第14話


 ぼんやりしていると、歩果ちゃんが言った。


「ごめんね、ぜんぜん関係ない水波ちゃんのこと巻き込んじゃって」

 ハッとする。

「えっ? あ……ううん、ぜんぜんそれはいいんだけど」

「宣伝付き合ってくれてありがとう」

「ううん……」

 ぼんやりとした返事をする私を見て、歩果ちゃんが首を傾げる。

「どうしたの?」

「……あ、うん。なんか歩果ちゃんを見てたら、ちょっと懐かしいなって思って」

「懐かしい?」


 歩果ちゃんはきょとんとした顔をして、私を見上げた。

「なにが?」

「私もよく、親友と喧嘩したなぁって」

「えっ、水波ちゃんが?」


 歩果ちゃんは信じられないとでも言いたげな目を向けてくる。


「意外?」

「うん。ちょっと……水波ちゃん、落ち着いたイメージだったから」

「私だって喧嘩くらいするよ。あ、でも、私も意外だったよ。歩果ちゃんもほんわかしたイメージだったから」

「ふふっ」


 じゃあお互いさまだね、と笑い合う。

 本当だ。


「私も、よく喧嘩をしてはお互いわんわん泣いて、でも最後は笑って手を繋いで仲直りしたんだけどね」


 でも……。

 かすかに胸が痛み、私は目を伏せた。


「でもね、今はちょっと後悔してるんだ」

「後悔?」

「最後はそうはならなかった。喧嘩したまま、永遠にさよならになっちゃったから」

「えっ……最後って……もしかして」


 歩果ちゃんは恐る恐ると言った様子で、私に訊ねる。

「その子、死んじゃったんだ」

 歩果ちゃんは、私を見つめたまま黙り込んだ。

「……私ね、その親友との最後の記憶が喧嘩しちゃった記憶なんだ。それを、今もずっと後悔してる。あのときもっと早く謝ってたらって」


 あの日、もし謝っていたら、どうなっていただろう。手を胸にやり、考える。

 結果がたとえ同じだとしても、この重い心は、少しは軽くなっていただろうか……。


「あのときは、それが最後になるなんてこれっぽっちも思わなかったなぁ……」


 そのうちいつも通りに仲直りして、また笑って過ごせるものと思っていた。明日も、その先もずっと変わらない毎日が待っているのだと信じて疑わなかった。


 でも、どんなに後悔しても、あの子はもういない。あの日は二度と戻らないし、あの子と仲直りすることは、永遠に叶わない。


「この後悔を、私はこれからも一生背負って生きてくんだなって思ったら、結構キツくて」


 私は歩果ちゃんに微笑みかけた。歩果ちゃんは、眉を八の字にして、唇を噛み締めて私を見つめる。


「……大丈夫。今ちょっと話しただけの私だって、歩果ちゃんのことすごくいい子だなって分かったよ。ふわふわしてて可愛いし、穏やかだけど明るいし、話しててすごく楽しかった。だからね、琴音ちゃんと喧嘩しちゃったことを後悔してるなら、ちゃんと話し合って仲直りしてほしいって思う」


 心の中でどんなに後悔していても、思いは口にしなければ伝わらないから。


「私はもう同じような後悔を二度としたくないし、私の大切な人たちにもしてほしくない」

「大切な人……?」

「うん。歩果ちゃんとは今日初めて話したけど、いい子だなって思ったから。歩果ちゃんは、私の大切なクラスメイトだよ」

「……水波ちゃん」


 歩果ちゃんが私の手をぎゅっと握る。その手は小刻みに震えていた。


「ほんとはね、私も琴ちゃんと仲直りしたいんだ。でも……もう嫌われちゃったかもって思ったら、怖くて」

「琴音ちゃんの性格、私はあんまりよく知らないけど……そんなことで歩果ちゃんを嫌うような子なの?」


 優しく聞くと、歩果ちゃんはぶんぶんと強く首を振った。


 それなら。


「話しに行こっか」


 体育館前に戻ると、バスケ部の集団はいたものの、琴音ちゃんの姿はなかった。


「あれ、いないね。どこに行ったのかな」

「やっぱり目が合ったのに無視して行っちゃったこと、怒ってるのかも……」


 歩果ちゃんのテンションがするすると下がっていく。

 そんな歩果ちゃんの頬を、ちょんとつついた。歩果ちゃんが顔を上げて私を見る。


「違うよ。きっと歩果ちゃんのこと探してるんだよ」

「そ、そうかな? そうだよねっ」


 よしっ、と、歩果ちゃんがガッツポーズをする。

 表情が天気のようにころころと変わる歩果ちゃんに、

「ふふっ」

 私は思わず笑ってしまった。


「えっ? なになに、水波ちゃん、今なんで笑ったの?」


 歩果ちゃんは不思議そうに、大きな瞳をまるまるとさせて私に顔を寄せた。

「いや、ごめんね。可愛いなって」

「えぇ、なにそれ! 私より可愛い人に言われても嬉しくないよ」

 歩果ちゃんは今度はぷんすかと怒ったふりをした。

「そんなことないよ。このほっぺとかめちゃくちゃ可愛いよ、ほら」

 ふくれた頬をつんとすると、ひゅっと空気が抜ける。その顔がおかしくて、私はさらに笑う。

「私の顔で遊ばないでよっ」

 と、歩果ちゃんが私の腕に抱きついてきた。

「ごめんごめん」


 それでも笑いをこらえ切れないでいると、

「もう、今度はなに?」

 歩果ちゃんは、ずいっと私に顔を寄せて追求してきた。


 私はようやく笑うことをやめて、言った。

「……ううん。なんかね、嬉しいの」

「嬉しい?」

「ふたりが喧嘩しちゃったことはあまりいいことじゃないのかもしれないけど、ふたりが喧嘩したことで私が歩果ちゃんと話すきっかけができたのかなって思ったら、ちょっとラッキーだったかもって思っちゃって」


 なにより、歩果ちゃんがこんなに可愛くて面白い子だなんて思わなかった。話してみなければ分からないこともあるものだとつくづく実感した。


 歩果ちゃんはしばらく私の顔を眺めると、ぷはっと笑った。

「そっかぁ。じゃあ私が琴ちゃんと喧嘩したのは、水波ちゃんと仲良くなるためだったんだね!」

「……うん。そうかも」

 ふたりの喧嘩が私のための喧嘩だったなら、私もふたりがちゃんと仲直りできるように協力しなきゃ。

 そう、素直に思った。


「……水波ちゃんってなんか不思議。私ね、実を言うと、最初は水波ちゃんのことちょっとだけ苦手だったんだ」

「え? そうなの?」

「うん。水波ちゃん、大人っぽくてきれいだし、だれとも仲良くしようとしないから、私たちのこと子供っぽいとか思ってるのかなって勝手に思ってた。だけど、本当はすっごく優しくて前向きなんだね! 私、ぜんぜん知らなかった。誤解してて本当にごめんね」


 きょとんとするのは、今度はこちらの番だった。目を丸くして、歩果ちゃんを見つめる。


「前向き? 私が?」

「うん。すっごく前向き! 水波ちゃんに大切に思われてるその親友が羨ましくなっちゃったよ」

「……そうかな」


 曖昧に笑う。今さらいくら思ったところで、と思っていたけれど……。


「そうだよ。思いは人を変えるってよく聞くけど、本当だったんだね! それから、じぶん自身も」

「じぶん自身も?」

「そうだよ。私ね、昔から人見知りで、琴ちゃん以外友達いなかったんだ。ぶっちゃけほしいとも思ってなかった」


 でも、と歩果ちゃんが私を見上げる。


「私、水波ちゃんのことすごく好きかも。友達になりたい。大切なクラスメイトじゃなくて」


 私がさっき言った言葉を引用して、歩果ちゃんは私へ思いをまっすぐに伝えてくれる。


 うわ……。

 心の中に小さく点っていた灯火が、ふわふわと全身に流れていくようだった。

 思わず黙り込む。そのあたたかさに放心した。


 ……すごい。


 心があたたまったときって、人は言葉を失くすんだ。


 しばらく感動に浸っていると、

「……水波ちゃん?」

 大丈夫? と歩果ちゃんに顔を覗き込まれ、ハッと我に返る。


「あ、だ、大丈夫」

「そっか、よかった」

 歩果ちゃんは安心したように微笑んだ。

「あのね、歩果ちゃん。私も……」

 私も歩果ちゃんと友達になりたい、と言おうとしたときだった。

「――歩果っ!」

 渡り廊下に、凛とした声が響いた。


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