2.negative image ~陰画



 恥の多い生涯を送ってきて…障がい者になってしまいました。


 あるいは、予防接種の副作用かもしれない。その日に、私は痛かったんだか何だか、ものすごく、火のついたように泣いたそうです。後年に、「予防接種の弊害で発達障害になる」事例がありうる、という情報を得た。

 大久保利通という明治時代の偉人が暗殺された日の朝に、出かけようとした父に取りすがって、彼の幼い娘が、猛然と泣き喚いたという逸話があります。子供の直感というものも決して侮れない…かもしれない。


 一見ではわからないが、その注射以来に、脳味噌だかどこかに致命的な欠陥が生じたのかもしれない。利発な子供で、適応もよくて、将来を嘱望される感じだったのに、なんだかどこかアンバランスで、いびつな、「嫌な餓鬼」みたいになってしまったのだ。


 それ以来に、人生の時間の基調音は、どこか破調というか歪なニュアンスを帯びるようになった。誰にも相手にされず、ひたすら疎外されて、嘲笑され、孤独でいることを余儀なくされた。

 確かに「状況変数」、あるいは「文脈効果」というのは現実の通低音として常に確固として存在していて、どういう存在も無視することは能わない。

 ハイデッガーという哲学者が、インナーヴェルトザイン、世界内存在、人間のことをそう定義したのと同じことです…たぶんそうだと思う。

 社会学という学問の本の帯には「人間の相互関係について」とあり、「社会の中の人間」というタイトルの書籍もある。

 読んでみると、過去の現実のあれこれの場面が思い浮かぶけれど、そのどれひとつとして、明るい思い出ではない。「社会」との相互関係というのはつまり自分にとって「地獄」か、せいぜいが灰色の白っちゃけたニュアンスのお笑い種でしかない。

 なかった。

 現実世界というのは、ちょうど、カフカの不条理文学のような、自分にとってそういう気味の悪いものでしかなかった。

 

 そもそもの人生の濫觴、あるいは黎明、揺籃、なんでもいいが、ずっと始めの頃の思い出、追憶の情景は非常にビビッドというのか、天然色で、生き生きしていたという、かすかな遠い記憶があって、しかし、エピソード記憶にさえ、なんらかの瑕疵?が、予防接種の際に生じてしまって?そのどうしようもない「蹉跌」が、人生全体に暗い影を落としていて…


 ひたすら行き当たりばったり、支離滅裂、無意味無目的、笑えない喜劇、嗤われるだけの悲劇、茶番、腐った気違い沙汰が、気持ちの悪い嘔吐を催すような雰囲気の中で繰り広げられてきたという、それが俺の人生というヤツやったんやー


 責任者出てこい!

 責任者出てきたらどうすんねん?

 あやまったらええねん!


 滑稽と悲惨、滑稽と悲惨、滑稽と悲惨…


 夜郎自大と大衆迎合、夜郎自大と…








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