11

 薫はその後も働いていた。こんな事をしてしまったが、もっともっと頑張らないと。きっと頑張っていれば、いつかいい事が起こるに違いない。だけど、いつになったそうなるんだろう。先が全く見えない。


 薫は時計を見た。そろそろ退勤の時間だ。今日もいろいろあったけど、また明日頑張ろう。


「さてと」


 薫は道具を片付けた。片付けて、帰るまでが仕事だ。


「お先に失礼します」

「お疲れ様ですー」

「お疲れ様ですー」


 薫は高松製麺を出て行った。従業員はその後ろ姿を見ている。とても頼もしい後ろ姿だ。本当に元犯罪者なのかと思ってしまう。


「さてと帰ろう帰ろう」


 薫は最寄り駅に向かって歩き出した。すでに日は暮れて、辺りは暗くなっている。日中は多くの人が歩いていたこの通りは、夜になるとサラリーマンが行きかう。そのまま帰宅する人もいれば、この近くにある居酒屋で飲んでから家に帰る人もいるだろう。薫は彼らの姿を、栄作と重ね合わせた。栄作はお酒は飲まないものの、かなり怖い。この人たちを見ていると、どこか栄作を思い出してしまう。


 薫は駅の構内に入った。朝は多くの人が行きかっていた駅も、比較的静かだ。だが、夜になっても多くの人が行きかっている。その中心はサラリーマンだ。彼らはこれから、家に向かうのだろう。家に帰れば、家族がいる。だけど、自分には家族がいない。もう別れてしまい、この広い東京23区の中、1人で暮らしている。彼らの姿を見ると、栄作を思い出す。もう帰れない、会えない、香川に帰れないと思うと、涙が出そうになる。だけど、自分の犯した罪でこうなってしまった。その戒めをしっかりと受けないと。


 薫は電車に乗り、夜景を見ている。そこから見える家の明かりを見て、薫はうらやましく思った。あの光の中には、家族がいる。家族がいれば、こんなに暖かく思えるのに、自分にはもう家族と会えない。


 薫は自宅の最寄り駅に着いた。駅は静まり返っている。朝の騒然とした雰囲気が嘘のようだ。薫はため息をついた。自宅まではあと少しだ。あと少し歩けば、ゆっくりできる。


 薫は自宅のあるアパートにやって来た。薫は月を見上げた。今頃栄作も、この月を見ているんだろうか? だけど、2人の絆はすでに途切れてしまった。もう元通りにならないだろう。


 薫は部屋に戻ってきた。薫は明かりをつけた。だが、そこには誰もいない。薫はため息をついた。いつもの光景なのに、いまだに慣れる事ができない。栄作と住んでいたあの頃が懐かしいのだ。


 薫はテレビをつけた。だが、あんまり見たい番組が見つからない。あれこれチャンネルを変えても、なかなか見つからない。いつもの、つまらない日々が過ぎていく。


「寂しいなー」


 薫はNHKにチャンネルを変えた。すると、香川県の讃岐うどん特集がやっている。薫は思わず顔を上げた。もう絶縁したとはいえ、香川県の事、讃岐うどんの事がテレビに出ていると、なぜか見てしまう。


「ん? 香川県の特集がやってる」


 薫はそのチャンネルをじっと見ている。まさかテレビでやっているとは。いったいどこのが紹介されるんだろう。まさか、池辺うどんだろうか?


 まず紹介されていたのが、綾川町だ。まさか、故郷の綾川町が出てくるとは。


「あれっ!? 綾川町だ!」


 まず紹介されているのが、山越うどんだ。ここは釜玉うどん発祥の店で、大型連休になると数時間の行列ができる。まさか山越うどんが紹介されるとは。薫テレビの前に釘付けになった。ひょっとしたら、池辺うどんも出るんじゃないかと思えてきた。


「あっ、山越うどん! 釜玉発祥の店だ!」


 山越うどんの名物、釜玉うどんをおいしそうに食べる人々の様子が映し出されている。彼らはとても楽しそうだな。自分はここから追い出されたんだけど。


 次に紹介したのは、なんと池辺うどんだ。薫は驚いた。まさか、栄作が大将を務めているうどん屋が紹介されるとは。薫はそれ以上に釘付けになった。


「えっ、池辺うどん!?」


 テレビでは、栄作が頑固な雰囲気でインタビューを受けている。薫はその様子をうらやましそうに見ている。自分もこんな風に受けたかったな。だけど、そんなのもう受けられないだろう。


「父さん・・・」


 栄作は店の事を話している。そして、来ている客がここのうどんの素晴らしさを言っている。


「かっこいいなー。憧れだったのに・・・」


 薫は泣きそうになった。こうしてインタビューを受けている栄作がうらやましい。自分もインタビューを受けたいのに、受けられない。


「もう会えない・・・」


 薫は少年時代を思い出した。子供の頃、栄作のうどん作りの様子を見て、自分もうどん職人になりたいと思ったあの日。逮捕するまでは順調だったのに、あの日を境に変わってしまった。出所して、こうやってうどんを作っているけど、やっぱり栄作と一緒に池辺うどんで働くのがいいよ。


「会いたいよ、父さん。一緒にうどんを作りたいよ・・・」


 栄作はインタビューに答えている。だが、薫の事は全く口にしない。まるで薫という実の息子は知らないと言っているかのようだ。すっかり忘れているように見える。


「父さん・・・、もう息子の事は言わないんだな・・・」


 と、そこに1人の中学生と思われる青年がやって来た。その青年は私服を着て、店を手伝っている。まさか、栄作の別の息子だろうか? それとも、新しく入ってきた従業員だろうか?


「あれっ、この子・・・」


 と、その子について聞かれた栄作は、この子は自分の子供じゃないが、まるで親のように育ててきたから、息子同然だと言っている。その子を見て、薫は思い出した。あの時、修学旅行でやって来た『池辺』という名札を付けた青年だ。まさか、栄作の養子だったとは。


「本当の子供じゃないんだ・・・」


 そして、その青年をテレビは、『天才うどん打ち中学生』と言っていた。まさか、そう言われるまでに成長しているとは。さすがは栄作に育てられた子だ。自分もそうだが。


「天才少年・・・。そんな子がいたのか・・・」


 薫はその青年の様子をじっと見ている。その青年の真剣な表情を見ていると、栄作を思い出す。あの子はいつか、池辺うどんを継ぐんだろうか? 自分が継ぐべき存在だったのに。


「この子が後を継ぐとは・・・」


 作っている様子を見て、自分がここで働けないのを残念に思っていた。もうあそこには戻れない。


「僕が後を継ぎたかったな・・・。僕もここで頑張りたかったな・・・」


 薫は涙を流してしまった。栄作は笑みを浮かべている。だけど、自分は正反対だ。どうしてだろう。


「父さん、会いたいよ・・・」


 薫は思った。父さんに会いたい。だけど、もう会えない。その日の夜、薫は涙に暮れた。

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