第2話 春は六月に訪れる

「外京君、私と……」

 外京はその時、どうすれば相手を傷つけずに告白を断ることができるか、脳内の辞書を片っ端から引っ張り出して当たり障りのない言葉を探していた。会ってから三分くらいしか経過していないが、目の前にいる可愛らしい少女は「素直そうな子」という悪くない印象を彼に与えていた。しかし勉強に専念すると過去に固く誓った彼にとっては、彼女を作るなど言語道断、ここまで順調に進めてきたある計画を無下にすることに繋がる。一人で進むはずだった道に誰かが割り込んできて、そいつと一緒に道を逸れて奈落の底へ向かうようなことが、もう二度とあってはならない。そのようなことをあれこれと考えていたが、彼女の言葉を全て聞き終わると、彼は先ほどの自分を殴りたい衝動に駆られた。

「私と勝負、してください!」

 彼は最初から告白されるなどと思い込んで、勝手に断る方針を固めた上、相手に申し訳ないなどと素晴らしい慈悲の念を抱いていた自分を非常に恥ずかしく思うとともに、意外にも自意識過剰であることが判明した自らの思考回路に吐き気を催した。しかし、勝負とはどういうことだろうか、変な奴はどこにでもいるものだ、適当にあしらってこの場を逃げよう、とさっき散らかした脳内を即座に整理し、丁寧にお断りした。

「無理です。ありがとうございました。」

 そう言って彼女に背を向け、引き戸に手を掛けた。慌てて少女が声を上げ、腕を掴んで引き留めてくる。

「ちょっと、待ってよ、頑張って伝えたのに、その一言で終わりにしないでよ。」

「いや、急に言われても意味が分からないんだよ。そもそも、勝負ってどういうことなん……」

「よくぞ聞いてくれました!いやあ、本当は興味あったんですねえ、それならそうと早く言ってくれればいいのに……」

 嬉しかったのだろうか。恥じらいを見せながらも饒舌になっている。

「興味があるとは言っていない。」

 外京の関心を引き付けたと見込んで東大寺が話し始めた。

「この学校に入ったばかりの時、私は色々な事情があって自暴自棄になっていました。そんな中で、あなたが模試の順位を着々と上げていくのを目にしました。それで、もう一度頑張ってみようって思えたんです。それから私は高みにいるあなたを目指して、勉強に励んできました。いつか、私の恩人、あなたと戦いたい、そう願いながら……。あなたにとっては大したことじゃないのかもしれませんけど……私、今回国語で三位取ったんですよ。名前……載ってるの見てくれませんでしたか。」

「?」

「あ、私のこと、全く伝えてなかったですね、すみませんでした……私、三年三組の東大寺三月です。」

「ああ、東大寺さんね。うん、国語のところに載っているの、見たよ。」

 嘘だ。本当は彼は東大寺の名前があったことなど覚えていない。それどころか、他の生徒の名前もほとんど確認していない。せいぜい朱雀大路が毎回一位であること程度しか把握していない。彼にとって最も重要なのは自分の成績だけであるからだ。それでもわざわざ虚言を吐いたのは、必死の努力を認められないことが本人にとってどれほど苦痛であるか、彼自身が知っていたからだ。東大寺が彼の嘘を聞いて笑顔を見せた時、彼は少しばかり安心した。

「じゃあ、頑張ってね。応援しているよ。さようなら。」

「ありがとう……って、ちょっと、待ってよ、お願いがあるんだってば。」

「『勝負』のことか?面倒だから断る。」

「お願いだから。次の模試であなたが勝ったら、私にできる範囲のこと、何でも……してあげるから。」

 ラノベにありがちな展開である。

「それなら……俺が今入っている部活で、俺の代わりに副部長をやってくれないか……?早く辞めたいけど、引退が11月頃だから困っているんだ。部長に相談したけど、副部長がいないと困ると言って辞めさせてもらえないんだ。」

 外京は紳士であったので、変な要求はしなかった。

「部活を辞めたい……うーん、私は辞めないほうがいいんじゃないかと思うけど……君がそう言うなら、分かったよ。」

 東大寺は外京をしっかりと見て、真っ直ぐな眼差しを向けて言った。 

「では、私が勝ったら、その次の模試であなたにもう一度勝負してもらいます。」

 

 教室に戻ると、彼の友人がからかうように言った。

「いやあ、外京サンにも春が来たんですねえ、デュフッ。」

「そういうのじゃないから。むしろ厄介事に関わることになった。」 

「そうですよねえ、いやあ、外京サンだけ我々を置いていってしまうのかと思いましたよ、裏切りはいけませんよ、デュフッ。」

 厄介といいながらも、外京はいつか忘れてしまったわずかな胸の高鳴りを感じていた。この最悪な天気の日に、春は遅れてやってきた。

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