ジャンの歌
ダリアとジャンは森の中に入った。木と土の臭いで満たされ、穏やかな風が枝葉を撫でる。
山菜採りをするのだが、散策するのは、トッカータ村から近い場所だけに絞るようだ。
ジャンは大きなカゴを背負い、ダリアの前を意気揚々と歩いていた。
「高山には貴重な植物があるから、踏み込むべきではないと父さんが言っていたんだ。トッカータ村周辺だけで充分に山菜が採れるから安心してね」
ジャンはそう言った後で、鼻歌を口ずさみながら右腕を振り始める。ダリアが知らない曲だが、陽気なメロディーだ。
楽しそうで、ダリアの顔に笑みがこぼれる。
「素敵な曲ですわね。タイトルは何ですの?」
「ああ、僕のオリジナルだよ。タイトルはどうしようかなぁ」
ジャンが片手を顎に当ててうなる。歩きながら真剣に考え込んでいるのだ。
その動作が愛らしくて、ダリアは片手を口元に当ててクスクス笑う。
「あまり思いつめなくてもよろしくてよ。知らない曲でしたから興味を惹かれましたの。ジャンの歌なら納得ですわ」
「そうだ、ジャンの歌がいい!」
ジャンは足を止めて振り向いた。両目を輝かせて、勢いよくダリアを指さす。
「ダリアのおかげでいいタイトルが付いたよ! 僕の鼻歌のタイトルはジャンの歌だ!」
「本当によろしくて? もっといいタイトルがありそうですのに」
「いや、これ以上に似合うタイトルはないよ」
ジャンは両腕を組んで深々と頷いた。
「問題となるのは、僕が適当に作っているから、いい歌ができても二度と歌えないという事だよ」
「あらあら、もったいないですわね」
「ちゃんと作れば忘れないのかもしれないけど、僕が楽しければそれでいいや」
ジャンは、はにかんだ笑みを浮かべた。
「ダリアも楽しんでくれるといいな」
「楽しんでおりますわ。あなたは何もかもが面白いのですわ」
「そんなに面白いの!?」
ジャンの声は裏返り、両目は丸くなっていた。
ジャンの驚きっぷりに、ダリアは声を出して笑った。
「見ていて飽きませんわ!」
「ちょっと恥ずかしいけど喜んでくれるのなら嬉しいよ」
ジャンの両頬が赤面していた。照れ隠しに後ろ髪をかく仕草も、ダリアにとっては愛おしい。
和みと安らぎを感じていた。この幸せがいつまでも続くといい。
素直にそう願った。
しかし、ダリアは残念そうに溜め息を吐く。
不穏な気配がしたのだ。気を付けないといけない。
ジャンも気づいたのか、緊張した面持ちで茂みを見つめている。
「魔物がいるね」
ジャンが呟いた。
魔物とは、何者かに魔術を掛けられた動物の事だ。
ダリアは頷いた。
「殺気立ってますわね」
二人とも、魔物が襲い掛かるまで間もなくだと予測した。
案の定、耳の長い四つ足の獣が飛び出してきた。どす黒い空気をまとって、鋭い牙でジャンに噛みつこうとしている。
あまりに速い。
ジャンの聖術が間に合わない。
そんな時に、ダリアは冷静に魔術を唱える。
「暗き祈りよ我に力を、タイムストップ」
耳の長い獣の動きが、空中で不自然に止まる。獣は足をばたつかせるが、ダリアの呪縛を解く事ができない。
ジャンは安堵の溜め息を吐いた。
「助かったよ! 聖なる祈りよ我に力を、ステータス・リカバリー」
ジャンが聖術を放つと、獣が白く優しい光に包まれる。
やがて獣は穏やかな表情になる。鋭い牙も消えて、可愛らしい口元になっている。
ジャンは片手で、額の汗をぬぐった。
「噛みつかれるのを覚悟したけど、ダリアのおかげで無事にすんだよ。魔術を消してあげて」
「分かりましたわ」
ダリアが魔術を消すと、獣は地面に降り立って、茂みへと消えていった。
ここでふと、ダリアは疑問が沸いた。
「ジャンは今まで一人で魔物を元に戻していましたの?」
「そうだよ!」
ジャンは笑顔を浮かべた。
「怪我をする事もあるし、大変だけど、僕の聖術は自分の怪我も治せるからね。頑張ったよ!」
「そう……怪我をしてまで動物を救おうとしましたのね」
ダリアは憐憫の視線を浮かべた。
そして、ジャンをそっと抱きしめた。
この少年がどんなに傷を負いながら、周りのために頑張ったのか計り知れない。聖術だって変な目で見られたそうだが、おそらく人や動物を救い続けたのだろう。
彼自身が怪我を負っても、頑張り続けたのだろう。
一人で痛みを抱えた時もあるだろう。
ダリアの瞳が潤む。
「私から申し上げて良いのか分かりませんけど……あなたが無茶をして、あなたを大切に想う人を追い詰めないようにしてほしいですわ」
「そうだね……言われてみるとそうだよね」
ジャンは穏やかに微笑む。
「僕の事を気遣ってくれるなんて、ダリアは優しいなぁ」
「私のスローライフは、あなたがいなくては考えられませんの。お気を付けなさい」
「うん、気を付けるよ。幸い、魔物を元に戻すのはダリアのおかげで楽になったし、無茶をしないようにするよ」
不意に、ジャンが声を出して笑う。
ダリアは訝しげに首を傾げた。
「どうしましたの?」
「父さんが今の僕たちを見たらどう思うかな、なんて考えたらおかしくなったんだ。いつまでもこうしていたいなぁ」
「幸せを感じたのなら良かったのですけど、山菜採りを忘れないようにしましょう」
ダリアはジャンをそっと放した。
ジャンは残念そうな顔をするが、やがて回れ右をしてダリアの前を歩き出す。
「そうだね! いっぱい山菜を採って、トッカータ村のみんなを驚かせよう!」
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