悪いのは
グレイは不愉快そうに表情を歪めて呪文を唱える。
「小僧の心を壊す。暗き祈りよ我に力を、マインド・ブレイク」
人の心を壊す。
これこそがギュスターブが求めた力だ。自分の意思を失った人間を意のままに操り、自分の思いどおりに支配をしたいのだ。
命を弄ぶ行為に該当し、禁忌とされているが、グレイの知った事ではない。
「僕を怒らせた人間はみんな死ぬべきなんだ。心も身体も」
忌々しい二人の関係を壊せる。
愉快で仕方ない。
案の定、ジャンが悲鳴をあげてダリアを突き飛ばした。
ジャンの両目はぎらつき、全身に禍々しいオーラをまとっている。
禁忌の魔術は成功したのだ。
ジャンが奇声をあげてダリアに殴りかかる。
ダリアは溜め息を吐いた。
「あなたに魔術を使う事になるなんて思いも寄らなかったですわ。暗き祈りよ我に力を、タイムストップ」
ダリアの魔術で、ジャンの動きがピタリと止まる。
ジャンは拳を振り上げたまま、獣のようにうなっている。
ダリアはまっすぐにジャンを見据えていた。
「あなたを絶対に救ってみせますわ。禁忌の使い手を倒すのです」
グレイは思わず大笑いをした。
禁忌の使い手を倒すと言っている割には、ジャンを見つめるままだ。
「アハハハハ! 僕の居場所が分かっていないのに倒すなんて、よく言えたね」
「そこの大笑いをした人間、あなたが禁忌の使い手ですわね! 暗き祈りよ我に力を、タイムストップ」
ダリアの魔術が放たれた。
グレイの表情が文字通りに固まる。全方位を警戒している相手に、大笑いなんて大ヒントを与えれば、何らかの攻撃を受けるのは当然である。
あまりにも簡単な事で居場所を知られてしまい、グレイはこのまま死んでしまいたい気分になっていた。
口がうまく動かせない。舌を噛み切るのは困難だろう。
呼吸を止める。普通の人間には苦痛でしかない行為だが、今のグレイにためらいはない。
まともに魔力がぶつかれば、ダリアには敵わない。生き恥をさらすくらいなら、死んだ方がましだ。
五分も止めればいい。
ダリアがずかずかと近づいてくるが構わない。
「カルマの知り合いの怪しい人物ですわね」
その呼び名はやめろ、グレイと名乗っただろ。
そう言いたいのをこらえて息を止めたままにする。
ダリアの両目が吊り上がる。
「ジャンに掛けた魔術を解きなさい。禁忌の魔術でしょう?」
応じる義理はない。
グレイは呼吸を止めたまま、心の中で笑う。だんだんと意識が遠のく。
そんな時に、脇腹を何ものかがつまんだ。同時に、グレイの身体が勢いよく空へ持ち上がる。
思わず振り向けば、黒い大鷲がグレイを嘴に挟んでいた。使い魔が主の身体を嘴で器用に持ち上げたのだ。
一瞬にして空の彼方へ消えていった。
ダリアの魔術さえ間に合わないほど、一瞬の出来事であった。
黒い大鷲の姿が見えなくなった時に、ジャンの表情が戻った。禍々しいオーラが消えて、無邪気な瞳が揺れていた。
ジャンは地面に両膝をついた。疲れ切っているようだ。
「ごめん……謝ってすむものじゃないよね」
絞り出すように言葉を紡ぐ。
「僕のせいでダリアは怪我をする所だったんだ。本当にごめん」
「そんなに気にする事ではありませんわ。私にはかすり傷もありませんし、悪いのは禁忌の使い手ですわ」
ダリアは微笑んで、ジャンの銀髪を撫でた。
「悲しい顔をしないでほしいのですわ。あなたの笑顔が救いなのです」
「ありがとう……僕の方が救われるよ」
ジャンは震え声で笑っていた。ヨロヨロと立ち上がる。
「ダリアに怪我がなくて良かったよ。本当におかしくなった後の記憶がなくて、怖かったんだ。でも、その前にダリアの優しさを感じていたんだ」
ジャンは俯いて、後ろ頭をかいていた。
「嬉しかったよ。ダリアが危なかったのに」
「私は正直者なだけですわ。あなたを手放す理由なんてありませんの」
「ありがとう! ダリアの言葉がふさわしい男になるよ!」
ジャンが顔を上げた。笑顔が輝いていた。
ダリアは深々と頷いた。
「その前に、禁忌の使い手をどうにかしませんと」
「そうだね。禁忌の使い手はグレイだと分かったし、父さんと相談してみよう。あれで意外と名案をくれる時があるから」
ジャンは村に戻る方向へ歩き出す。
「帰ろう! お腹がすいちゃったし」
ダリアはクスクス笑って後を追う。
二人の足取りは軽やかだった。
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