第12話 飯テロ
数時間にわたる「勉強会」が終わった。外は薄暗くなっていた。
「じゃあ、さようなら。二人とも、気を付けてね。俺もついていこうか?」
アパートの小さな玄関先で朱雀大路が二人を送り出す。
「ありがとう。でも、大丈夫。私たちの家、ここから近いって知ってるでしょ。それより……」
東市が彼の耳元に、艶やかな口を近づけて囁く。
「今度するときは、私と二人きりで。ね?」
彼の顔が赤くなる。
「だ、だから、それをやめろーっ!」
――閑静な住宅街を二人の美少女が互いに距離をあけながらも並んで歩いている。彼女らがいるだけで、このつまらぬ風景は一瞬にして映画のセットのような風情を醸し出す。街灯の明かり一つ一つから道端の石ころまで、全てのものに芸術的な意味があるかのように見えるほど……。
「大体、なんであんたはいつも私と律君の時間を邪魔するのよっ!」
西市はやわらかな頬を膨らませながら怒って見せる。
「あら。もともと私が先に彼を誘っていたのよ。あなたが勝手についてくるから、優しい彼が仕方なくあなたを参加させてあげたのよ。さすが私の夫。心が広いわ。」
東市がその美しい眼差しで悪意のある笑みを浮かべながら答える。薄いフレームの眼鏡越しに長いまつ毛が輝いていた。
「ちょ、ちょっとっ!勝手にあんたの夫にするんじゃないわよ!」
西市が小柄な体で腕をぶんぶん振って怒っていたが、東市は大して話を聞いていなかった。
「あ、あんたね、律君を取られない自信があるからそうやってテキトーに流してるんだろうけど、私が本気を出せば律君はイチコロよっ!」
「へえ、日本語すら怪しいあなたが面白いことを言えるだなんて。」
「バカにしているといいわ。なんていったって、私にはこれがあるんだからっ!」
そう言いながら彼女は大きな胸を張って見せる。
「へっへーん。あんたの十倍、いや、百倍はあるわ。」
「……っ。か、彼がそんな大きいだけの下品な肉塊に惑わされるとでも思っているのかしら。そもそも、私だっておおき……大きいわ。大事なのは形よ。」
東市が対抗して大きく胸を張って見せる。途中、自分でも虚しく思ったのか、背筋を反らすのをやめて別の対抗策を打ち出した。
「せいぜいその程度の強みしかないあなたとは違って、私には圧倒的な魅力がある。」
いつものような静かな口調で、けれども強調するように言う。
「私には……」
「ごくり」
「第二形態がある。」
それを聞いて、西市はあきれ顔でため息を漏らした。
「私はいつも朱雀大路君が見とれるほどかわいいけど、眼鏡を外すと、もっともっとかわいくなる。」
「はあ。ひどい妄想だわ。ラノベのキャラに憧れてるのかしら。そんなに言うなら、ここで外してみなさいよ。」
「いやよ。ここで奥義を解放するわけにはいかない。美しい私の姿を見たあなたに欲情されては困る。」
東市がふざけて答えた。
「うぉえーっ。あんたの素顔見たって怒りが増すだけだわ。」
わざとなのか、そうでないのか、東市は西市の反応をさらっと流して、曲がり角に現れたコンビニを指差した。
「お腹すいた。あなたは行く?」
「あんた、律君の家でお菓子いっぱい食べてたじゃない。食べる割にはその大きさですか。ご愁傷様。」
西市が東市の胸に視線を送る。
「あなたも、まだその身長でいるのかしら。」
西市は少し心が傷ついた。
コンビニから出てきた二人は、すぐ近くの公園のベンチに座った。
「ほむほむほむほむ……」
東市は骨付きフライドチキンをサイダー片手に頬張っていた。
「あんた、太るわよ。」
「もふっ……あら、心配してくれているの?がぷっ、はむはむはむ……あなたにも良心は残っているのね。」
「ふんっ、どんどん食えばいいわ。そのまま太って律君に嫌われちゃえば、私の敵が減って都合がいいから。」
すぐ隣でチキンの匂いがするのは、糖分を気にしてミルクティーを我慢し、烏龍茶を飲んでいる西市にとってこの上ない試練であった。
「ずいぶん辛そうにしてるわね。もしかして、お腹すいちゃったのかしら。」
「べ、別に……」
「ほら。」
東市がもう一つチキンを差し出した。
「本当は一人で二つ食べようと思っていて、今も気が変わらずそうしようとしているところだけれど、あなたに貸しを作るためにこれをあげるわ。」
「ぐぬぬ……飯テロしたあんたが悪いんだからねっ!」
西市はそれを受け取ると、素早く紙袋を開けてあっという間に食べ終えてしまった。
「ふっ、あなたも私と同類ね。一緒に太るのよ。――いえ、私はそのままで、あなただけが太るのね。」
「う、うるさい!……な、なかなかの味だったわ。また食べたくなりそうだから今度からコンビニの前は通らないようにしないと……」
顔を赤らめながら肉汁あふれるチキンの感想を述べた。
「お金はいらないわ。私のおごり。」
「払うと言う前から……」
「あなたに貸しを作れたわ。」
普段は静かな表情なだけに、この時のいたずらっ子のような彼女の微笑みは、LEDの街灯に照らされてより印象深いものだった。
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