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 薫は電車の中から東京の街並みを見ていた。今日も通勤電車は満員だ。故郷ではあまりそんな事はない。最初は慣れなかったが、生活しているうちにすっかり慣れてきた。


 と、車内で薫はユニフォームを着た子供たちを見つけた。おそらく中学生だろう。今はゴールデンウィークだ。今は修学旅行の時期で、全国の中学3年生が東京にやってくる。そして、東京にあこがれるんだろうと思う。もし中学生なら、彼らは1年生か2年生で、練習試合だろう。彼らはとても楽しそうだ。思えば自分の中学校時代もそうだったな。初恋もした。だけど、中学校を卒業したら、離れ離れになった。


 思えは自分も東京にあこがれた。だけ、ずっと住もうと思ったことはない。大学での4年間を終えたら、香川に戻って、栄作の跡を継ごうと考えていた。だが、そうはならなかった。自分が道を踏み外したのだ。後悔してももう遅い。過去の過ちが今でも自分を引きずっている。それが原因で、もう香川県に戻れなくなってしまった。


 薫は現在、東京にあるさぬきうどんチェーンの店で働いている。最初、前科ありという事で本当に大丈夫だろうかと思われた。だが、薫は香川で一番と言われている讃岐うどん職人、池辺栄作の息子だ。あまりにも腕がよく、あっという間に周りから認められ、今では店長を務めるほどだ。それは栄作も知らない。いくら頑張っても栄作には見てもらえない。本当は栄作の跡を継ぎたいと思っているのに。その思いが伝わらない。どれぐらい頑張れば、俺は栄作に認めてもらえるんだろう。もう認めてもらえないんじゃないかな? ずっとここで頑張っていくしかないのかなと思い始めていた。


「おっと、もうすぐ最寄り駅だな」


 そう思っているうちに、電車は職場のうどんチェーンの最寄り駅に着いた。ドアが開くと、多くの乗客が降りる。彼らとともに、薫もそこで降りる。彼らはまったく気づいていないようだ。この中に前科がある男がいるのを。そう思うと、薫はほっとした。まだまだ自分は頑張れる。そして、いつか栄作の跡を継げるんだ。


 薫は改札を出て、駅前にやってきた。駅前にはバスが発着していて、バス停では多くの乗客がバスを待っている。いつもの朝の光景だ。だが、薫は乗らない。駅に近いので、バスに乗る必要がないのだ。


 薫は駅に降り立ち、周りを見た。駅前には多くの人が行きかっている。香川県の県庁所在地、高松よりも多くの人が行きかっている。これが都会なんだとつくづく思っている。多くの人が行きかう東京。夢を求めてここにやってきたのに、俺はここで絶望を知った。こうして働いて、再び栄作と一緒に働く事が夢だ。だが、その願いは本当にかなうんだろうか? きっと栄作は同じ空を見上げているだろう。だが、栄作はもう薫の事を考えていないだろう。すでに絶縁したのだから。もう帰ってくるなと言われているのだから。


 薫は店に入った。店には従業員がいる。彼らはみんな、香川県出身ではない。


「おはようございます」


 薫の顔を見ると、従業員は挨拶をした。みんな、薫を慕っているようだ。この人は店長だ。この中で一番腕がある。


「おはよう」


 薫は冷静に答える。従業員はほれぼれしていた。まるで、薫が前科があるのを全く気にしていないようだ。


「さて、今日も頑張るか」


 と、そこに1人の女性が薫のもとにやってきた。だが、薫はそれに気づいていない。


「池辺さんって、本当にうまいよね」

「ありがとう」


 薫は笑みを浮かべた。その女性は、薫のうどんを作る姿にほれぼれしていた。まるで本物の讃岐うどん職人のようだからだ。


「さすが、名の知れたうどん職人の息子」

「照れるなぁ・・・」


 女性は知っていた。薫の父は讃岐うどんの職人、しかも、香川で一番と言われた池辺栄作なのだ。すごい人が店長を務める店で働いているんだと知って、興奮が収まらなかったという。そして、こんな人が店長を務める店で働けるのを誇りに思っているようだ。


「うーん・・・」


 だが、薫は悩んでいた。自分はこんな東京で頑張っているようじゃだめだ。ここを退職して、本場の香川県で、栄作のもとで働くのが夢だ。いつか東京を出て、香川に戻りたいと思っていた。


「どうしたんですか?」

「いやいや、何でもない」

「そっか」


 目の前には小麦粉がある。それを見ると、今日も1日頑張ろうという気持ちになれる。いつ継げるかはわからないけれど、本場の味を東京の人に伝えるんだ。そして、みんなに喜んでもらうんだ。頑張っていれば、きっといつの日か栄作の跡を継げるようになるだろう。


「さて、今日も頑張ろう」


 薫はうどんを作り始めた。一方、従業員もうどんを作ったり、天ぷらやおにぎり、おかずを作り始めた。開店まであと1時間ぐらい。早く作らないと。


 だが、薫は今の仕事に不満を思っていた。こねる時間も、踏む時間も少ない。それに、踏みは1回しかない。これでは本場ほどおいしくないだろう。いつか伝えたいな、この従業員にも本場の味を。そして、作り方を。

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