なんばーつー!

京巧桃

一学期

第1話 桜

 桜の樹の下には死体が埋まっている。戦いの中で倒れた者は養分となり、彼らの流血で花弁が紅く染まる。そして無慈悲な争いを勝ち抜いた者だけが、鮮やかに色づいたその地を踏む資格を得る。これは毎年何万もの学徒たちがペンを武器に殺しあう奇妙な戦争である。志半ばで死していった者たちの夢の跡が散乱する東京の一角、戦わずして凱旋の時を迎えた彼は、身に覚えのない血だまりの上を歩いていく――


「いやあ、すごいなあ、『朱雀大路すざくおおじ』は……また全科目一位だよ。」

 廊下に模試の上位者が貼り出され、人が群がっている。

「また『朱雀大路』が一位かあ。あいつ、これだけの成績を取っている上に顔もいいとか、天は二物を与えちまってるじゃねえか。そのうえ女の子二人も連れてるなんて。はあ、俺も頑張ってるのに。どうしてあいつみたいにモテないんだ。」

「簡単な理由だろ。お前、下から数えた方が早いじゃねえか。」

「うるせえー!これ以上心の傷をえぐらないでくれよ。」

「まあまあ、俺に負けたからってそう怒るなって。悔しい気持ちは理解してやるよ。お前もよく頑張った。認めてやろう。」

「お前、俺と一点しか変わらねえだろ。」

 様々な会話が入り乱れる。

「ちょっと、あれ、朱雀大路くんじゃない?」

「本当だ!聞いていた通りイケメン!」

「王子様ー!」

 女子たちが黄色い声をあげている。王子様というのは彼の端正な容姿と苗字からできたあだ名らしい。騒がしい群衆をかき分け、朱雀大路律すざくおおじ りつ、いや、彼を引き連れた二人の女子が張り紙の前に立った。

「なあ、東市、西市、俺はこういう場所で目立つのが苦手なんだよ。わざわざ確認しに行かなくてもいいんじゃないかな。」

「大事なのはあなたの順位じゃない。わざわざ確認しなくても、あなたが一位を取るのは当然だから。」

 朱雀大路の右腕をそっと持つ東市左京ひがしのいち さきょうが平坦な声で静かに話す。掛けている眼鏡が粗末に見えてしまいそうなほどの美しい目、ストレートに下ろした艶やかな黒髪。彼女は誰もが憧れる端正な容姿を持つ、まさに美の定義と称してもよいほどの存在である。

「そうよ。私たちは勝負してるのよ。今回こそ勝って律君を返して貰うんだから!」

 朱雀大路の左腕にへばりつく西市右京にしのいち うきょうが、幼い少女のような声を上げる。整った顔立ちに小柄な体で、茶色がかった髪は丁寧にツインテールにまとめられている。彼女が「カワイイ」を体現した完全体であることに異議を唱える者はこの学校に、いや、世界のどこにもいない。長らく彼女たちは、どちらが朱雀大路と付き合うかをかけて争ってきた。今回の模試もその戦いの中の一環らしい。

「くう、負けた。次はあんたに勝つんだから!」

「これで何度目かしら。あなた、今までの勝負で悉く私に負け続けているじゃない。諦めてはどうかしら。」

「う、うるさい!私、次は負けないんだから!」

「あら、そう。では気が済むまで相手をしてあげる。私が勝つに決まっているから。」

 西市は十位という好成績を収めたが、東市を相手取るのは分が悪い。東市は三位であるからだ。

「そもそも!どうして私があんたと勝負しなきゃいけないのよ。朱雀大路君と先に仲良くなったのは私よ!小学校からの付き合いなのよ!」

「あら。私は幼稚園の時に知り合ったけど。」

「い、いつもそう言う!大体あんたは……」

「まあまあ、落ち着いて、一時休戦ってことで、教室に戻ろうよ、ここにいると目立つから……。」

 大人数の視線を感じた朱雀大路が二人をなだめる。この一連の流れは模試の結果が出るたびに繰り返されているので、彼らはすでに有名人となっていた。

 彼はこの状況を快く思っていない。というのも、男一人を挟んで美少女同士が言い争いをしている様子は注目を集めてしまうからだ。二股疑惑をかけられてしまっては非常に都合が悪い。社会的な死を恐れるこの学校の王者は二つの美しい爆弾を丁寧にあしらい、教室へと戻っていった。

「あいつもあいつで、大変なんだなあ。まあ、俺なら東市さんを選ぶかなあ。クールな美人、いいよなあ。」

「いやいや、西市さんだろ。あのかわいさに勝てる子はいない!」

「お前はああいう子が好きだよな。もしかしてロリコンか?犯罪者予備軍だな――あれ、『ゲキョウ』ってやつ、今回も二位だな。」

「あ、本当だな。あいつ、せっかく二位取ってるくせに、見に来ないんだな。俺だったら大声で自慢してやるのに。」

 見に来ていないのではない。この場にはいるのだが気づかれていないだけである。朱雀大路に次ぐ成績の持ち主、外京紀人げきょう のりひとは順位などには目もくれず自分の偏差値だけ確認すると、誰にも気づかれずに足早にその場を去ってしまった。

「今回は総合偏差値68.2……問題ない……」

 梅雨が間近に迫っている。雨のせいで曇った窓が並ぶ廊下を彼は一人まっすぐと進み、「3-2」の札がかかった扉の中に消えた。

 教室の中は重苦しい雰囲気である。湿度のせいか、受験生達の不安が蓄積されているからか、それとも彼自身が勝手にそう感じているだけなのかは分からないが、低気圧が肩にのしかかるように感じる。最前列、窓際の席に腰かけると、塵と結露で濁った窓に昨日の強風で飛んできた山梔子くちなしの花弁が張り付いているのを見た。すぐさま鞄の中に視線を移し、手探りで探し物をする。昼休みの時間を無駄にしないように、英単語帳を――。

 不意に自分の名前が呼ばれたような気がした。睡眠時間を削ったせいで疲れが溜まっているのだろうか、今日は早めに寝なければ。

「外京君……外京紀人君は、いませんか?」

 空耳ではなく、本当に呼ばれていた。声の主は見知らぬ女子だった。

「あ、ここに座席表があった、あはは、気づかなかった、えーっと、外京君は……あった!」

 じめじめとした今日の天気に似合わない、軽やかな空気をまとった子が近づいてきた。

「外京君だよね、ちょっと、話したいことがあって……来てもらっていいかな?」

 黒髪のショートヘア、すっきりとした顔立ちをしたかわいらしい女の子が、澄んだ瞳で覗き込んできた。空模様は変わっていないのに、太陽は厚い雲に隠れたままなのに、その少女がいる目の前の光景は輝いて見えた。

 外京はその申し出を断りたかった。そもそも彼は彼女と面識がない。大体こういう時に呼ばれるとろくな目に合わないことは、彼の経験上予想がついていた。それに彼には英単語の復習というやるべきことが残っている。告白で呼び出されているということは……まず、ないだろう。それは彼自身にもわかっていた。

 しかし彼はそのようなことを考え終わらぬ間に、

「うん……わかった……」と、彼女の美しく、真っ直ぐな眼差しに負けてつい反射的に答えてしまった。彼女は嬉しそうな、それでいて少しばかりの安心が混じったような微笑みを見せ、じゃあついてきて、と先を歩いていった。

 戸惑いの混じったような足取りで、外京は廊下を歩く彼女の後ろを歩いた。清掃員のおじさんが、くたびれた雑巾で丁寧に窓を拭いていた。さっきは曇っていたガラスが綺麗な透明を取り戻し、灰色の雲を横切る虹を冷たい枠の中に収めていた。

 しばらくして、空き教室の前に来た。

 教室に入ると目の前で彼女は立ち止まり、軽やかな髪を揺らしながら振り向いた。緊張で震える手を隠そうとしているのか、体の後ろで組んでぎゅっと力を入れて握りしめているのが、強張った肩と火照った顔から伝わってくる。

 彼はこの状況から勝手に、彼がこれから言われるであろうことを察した。冷静にふるまおうと意識するが、彼の鼓動も心臓が跳ね上がりそうなほどに大きくなっていく。

「外京君、私と……」 

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