恩人と真実
第24話
修学旅行三日目に入った。
楽しい時間はあっという間で、修学旅行も今日と明日で終わりだ。
今日は一日、班に別れて自由行動となっている。マリンスポーツをしない私たちは、予定していた国際通りに来ていた。
星砂のハンドメイドアクセサリーを四人お揃いで買い、それから家族へのお土産をそれぞれで選んでいたとき、スカートのポケットにしまっていたスマホが鳴った。
画面には、『穂坂さん』の文字。
慌てて通話ボタンをタップする。
「もっ……もしもし!」
『あ、もしもし水波ちゃん? 今大丈夫?』
「はい、大丈夫です」
穂坂さんは最初に私が電話をかけたときとは違って、静かで落ち着いた口調だった。きっとふだんはこうなのだろう。
『実は、今から時間取れそうなんだけど、水波ちゃんどうかなって思って。今日ってたしか、自由行動だったよね』
「はい! 友達に確認してみますけど、たぶん大丈夫だと思います」
『そう。今どこにいる?』
穂坂さんに居場所を伝えると、案外近くにいたようで、国際通りのとあるカフェで落ち合うことになった。
通話を終えると、私は急いで朝香の姿を探す。
近くの店で買い物をしていた朝香を見つけ、人と会いたいから少しの間だけ別行動にさせてほしいと頼む。
「会いたい人って……水波が前に言ってた人?」
「うん。今から少し時間取れそうだからって」
「そっか……」
朝香は心配そうにしながらも、
「分かった。いいよ。ふたりには私から言っておく。気をつけてね」と、頷いてくれた。
「あ、でも三時にはここに戻ってきて」
「分かった」
そうして、私は穂坂さんと待ち合わせたカフェへ向かう。
カフェは通りに面したアラビアンな雰囲気の落ち着いたお店で、地下階段を降りたところにあった。
中に入ってきょろきょろと穂坂さんを探していると、「水波ちゃん」と小さな声で呼び止められた。
声がしたほうを見ると、短髪で背の高い男の人がテーブル席に座って手を振っている。
目が合い、私は小さく頭を下げた。
「こんにちは」
「こんにちは……」
穂坂さんだ。事故のとき、沈没しかけたフェリーから私を助けてくれた、命の恩人である。
穂坂さんは正面の席に着いた私を見て、潤んだ瞳を細めて微笑んだ。
「元気そうだね」
「……はい」
「あ、まずはなにか頼もうか。水波ちゃんなにがいい?」
穂坂さんにメニューを渡される。
「えっと……じゃあアイスティーにします」
穂坂さんが店員を呼ぶ。
「アイスティーとアイスコーヒー、それからティラミスとレアチーズケーキひとつずつお願いします」
注文を終え、しばらく近況の話をし合っていると、店員さんが注文したドリンクとケーキを運んできた。
運ばれてきたケーキを並べて、穂坂さんが言う。
「水波ちゃん、ティラミスとレアチーズ、どっちがいい?」
え、と顔を上げると、穂坂さんは「ひとりじゃ食べづらいから、付き合ってよ」と言って、にっこりと微笑んだ。
「……じゃあ、えっとティラミスいただきます」
穂坂さんの好意に甘えて、ティラミスをもらう。
穂坂さんとこうしてふたりきりで話すのは初めてだが、不思議と緊張はなかった。穂坂さんが事故のことに触れることなく、私の学校生活や友達についての何気ないことをたくさん聞いてくれたおかげかもしれない。気まずい空気になることもなく、終始穏やかな時間が流れた。
そして、しばらく他愛のない話をしてから、私はとうとう本題に入った。
「あの……私、ずっと穂坂さんにお礼を言えてなくて……助けていただいて、本当にありがとうございました」
「いいよいいよ、そんなこと気にしないで」
改めて頭を下げると、穂坂さんは人の良さげな笑みを浮かべ、頬を掻いた。
「……それから……私、ずっと穂坂さんには謝らなきゃいけないと思ってたんです」
「謝る?」
穂坂さんが戸惑いの滲んだ表情を浮かべる。
「はい」
私は一度唇を引き結び、膝に置いた手を握り込む。
そして、言った。
「私……実は死のうとしたんです」
穂坂さんが息を呑む音がした気がした。アイスティーの氷が、からりと音を立てて溶ける。
私は懺悔室に佇む罪人のように、穂坂さんを前にぽつぽつと話し出す。
「来未が……親友があの事故で死んじゃって、私はひとりだけ生き残りました。病院で目が覚めたとき、一緒にフェリーに乗っていたはずの人たちはひとりもいなくて、代わりにその家族の人がたくさんいて」
その人たちは、みんなそろって廊下の隅ですすり泣いていた。そしてそこには私の両親もいて、ほかの人たちと同じように泣いていた。
「その人たちの涙を見て……その人たちになんでお前は生きているんだと詰め寄られて、私はじぶんの立場を知りました」
生き残ったのは私だけ。来未は海に投げ出され、かなりの距離を流されて、見つかったときにはもう亡くなっていた。
ほかの人たちも船体から辛うじて助け出されたものの、全員蘇生には至らなかった。
「退院して家に帰ってからも、両親は……特にお母さんはパニックになっていて、あの事故以来、精神安定剤とかを毎晩飲むようになって……私が苦しそうにするとお母さんもお父さんも余計に心配するから、私は、なんでもないように振る舞いました」
「そう」と、穂坂さんはひそやかな声で相槌を打つ。
「……そんなことしか私にはできないんです。私は、私のせいで泣くふたりに……」
私自身、怖くて泣き叫びたい夜もあった。けれど、そんな不安定になっている私を打ち明けたら、両親はさらに混乱する。そう思うと、ただひたすらひとりで耐えるしかなかった。だれにも相談できなかった。
穂坂さんがやるせなさげに目を伏せた。
「……君は被害者だよ。一番に守られるべきなのは、君自身だ。君がそんなことを気にする必要はないのに」
「……そうでしょうか」
私は続ける。
「私はあの事故で生き残るのは、間違いだったんだと思っていました。私は、生き残るべきじゃなかった。そうすれば……お母さんもお父さんも、悲しむことはあってもこんなに苦しむことはなかったはずだから」
ほんの少し、空気が揺れた。穂坂さんが小さく息を漏らしたのだ。
「……あの事故の日から、見える景色がガラッと変わりました。なんていうか、上手く言えないですけど白黒写真みたいにすべてがモノクロになったみたい。学校の友達も、前みたいには話してくれなくなって……自然と、遠ざかっていきました」
どこかよそよそしくなったクラスメイトたち。みんな、私と目が合うと目を逸らしたり、困ったように目を泳がせるようになった。
「あぁ、私は……いるだけで空気を重くするんだなぁって思いました。それからだれかと話すということはなくなって、そのまま中学を卒業して、今の高校に入りました。高校では知り合いがほとんどいなかったから、さらに人間関係は希薄になりました」
わざと同じ中学の同級生が少ない高校を選んだのに、私の噂は入学した瞬間から広まっていた。だから私は、全員から向けられる同情や興味の視線に気付かないふりをして、息を殺すようにして過ごした。
話すことを一旦止めて、息を吸う。
思い出すだけでも、胸がちりちりとして、苦しくなった。
「水分、摂りな」
「……はい。すみません」
促されるままに私はアイスティーで喉を湿らせ、そのままぼんやりと汗をかいたグラスを眺める。
潤しても潤しても詰まる喉を押さえながら、私は絞るように声を出した。
「……ずっと、なんで私だけ生き残っちゃったんだろうって思ってたんです」
穂坂さんはなにも言わず、ただ静かに私の話に耳を傾けていた。
「今年の来未の命日に、お墓参りに行ったんです。そうしたらたまたま来未のお母さんに会ってしまって……言われました」
来未を返せ。来未が死んだのは、お前のせいだ。
すると、それまで黙って聞いていた穂坂さんが、苦しげに首を横に振った。
「違う。……違うよ、水波ちゃん。来未ちゃんが亡くなったのは、絶対に君のせいなんかじゃない。何度も言うけど、君は被害者なんだよ」
「違うんです」
強い口調で、穂坂さんの言葉を遮る。穂坂さんは息を呑んで私を見た。私は震える声で告げる。
「本当に……私のせいなんです。あの日、あの事故が起きたとき……私、来未と喧嘩しちゃって、どこかに行った来未を探しに行ったんです。そうしたら来未はデッキにいて……だけど、ちょうどそのときフェリーがものすごく揺れて、来未がよろけて……」
次第に声が潤んでいく。
これは、お母さんにもお父さんにも言ったことのない事実だ。綺瀬くんにしか言ったことのないあの日の事実を、私は静かに恩人に告白する。
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