ギュスターブ公爵の屋敷へ

 使い魔の黒い大鷲の嘴に挟まれたまま、グレイは夕暮れに染まった空を飛んでいた。

「まったく……散々な日だったよ。魔術勝負で負けるし、変な会話を聞かされるし」

 魔術勝負は一方的に仕掛けたものであるし、ダリアとジャンの会話も盗み聞いたものだ。

 逆恨みに満ちているが、当人に自覚は無い。


「いつかリベンジしないと、僕の気が収まらない」


 そう呟いてみるが、いい作戦が思いつかない。誰かの知恵を借りた方がいいのかもしれない。


「ギュスターブ公爵の知恵を借りたいところだけど……」


 ギュスターブは残忍で狡猾だ。そううえ権力もある。常人が思いつかないような事を平気で思いつくし、実行する。

 人間に禁忌の魔術を使うという悪質な知恵をグレイに与えたのも、ギュスターブだった。

 普通に知恵を借りる事ができれば、これほど頼りになる人間は他にはいない。

 しかし、グレイの胸がキュウと痛む。

「あの人は威圧感が強すぎるからなぁ」

 ギュスターブは恐ろしい男だ。一睨みされるだけで心の底から震えあがる。彼の前では立っているのがやっとである。

「格の違いを見せつけられるのが好きじゃないんだよなぁ……」

 しかし、このままではダリアに勝つ手立てはない。

 グレイは低い声で笑って、覚悟を決めた。


「ギュスターブ公爵に会おう」


 黒い大鷲は、主の意思に応えるように羽ばたく。

 目的地はフロンティア家の屋敷だ。そこにギュスターブがいる。

 エクストリーム王国の王都の近くにある、豪奢な屋敷である。



 グレイがフロンティア家の屋敷に着く頃には、日は沈んでいた。辺りは暗闇に包まれる。

 そんな時にも、フロンティア家の屋敷は分かりやすい。魔力によって光る球がいくつも浮かんでいるからだ。周囲が闇に包まれるほどに、明かりが目立つ。

 黒い大鷲は屋敷の前に降り立つと、主であるグレイをそっと地面に降ろした。質の良い芝生の感触が、足元に伝わる。周囲をグルリと見渡すと、庭の中央に置かれた噴水が目を惹く。三柱の女神の彫刻が掲げる杯から、澄んだ水が吹きあがるものだ。

 グレイは苦笑する。

「無駄に手が込んでいるね」

「何者だ?」

 衛兵に呼びかけられて、グレイは軽く会釈をする。

「ギュスターブ公爵に会いたいんだ。グレイと言えば伝わると思うけど」

「ギュスターブ公爵はお休みだ。出直してこい」

 衛兵にしてみれば当然の発言である。今は夜だ。ギュスターブは寝ているはずだ。

 グレイは溜め息を吐いた。

 目の前の衛兵だけならともかく、ギュスターブからの心象が悪くなるのは避けたい。


「分かったよ。出直すよ」


「その必要はありませんとギュスターブ公爵がおっしゃっています」


 屋敷から澄んだ声が聞こえた。

 水色の瞳の、金髪を生やす少年が立っていた。美しい顔立ちが見る者の目を惹く。

 グレイは口の端を上げた。


「ロベールか」


 金髪の少年ロベールは深々とお辞儀をした。

 王都で顔も性格も良い召使いとして評判だったが、フランソワ王太子の婚約者を見失った罰で国外に追放されそうになった所を、ギュスターブが拾ったという。

 禁忌の魔術の最初の実験台であった。

 禁忌の魔術を掛けられて、唯一凶暴化しなかった人物である。

 グレイは念のために、ロベールの言葉が真実か確かめる。

「珍しいね。ギュスターブ公爵がこんな時間に起きているなんて」

「本日の月は美しいとおっしゃり、上機嫌のご様子でした。どんな客人も屋敷に招き入れるように承っております」

 ロベールは淡々と告げていた。

「お外で長らく立たせてしまうのも難なので、どうぞお入りください」

「分かったよ。すぐに入る」

 訝しげに見て来る衛兵を尻目に、グレイは促されるままに屋敷に足を踏み入れる。

 手入れの行き届いた赤い絨毯を踏みつけて、絵画と金色の調度品だらけの広い廊下を進み、ギュスターブの部屋にたどり着く。

 ドアは開いていた。魔力の球が浮かんで、部屋をほのかに照らしている。

 冷たい風が流れて、頬と髪をなぶる。風は、バルコニーから直接流れてきていた。

 バルコニーには二人の人間が、部屋の入口に背を向けて立っていた。

 恰幅の良い男と、一歩引いた位置に背の高い男がいる。恰幅の良い男は右手に赤ワインの入ったグラスを持ち、背の高い男はソケットに白い宝石が埋め込まれた槍を背負っている。

 二人とも、空を見上げているようだった。

 部屋に入ろうと足を一歩前に動かしたグレイを右手で制して、ロベールは開け放たれたドアを軽く二回叩いた。


「客人をお連れしました」


「入れ」


 恰幅の良い男が、威厳のある声を響かせる。

 ロベールは深々とお辞儀をして、グレイを制する手をどかし、ドアの付近に立った。

 グレイは大粒の唾を飲み込んで、深呼吸をした。

「本当に入っていいんだね?」

「さっさとしろ」

 グレイの確認を剣呑な言葉で返し、恰幅の良い男は振り向いた。

 深紫色の髪の男だ。切れ長の赤い瞳に鋭い光が宿っている。

 この男こそがギュスターブだ。エクストリーム王国の王家よりも恐れられている。

 グレイはぎこちない足取りで、部屋に入った。

 ギュスターブの後ろに立つ背の高い男も振り向く。

 白銀の鎧を身にまとう金髪の男で、優し気に微笑んでいる。


「グレイ君だね。元気にしていたかい?」


 中性的な声で、気さくに話しかける。

 グレイは安堵の溜め息を吐いた。


「グラン、君がいて良かったよ」


 グレイの本音である。

 聖騎士グラン・ゲート。

 ギュスターブの側近であり、甘いマスクと誠実な人柄のおかげで人望がある。ギュスターブからの信頼も厚い。

 グランは声を出して笑った。

「そんなに緊張しなくていいよ。何か言いたそうだけど、どうしたの?」

「実は……相談事があるんだ。とある女を倒したくてね。魔術を使うのだけど」

 グレイが話し出すと、ギュスターブが眉をひそめた。

 その目には鋭い殺意が宿っていた。

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