第3話 下校イベントは発生しない
「私が勝ったら、その次の模試であなたにもう一度勝負してもらいます。」
放課後になって、外京はこの発言の意図が気になり始めた。どうしてわざわざ二度も勝負をしたがっているのだろうか。一度勝ったのに、もう一度負けるリスクを負う必要があるのだろうか。それとも、彼女には勝つこと以外の目的があるのだろうか……いずれにせよ、こちらが勝てばあの面倒な奴とはおさらばだ。普段通りの成績を叩き出せば負けることはない。寝不足気味だから今日は早く帰って寝なければと教室を出ると、廊下に東大寺がいた。
「待ったよ、一緒に帰ろう。」
面倒なことになった。しかし、待ったとはどういうことか。まだ終礼が終わったばかりだ。
「一人で帰るから。さようなら。」
「ああっ、待って、行かないでよ。話に付き合ってくれなくてもいいから。ただ、あなたの隣を歩かせてほしいだけ。」
外京はその言葉に、心地が良いようで不気味な安心感を覚えた。
「ご、ごめん、変なこと言っちゃったね。で、でも、お願い。私、いいって言ってくれるまで諦めないよ。」
面倒くさい奴、だけどどこか嫌いになれないような振る舞いだ。
「勝手にしろ。」
「なんだかんだ言って、やっぱり君は優しいんだね。」
不自然な会話を交わした二人は歩き始めた。雲の隙間から差す日の光が窓ガラス越しに廊下を淡く照らしていた。誰かと一緒に下校するのは何年ぶりだろうか。高校でもクラスでたまに話す程度の友人はいるが、勉強時間を確保するためにいつも先に帰っている。付き合いが悪いと彼らには思われているだろう、などとぼんやりと考えながら歩いていると、階段からもう一人、面倒な奴が飛び出してきた。一本結びの長い髪がなびいていた。
「部活!」
と言った
「ゲキョウ、あんた、サボりすぎ。一応、副部長なんだから、ちゃんと来なさい。」
「あちゃー、先約があったのかあ。残念。では、外京くんは蓮ちゃんにお返しします。」
「『返す』って……へ、変な言い方しないでよ!」
「じゃあ、お二人でよいひと時をー。」
「だからその言い方……ほら、露骨に嫌そうな顔してないで、来なさい、ゲキョウ。」
外京は部活に行くくらいなら一人目の面倒な奴と一緒に帰るほうがマシだったと思った。岩のように固まり微動だにしない外京は、菅原に引っ張られて無理やり連れていかれた。東大寺は柔らかな微笑みで彼らに手を振った。
菅原は部室に外京を引きずり込むと、後輩たちに挨拶をした。彼らが活動する美術部は、三年生と二年生がそれぞれ二人、一年生が十三人所属しているという、極端に偏った構成になっている。そのため一年生たちが集まる賑やかな席に比べて、二年生と三年生はほぼ無音といってよいほど静かである。
「ほら、座りなさい。」
菅原は外京の正面に机を移動させ向かい合うようにして座った。
「ゲキョウ、あんた、三月と勝負するんだって?」
「え、どこで聞いたんだよ。もしかしてお前、俺に盗聴器付けてたりする?」
「んなわけないでしょ!私と三月は友達で、三月に直接聞いただけ。それより、あんた、三月に勝ったら部活を辞めるって……どういうことなの……?」
「え?ああ、受験があるから、勉強時間を確保したいと思って。まあ、既に昨年からほとんど来てないけどな。」
「それなら……大して変わらないじゃない、別に名前だけでも置いておいてくれたって……もしかして……あんたを無理やり入部させたの、やっぱり嫌だった?本当に、ごめんね……」
「いや……そんなこと言ってないって。確かに最初は嫌だったけど……今はむしろ……感謝してる。」
「そ、そう。あんた、意外と優しいのね。」
「別に。本当のことを言ったまでだ。」
その後、少しの間沈黙が続いた。日がほんのわずかに動いたように感じられたとき、菅原はようやく口を開いて言った。
「どうせ、あんたが勝って部活やめちゃうんだろうし……いや、別に三月が勝てないだろうって思ってるわけじゃないんだけどさ、あんたはこういうとき、絶対に勝つから……だからさ、最後に言っておきたいんだけど、私……」
彼女の背に差す夕日が、その真剣なまなざしを一層引き立てた。
「私、私立専願に変更するって決めたから!だから……それで、あんたが受ける大学、教えて。同じ大学、受けるから。」
その言葉を聞いて、外京は脳裏に焼き付いて離れない、あの時の経験を思い出した。彼は口を開かなかった。
「それで、私、あんたと同じところに受かって、あんたにがつんとやってやるんだから。今は学年二位だとか言われて得意になってるんだろうけど、この私が……」
「ごめん。それだけは、聞き入れられない。」
「は、はあ?な、なによ、あんた、まさか、私が受からないとか思って……」
「そうじゃ、ないんだ……俺は……そういうことはもうしないって、前に決めたんだよ。」
「じゃあ、それなら……なんで、なんで三月の勝負は受けるの?」
それは外京自身にもわからなかった。ただ、東大寺が持ちかけた勝負は彼のポリシーに反していなかった。菅原の言っていることとは根本的に何かが違った。それだけだった。
「とにかく、お前がその調子で俺に関わっていると、そのうち……お前が嫌な思いをするかもしれない……だから……だから、前と同じ距離感で、俺と接してほしい……」
「何、それ……どういうこと……?わからないよ。結局、私のことが邪魔だっていうわけ?それなら……」
「そうじゃなくて……俺はただ……」
「そう……なんでしょ?ごめんね、本当に……やっぱり私、迷惑だったよね……もう、無理やり部活に連れて行ったりしないから。退部届……出していいよ……」
彼女は何かをこらえるように、言葉を振り絞って席を立った。
「待って、そういうことじゃなくて……」
その言葉は、彼女に届く前に扉に遮られてしまった。
話し相手が居なくなった外京は、静かに椅子の上で佇んでいた。
「こんなやり方じゃだめだったのか……?でもこうしなきゃ……俺は、またあの時みたいに……」
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