26年目

 夏真っ盛りの8月の都心、そこに佇む大きなビルの中に、ユウ君はいました。


 この7月に人事異動があり、現場部署から企画部署へと移りました。


 白いワイシャツに紺のスラックスを身に着けたユウ君は、エアコンのおかげで涼しいオフィスの中でパソコンに向かっています。


 ユウ君は常々「現場は辛い」と言っていたので、念願のデスクワークです。


 来週からはお盆期間なので、そこで1週間のお休みがあります。

 土日合わせて9連休です。

 連休は目前、がんばらないとね!


 でも、ユウ君の顔色はよくありません。


「……どうしよう」


 ユウ君、頭を抱えています。


 現場部署に出す依頼を忘れていました。


 本社から依頼のあった、現場社員の資格取得状況の確認と、未取得者の受験を促す内容です。


 やることがいっぱいで、すっかり忘れていたユウ君。


 同じ部署のベテランに相談したところ、「そんなんごめんなさいって言って依頼するしかないだろ」って言われました。


 本来は1ヶ月くらい余裕のあった内容なのに、今週の金曜日の報告が必要な内容です。

 ちなみに、今日は月曜日。時計を見ると、午後の5時です。


 急いで本社からの依頼メールを現場部署に転送します。


 10個のメーリングリストをコピペして、件名に【依頼】とつけました。


 1時間くらい悩みながら依頼文を考えて、「これで大丈夫かな?もっとこう……」なんて葛藤しながら、「現場の人怒らないかな?」って想像して溜息。でも結局送信します。


 月曜日の時間外に送って、締め切りは金曜日のお昼。

 本社への報告は金曜日の17時なので、本当にギリギリです。


 その日はもやもやした気分で帰りました。


 すると、翌日の朝のことです。


「神在月さん、オンサイトの中村さんからです」


 現場部署から電話がかかってきました。


『あのさ、こんなの急に言われてもすぐ纏まんないんだけど』


 現場からのクレーム電話でした。

 ベテランっぽい、おじさんの声です。


『来週お盆期間で、その前後で休む人もいるし、纏まんないよ?』


「はい、あの、ギリギリの依頼ですみません…」


『ほんとだよ、ウチの70人分、金曜の報告は無理だよ?わかる人の分しか纏まんないけど、いいの?』


「あ、あの、とりあえず報告もらえる分だけいただけますか?」


『それでだいじょうぶ?全員分は盆明けの週末くらいになるけど』


「は、はい、だいじょうぶです。申し訳ないです」


 おじさんの剣幕に圧されて、ユウ君たじたじです。


 普段からメールで依頼を出すときにも「申し訳ないな」なんて思いながら仕事をしているユウ君に、今回のことはかなり堪えました。


 しかし、問題はそれだけではありません。


 本社から、リマインドメールが来ました。

 ユウ君がぐったりしている件についてのです。


 慌てて本社の担当者に電話します。


「あの、期限までに纏まりそうになくて…」


『でも、そうすると最悪、下期試験の受験が受けられなくなりますよ』


「え、あ、すみません……」


『いや、現場の人が受けなければ問題ないんですが、その辺も確認取れてます?』


「あ、いえ……」


 しどろもどろになりながら、ユウ君は会話を続け、やがて電話を切りました。


「……どうしよう」


 試験と言っているのは、事業計画で謳われているもので、そんなに難易度は高くないですが、4月の周知で『取得100%』とされているものです。

 合格すると奨励金ももらえるので、とにかく受験して、と言われているものでした。


 上期でも受験している人が多いですが、もし受験していなかったり不合格だったりした場合、下期に受験が必要です。


 そんな試験に関わってくる依頼だったので、ユウ君は頭を抱えました。


(……まぁ、多分、簡単な試験だったから、大丈夫…だよな…?)


 ユウ君はそう思い、特に現場に連絡したり、本社に改めて確認することもなく、そのままにしていました。


 結果、回答率8割の取り纏め結果を金曜日の夕方に本社へメール報告し、


「お先に失礼します!」


 パソコンをシャットダウンして、そのまま家に帰ります。


 ユウ君は、これから9連休です。

 連休を前に、現実逃避です。


 辛い仕事のことを忘れるために、家に帰る前に、電器屋さんに寄り道して、展示されているプラモデルやゲーム機を見に行くつもりです。


 でも、心の中にはずっと、もやもやを抱えています。


 あれで大丈夫かな、と不安に思いながら、お盆を過ごすことになりました。












 ユウ君が退勤した30分後、企画担当に電話がかかってきました。


「あ~、神在月ですか?もう帰りましたが。……ええ、……ああ、CCで来てたと思います。……はい、対象者がいそうってことですか?……ええ、わかりました。すぐに現場に確認して折り返しします。……いえいえ、こちらの不手際なので……。はいはい、確認次第すぐに連絡しますので。……はい、こちらこそ、よろしくお願いしますー」


「お世話になります、企画の稲葉です。中村さん、まだ勤務されてます?はい……。あ、中村さん、すみません、ちょっとウチの神在月が出した依頼で……。ええ、そちらの若手2人の……そうです、あの上期に絶対取れって言ってたやつです。……あ、ほんとですか?聞いてもらえます?ああ、ほんっと申し訳ないです。……あ、いえ、こっちの仕事なんで。……ええ、すみませんが、ご確認お願いしますー」


 


 …………ユウ君、お休み明けたら、ちゃんとありがとうってしようね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る