10

 東京に戻ってきた薫は、いつものようにうどん屋で働いていた。今の作り方で満足できていなくても、それは自分への罰だ。過ちを犯してしまったのだから。


 薫は今日も頼れる店長として頑張っている。でも、いつまで経っても報われない。自分はここでやるべきではない。いつか香川県に戻って、本物のうどん職人をやらなければならない。だが、それはもうかなわないかもしれない。


 そこに、スーツを着た1人の男がやって来た。その男は中年の小太りの男性だ。薫はその男に目もくれずに、うどん作りを一生懸命していた。


「いらっしゃいませ」

「釜玉の小で」

「はい」


 男の注文を聞くと、店員はすぐに熱いうどんを盛りつけ、生卵をのせた。


「どうぞ」


 男はすぐに会計をして、席に向かおうとする。だがそこで、1人の男を見つけた。薫だ。その男は、薫の事を知っているようだ。薫も男を見て、反応した。


「あれっ、あの時の刑務官じゃん!」

「ああ。来たんだよ。なかなか頑張ってるじゃないか?」


 その男は薫のいた刑務所の刑務官だ。今日は休みで、たまたまこのうどん屋にやって来た。まさか薫がここで働いているとは。なんという偶然だろう。


「ありがとうございます」


 薫はお辞儀をした。すっかり更正して、ここで一生懸命頑張っているのを見ると、刑務官をやっていてよかったと思える。


「あれからどうだい?」

「頑張ってますよ」


 薫は笑みを浮かべている。前科があるとはいえ、ここまで頑張って、今では店長を務めるまで頑張った自分を誇りに思っているようだ。


「今は店長だっけ?」

「うん」


 刑務官は驚いた。店長にまで上り詰めるとは。噂で聞いたが、うどん職人としての腕は一級品だ。栄作と仲直りできずに、香川で一緒に働く事ができないのは残念だが、店長になったのは感心する。


「ここまで上がるもんだな」

「実力だよ」


 薫は鼻高々だ。だが、それで満足できていない。故郷に帰って、栄作と一緒に働かなければ、満足できない。


「そうなの、かな? 僕の父さんは讃岐うどんの有名店の大将なんだけどな」

「ああ、そうらしいね。あの店、行ってみたいな。けっこう有名だから」


 刑務官は知っている。薫の父、栄作は香川県では名の知れたうどん職人で、香川県で一番と言われているほどだ。栄作の店、『池辺うどん』は観光案内には必ず載るほどの人気店だ。大型連休ともなれば、大行列ができるほどだという。


「本当?」

「うん。香川県に行ったら行ってみたいなって」


 刑務官はあまり休みが取れない。だけど、大きな連休があれば、香川県に行ってみたいな。そして、池辺うどんで本場の讃岐うどんを食べたいな。


「ぜひ。でも、満足してない部分もあるんだな」


 刑務官は首をかしげた。それでも満足できない部分って、何だろう。こうして店長になっても、まだ満足できてないとは。


「何?」

「打ち方が父さんのに比べて簡素なんだよ」


 刑務官はあまりわからないようだ。うどん作りはやった事がない。ただ、生地をこねて、踏んでコシを出すぐらいは知っているが、それ以上にどんな工程がるのかはわからない。


「そうなんだ」

「踏みが短いし、2度目の踏みがないし」


 2回も踏むとは。テレビで見た体験学習では、1回だけなのに、2回に分けて踏むとは。これだけしないと、本物の讃岐うどんにならないんだな。


「父さんのうどん打ちって、どんなの?」

「1時間の踏みを2回に分けてやるんだって。体験学習は1回だし、踏みが短いんだよ」


 1時間を2回に分けて踏むとは。体験学習のとは比べ物にならないな。体験学習のはいったい何だろうと思うぐらいだ。


「そんなにも?」

「ああ。これだけこだわってるんだよ」

「そうなんだー」


 刑務官は薫の肩を叩いた。こうして頑張っている薫に感心しているようだ。これからも店長として頑張ってほしいな。そしていつか、香川県で栄作と一緒に頑張ってほしいな。


「それにしても頑張ってるね」

「ありがとうございます」


 刑務官はうどんをすすっている。薫はそれを嬉しそうに見ている。こうして自分の作ったうどんをおいしそうに食べているのが、とても嬉しい。


「いつか、父さんと一緒に頑張れるの、楽しみにしてるよ」

「ありがとう」


 刑務官はあっという間にうどんを食べ終えると、すぐに席を立った。刑務官のためにも、これからも頑張らないと。頑張っていれば、きっと栄作も振り向いてくれるだろう。


「じゃあね」

「ありがとうございました」


 刑務官は店を出て行った。薫はその後姿をじっと見ている。


「どうしたの?」


 薫は振り向いた。そこには店員がいる。薫が客と話しているので、気になったようだ。あの客は、薫と何か関係があるのでは? どんな関係なのか、話してほしいな。


「僕がお世話になった刑務官なんだ」

「そうなんだ。まさか来てくれたとは」


 かつてお世話になった刑務官が、ここに来てくれるとは。なんという偶然だろう。ここで頑張っている姿を見れて、幸せだろうな。


「僕も驚いたよ」

「さて、頑張らないと」


 薫は再び気合を入れた。お世話になった刑務官のためにも、これからも頑張らないと。


「うん! 私も頑張らないとね」


 店員も気合が入った。店長の頑張る姿を見ると、自分も頑張らないとと思えてくる。


「父さん・・・」


 薫は空を見上げた。きっと栄作も同じ空を見上げている。今頃、栄作は何をしているんだろう。とても気になる。


「いつか、会えるといいね」


 店員も願っていた。いつか、薫と栄作が同じ場所で働く日が来るように。

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