38年目

 少しずつ過ごしやすい気温になり始めた、4月某日。


 進学した学生や新社会人が期待と不安を抱えながら、住宅地の中を駅に向かっていく時刻。


 そんな日和ひよりに、ユウ君はお仕事のために着替えて――


 ――なんてことはなく、ベッドの上で、お布団の中に包まっていました。


 あれ?あれれ?ユウ君、スーパーのお仕事は?


 いつもだったら、朝ご飯食べて着替えてるのに。


 お寝坊というわけでもないようです。


 お母さんも起こしに来ません。


 ちょっと何が起こったのか、さかのぼってみましょう。







 一カ月前のことです。


 今日も眠い目をこすりながら出勤したユウ君は、ローカールームで着替えて、開店前のお掃除と品出し、たまにお客さんから商品のある場所を聞かれたりと、お仕事に精を出していました。


 そしてお昼ごろ。


 普段は4時間勤務だけど、今日だけは5時間働いて、疲れたな~、とバックヤードに戻ったときのことです。


 着替えて帰ろうと思ったら、休憩室から女の人の話し声が聞こえてきました。


「はぁ~~」

「あら、お疲れね」

「あ、高城さん」

 

 小森さんと高城さんです。


 ユウ君、休憩室の入り口に張り付いて、なんとなく聞き耳を立ててしまいます。


「何か悩み事?」

「ええ、まぁ」


 どうやら小森さん、何かに悩んでいるようです。


 ユウ君は、力になりたいと思いました。


 いつも、小森さんにはフォローしてもらっています。


 今日もお客さんに乾燥わかめの場所を聞かれて答えられず、小森さんに助けてもらいました。


 そんな、いつもお世話になっている小森さんに、恩返しできるチャンスです。


 もしかしたら、もっと仲良くなれるきっかけになるかもしれません。


「実は、神在月さんのことで…」


(……っ⁉)


 なんと、話題はユウ君のことでした。


 ユウ君、息を殺しながら、ごくりと喉を鳴らします。


「いつまで経っても仕事を覚えてくれなくて」


 小森さんの告白に、ユウ君の頭が真っ白になりました。


「何度も陳列の場所を間違えるし、お客さんにぶつかっても何にも言わないし、何考えてるんだかわからなくて…」


 確かに、ユウ君は安売りの冷凍ピザとちょっとお高い冷凍ピザの位置を間違えたり、別の種類のお豆腐を並べてしまい、レジで値段が違うってクレームが入ったこともありました。

 

 お客さんにぶつかったときも、ちゃんとごめんなさいって言ったけど、ぼそっと言ったから聞こえていなくて、『お客様の声』コメントに『店員さんにぶつかった時に舌打ちされた』と投稿され、問題になったこともありました。


 みんな、小森さんがフォローして、代わりにお客さんに怒られたこともありました。


「もう仕事始めて一ヶ月以上ですよ。いい加減にしてほしいです」


 普段の小森さんからは考えられない、怒りと悲しみをない交ぜにした声でした。


 ずっと聞いていたユウ君の唇が、震え出しました。


「それに、隠れてわたしの事をチラチラ見てきて、視線が胸に向けられてるのも、気味が悪くて…」


 ああ、ユウ君、顔を見られなくて、いつも視線を下げてて、ついでに小森さんの胸もチラチラ見てたもんね。


「あの人と一緒にいると、辛いっていうか、気持ち悪くて…」


 ユウ君の目が、段々潤んできました。


「店長に頼んでシフト変えてもらう?」

「そうですね。そうするしか……」


 ユウ君はぷるぷる震えながら、袖で目をゴシゴシして、鼻水をすすり始めました。


 そして、スーパーを飛び出して、ぐしゃぐしゃの顔のまま、家に帰ってすぐに自室にこもりました。


 お母さんに声をかけられても、何も答えません。


 二日後に店長から電話があっても出ないで、着信拒否にしました。


 家にも電話が来て、「どういうことなの、ユウ?」ってお母さんに聞かれても、黙ってベッドの上で丸まっているだけでした。


 こうして、ユウ君の社会復帰は一ヶ月と一週間でパァになってしまいました。


 う~ん、残念!

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