ママが心配してしまうと感じました。

「ニーナはもう帰らなきゃだけど、ノーマンは大丈夫?」

「うん、大丈夫。サンドイッチごちそうさま! きみのママにも伝えてよ。とってもおいしかったですって」

 ママのサンドイッチをほめられて、まるで自分までほめられたようにうれしくなったニーナは、「うん!」と元気に返事をして、来た道をトルールと引き返します。

「ニーナよりも、ずっと小さな子だったのに、すごくしっかりした子で、ニーナおどろいちゃった」

 森の帰り道、トルールの手を引きながらニーナはつぶやきました。

 小さなせせらぎの小川をぴょんと飛びこえて、さらに森を歩くころ、ニーナはシカの親子を見つけました。

 子ジカは、地面の上で食べ物を探しているようです。

 親ジカは、辺りに注意をはらって、警戒しているように見えました。

 ふと、ニーナは親ジカの角になにかが引っかかっていることに気がつきました。

「あれは、なにかしら?」

 ニーナは目をこらします。シカの角に引っかかっているなにかは、ニーナの小さな顔ほどの大きさの木でできていました。親ジカはそれが気になって、木のみきに、角をコツコツとこすりつけているのでした。

 もう少し近づいて見ようと、ニーナが身を乗り出したとき、人の気配に気がついたシカの親子はあわててにげ出してしまいます。

 よほどあわてたのでしょう。親ジカはにげるときに角を大きくふるい、その反動で角に引っかかっていたものが、ぶん、と地面に落ちました。

「行っちゃった」

 ニーナはシカの親子を見送って、親ジカが落としたなにかのところまで歩いていきました。そしてそれを拾い上げると、まじまじと観察してみます。

 それは、木でできた『小さなとびら』でした。なんだかとても古めかしい、おやしきのとびらのような形をしています。

 木のとびらのそうしょくは、とても細かくて、こっています。そして、まるで、かげ絵遊びで使う小道具のように、美しいすかしが入っていました。

「いったい、だれが落としたのかしら? まさか、あのシカの親子のものとも思えないし……」

 わきにかかえたトルールと顔を見合わせたニーナは、そのすかしの入った小さなとびらを、自分のオレンジ色のナップサックに入れると、パパとママの待つお家へと急いでいきました。

「ただいま!」

 ニーナが家に帰り、ナップサックを自分の部屋に放り投げ、両親と夕食のテーブルにつくころ、ニーナは森であったことなどすっかりと忘れてしまっていました。

 食事も終わり、だんろの前でトルールをだきしめながら、ニーナがうとうととしていると、それを見たパパが、やさしくニーナをだきかかえて、フカフカのふとんのなかへとすべりこませてくれます。

 そしてニーナは、ゆったりとねむりの世界へと溶けこんでいくようにしてねむりました。

 それは、ママが温めてくれたミルクに、たっぷりのハチミツがまざりあっていくみたいにして……。

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