第2話

 黒板を見て、ノートを取って。それを無心に繰り返していると、暖かい風が頬を撫でた。顔を上げて窓の外を見てみる。

 木は、桜が散って緑色の葉が生えてきていた。

 もう五月か、と思いながら、医師の言葉を思い出す。


『茜さんは今、いつ死んでしまうかわからない状態です。少しでも体調が悪いと感じたら、すぐにここにきてください』


 医師はそう言っていた。

 病院になんて行くもんか、と内心で毒を吐く。

 その場ではもちろん『はい』と頷いたが、全く行こうと思っていなかった。

――私は、生まれつきの病気で、〝余命15年〟と言われていた。

 けれど、一応高校一年生になれた。だから今の私は、医師の言うと通り、いつ死ぬのか分からないのだ。


「……べつに、生きたくなんてないんだけどな」


 私が呟いた言葉は、担任の声にかき消された。







「茜、俺に奢ってもらうもの決めた?」


 昼休みになって教科書やらノートやらを片付けていると、加藤が教室に飛び込んできた。


「あー……、まだ決まってない。ていうか、奢ってもらわなくてもいいよ」

「急に冷めないでよ……。まあでも、そう言うと思ったから、勝手に買ってきたよ」


 加藤が、はい、と私になにかを渡してきた。


「メロンパンといちごミルク……私のお昼ご飯じゃん」

「うん。正直、なにを買えばいいのかわからなくて」


 加藤があはは、と苦笑する。


「……ありがとう」


 私がそう言うと、加藤は「どういたしまして」と笑った。


「じゃ、一緒に食べよう」


 加藤はそう言って、今は友達の元にいる隣の席の月島つきしまさんという女子に、「ここ、座ってもいい?」と訊ねた。

 すると月島さんは、「へっ⁉」と素っ頓狂な声を上げる。


「う、うん。いいよ!」


 顔を赤くして答えた彼女に、加藤は「ありがとう」と笑みを返して席に座った。

 いただきます、と言って彼は弁当箱を開ける。中には色とりどりの具材たち。私もメロンパンの外袋を開けて、いただきます、と一口食べる。いつもの味だ。


「美味しい?」


 加藤が訊ねてきたので、「美味しい」と頷いた。


「加藤の弁当って、誰が作ってるの?」


 いちごミルクのパックにストローをさす。


「自分で作ってるよ」

「へえ、すごいね」

「そうかな?」

「すごいよ。私はめんどくさいから毎日自分の弁当なんて作りたくないかな」


 メロンパンを頬張り、味わってから飲み込んだ。


「あはは、茜らしいね」

「だから加藤はすごいよ」

「そっか。ありがとう」


 そう言って笑った加藤の笑みは、小さい頃から変わっていなかった。







「茜、明日用事ある?」


 門をくぐった途端、加藤が唐突に言った。


「ないけど……。どうして?」

「最近、近くにおしゃれな雑貨屋さんができたって、鈴花すずかさんが言ってたんだよね」

「ふうん。加藤って、おしゃれなお店好きだよね」

「うん。おしゃれなお店って、テンション上がるでしょ?」

「そう?」


 宇野うの鈴花さん。

 宇野さんとは、加藤のお兄さん――晴日はるひさんの彼女さんのことだ。宇野さんも晴日さんも、大学一年生。加藤と同じくおしゃれなお店が好きな人で、よく加藤と宇野さんと晴日さんでショッピングに行っているらしい。

 ちなみに私は、加藤に聞いているだけで宇野さんには会ったことがない。


「テンション上がるよ。それで、今回は茜と二人で行きたいなあ、って」

「いいけど」


 そう言って頷くと、加藤は「やった!」と嬉しそうに笑う。


「じゃあ、明日の十時に茜の家に行くから」

「わかった」


 また頷いたところでマンションに着いた。

 薄暗いエントランスを抜けて、階段を上って三階に向かう。私は一番端、加藤は右隣だ。


「じゃあ、また明日」


 加藤の言葉に「うん」と頷く。

 重いドアを開けて中に入り、鍵を閉めた。玄関の電気をつける。そしてローファーを脱ごうとしたとき。


「——っ」


 不意にめまいが襲ってきて、よろけてしまった。咄嗟に壁に手をついて、体を支える。


『少しでも体調が悪いと感じたら、すぐにここにきてください』


 医師の言葉が脳裏に蘇った。


「……行かない。行かなくても、大丈夫」


 そう呟いてから深呼吸をして、私は顔を上げる。

 大丈夫。ただ、めまいがしただけ。

――あと少し。

 そう自分に言い聞かせて、ローファーを脱いだ。

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