第6話 何気ない会話

「退部届……出していいよ……」


 あの一件以来、外京は菅原と会っていない。だが、時が流れるに連れて、夕日に照らされた彼女の頬を伝う輝きの残像は、彼の脳内で薄れるどころかより解像度が高まっていった。

「外京君!一緒に帰ろう。」

 面倒な女の登場だ。 毎日学校に行く途中にも、帰るときにも時間を合わせてわざわざやってくる。

「お前はなんで、毎日わざわざ俺のところに来るんだ!?」

「その……ほ、ほら、勝負に勝つために、対戦相手のことは、よく知っておかないと……」

「そうか。さようなら。」 

 そう言って外京は走って逃げようとしたが、足を踏み出す前に腕を掴まれてしまった。

「とにかく、一緒に話そう、ね?」

 そう言って彼女は、うろこ雲に夕日が差す空の下、外京の歩幅に合わせて隣を歩いた。途中で外京は、東大寺が頑張って彼に追いつこうとしている様子を見て、歩く速度を緩めた。それに気がついた東大寺は、彼に優しく微笑んで見せた。淡い光が彼女の茶色がかった髪の毛先を、緩やかな曲線の頬を、そして繊細なまつ毛を照らして輝いていた。

「ほら、君は優しい。」

 外京はその言葉を満更でもないと思ったが、同時に違和感を感じるのであった。

 途中で東大寺は、いつも通り過ぎるはずの公園を指差した。

「あー。なるほどね。滑り台で遊びたいならご自由に。俺は先に帰る。」

「ちょっと!バカにし過ぎ!私は滑り台で遊んだりなんてしません。そうじゃなくて、ほら。」

 錆びついた金具が鈍く輝く、年季の入ったベンチを指差して彼女は言った。

「一緒に、座ろう。」

「俺、早く帰って勉強したいんだけど。」

「何も話さなくたっていいから。ね?」

 外京は渋々と座り、英文法の参考書を広げた。隣に座った東大寺は、小説らしき本を広げて読んでいた。

「どう?いつもと違う場所に行くと、気分転換になるでしょ。」

「そうか?俺は別に……」

 それを聞いて東大寺は溜息をついた。

「はあー、分かってないなあ。ほら、耳を澄ませると聞こえてくるでしょ?」

 彼女は目を閉じて、穏やかな口調で語り始めた。

「緩やかな風が、木々を揺らす。木の葉が大きな音をたてる。オレンジの空の下、烏が日没を告げ帰っていく。 近くで清流のせせらぎが聞こえる。ほら、森の中にいるみたいでしょ。」

「清流ってのは……あれの音か?」

 外京は電柱に小便をかけている犬を指差した。

「ええっ!?ちょ、やだ、わ、忘れて!」

 外京に言われて目を開けた東大寺は取り乱して、沈む夕日よりも顔を赤くした。犬は二人に興味がなさそうな様子で、だらだらと歩いてその場を去ってしまった。

 少し時間が経過した後、落ち着きを取り戻した東大寺が口を開いた。

「外京君……蓮ちゃんと喧嘩したよね。」

「どうして……わかるんだ……?」

「え?いや、ええっと……ほ、ほら、私、蓮ちゃんと友達だからさ……なんとなく、そう思っただけ。」

 菅原も東大寺もどうして俺に起きたことをわざわざ把握しているのかと、外京は呆れた。

「で、なんだ?俺が謝罪するべきだってことか?確かに、そうだよな……」

「そんなことを言いたいわけじゃないよ。今後どうするのかは君に任せる。これは君と蓮ちゃんの問題。」

「じゃあ、何が言いたいんだ?」

 東大寺は優しい眼差しで外京と目を合わせた。背後から太陽の光を受けて、穏やかな輝きを放っていた。

「もし、悩み事があるなら、いつでも私に相談して。そばにいるよ。」

 その言葉は、彼の心を捉えて離さなかった。外京はまた、心地よいようで不気味な感触を覚えた。

「 でもね、伝えたい事があるなら、ちゃんと言葉にしないと、伝わらないよ?」 寄り道した場所で、今まで気付けなかった近道を彼女は教えてくれた。だが、その近道に足を踏み入れるのは彼にとって勇気が必要なことだった。急がば回れと彼は自分に言い訳をした。

「あ、ああ、そうだな。わかったよ……」

 そう言って外京は本を鞄にしまい立ち上がった。

「ああっ、置いてかないでよー。」

慌てた東大寺が、本を落とした。開いたページが、外京の目に入った。彼は文字を読むのが速かった。だからある個所が気になった。

「(物語か……人物の台詞が、さっき言われたことに似ているな。ただの偶然か……?)」

 東大寺は急いで本を拾い、鞄にしまい込んだ。そこまで見られたくなかったのだろうか。

「さ、さあ、行くぞー」

 暖かい空気を、温かい声が動かした。

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