第3章 薫

1

 東京の夜景を、1人の男が見ている。その男はスポーツ刈りで、黒いTシャツを着ている。その男は一見強そうに見えるが、寂しそうな表情をしている。


 その男の名は、池辺薫。香川県で一番の讃岐うどん職人と言われている池辺栄作の長男だ。だが、父とは何年も会っていない。それは、自分が犯した罪によるものだった。それは、何年経っても償う事のできなくて、そのせいで全く香川県に帰る事ができない。


 薫は香川県のほぼ中央にある、綾川町で生まれた。東京の大学に進学する事になった薫は、高校を卒業すると東京で一人暮らしを始めることになった。これは、東京で仕事をするからではなく、卒業後は香川県に戻って栄作の跡を継ぐための修行目的だった。


 だが、薫は大学3年、21歳のころに婦女暴行の容疑で逮捕された。そのニュースは瞬く間に栄作に伝わり、そして綾川町中に伝わったという。それ以後、栄作は子供嫌いになり、薫を嫌うようになった。あんなにかわいがっていたのに、やがて店を継ぐだろうといわれていたのに。


「はぁ・・・」


 薫はため息をついた。今日も孤独な日々が過ぎていく。経歴のせいで、恋に恵まれない。このまま一人暮らしのままで寂しく人生を終えるだろう。あの時、逮捕されていなかったら、今頃は栄作のうどん屋を継いでいただろう。だけど、それは夢のままで終わりそうだ。


「明日も頑張るか」


 明日からまた仕事だ。もう寝よう。だけど、誰もおやすみと言ってくれない。多くの人が行きかう東京の中で、薫は孤独に生きている。


「父さん、ごめんよ」


 薫は栄作に謝った。だが、目の前に栄作はいない。遠く香川県の綾川町にいる。それに、もう許してくれないだろう。


「いつになったら継げるんだろう。継ぎたいのにな・・・」


 薫はベッドに横になった。いつか香川県に帰れる日を夢見ながら。




 薫は夢を見た。それは、刑務所にいた頃だ。薫は牢屋の中で、うずくまっていた。自分はとんでもない事をしてしまった。それによって、家族と縁を切られてしまった。これからは孤独な日々を送らなければいけないのか。そう思うと、自然に涙が出てくる。後悔したってもう遅い。罪は一生償えないのだ。


「面会だ」


 刑務官の声で、薫は顔を上げた。誰と面会だろう。栄作だろうか? すでに栄作との縁は切れたのに。どうしたんだろう。まさか、刑務所を出たら、香川県に帰って来いというのでは?


 薫は面会室にやってきた。そこには栄作がいる。栄作はスーツを着ている。スーツを着る栄作はあまり見ないので、違和感を覚える。


 薫は椅子に座った。ガラス越しには栄作がいる。


「薫・・・」

「父さん・・・」


 薫は下を向いている。どんな事を言われるんだろう。そう思うと、自然に下を向いてしまう。栄作は頑固な性格で、子供たちからは恐れられている。


「おい、お前のした事がわかってんのか?」

「はい・・・」


 栄作は怒っていた。自分のしたことは償えない事だ。二度と帰ってきてほしくない。帰ってきたら、きっと風評被害を受けるだろうし、店の売り上げに影響してくるだろう。


「お前、もう香川に戻ってくるんじゃないぞ!」

「はい・・・」


 薫はがっかりした。もう故郷に帰れない。これからずっと東京で暮らしていく事になるかもしれない。罪を犯さなければ、こんな事にならなかったのに。


「俺とお前は、もう縁を絶つからな」

「やめて!」


 薫は願った。栄作のうどん屋で働きたい。そこで頑張れば、罪を償えるかもしれない。


「お前の顔なんか、もう見たくないからな!」

「父さん、ごめんね・・・」


 だが、栄作の堅い表情は変わらない。許していないようだ。


「もういい!」

「面会終わり!」


 その声とともに、栄作は面会室を後にした。栄作は早く香川県に戻りたいような仕草をしている。


「お父さん! お父さん!」


 薫は呼び止めた。だが、栄作は部屋を出て行った。薫は泣き崩れている。刑務官はそんな薫の肩を叩く。だが、薫は泣き止まない。




 薫は目を覚ました。朝だ。薫は呆然としている。またこんな夢を見てしまった。それほど、栄作と縁を切られたのがショックなのだ。もう修復できない絆。それを考えると、涙が止まらない。


「夢か・・・」


 薫は朝食を作り始めた。朝食はカップみそ汁と小盛のごはんで、あらかじめ買ってある。


 薫はお湯を沸かし、その間にご飯をレンジで温める。いつもの日々だ。もう10年以上もこんな生活をしている。もうこんな生活からは抜け出せないだろう。こうして孤独に死んでいくんだ。僕の未来は、もうそれで決まっているんだ。残念だけど、罪を犯した僕の人生は、こんなのだ。


 お湯が沸騰すると、薫は朝食を食べ始めた。だけど、いただきますとは言わない。自分以外、誰もいないからだ。静かな、とても静かな朝食だ。


 薫はテレビを見ている。だいぶここでの生活には慣れてきた。だが、薫は気になっている。香川県では今、どんなテレビがやっているんだろう。また、香川県のテレビを見てみたいな。そして、香川県の実家で暮らしたいな。


 朝食を食べ終えると、薫は歯を磨き始めた。朝9時から仕事だ。早く支度を済ませないと。遅刻はしてはならない。


 薫は支度をして、家を出た。だが、目の前には、高校生まで見慣れた田畑はない。見えるのは建物ばかりだ。それも、綾川町ではほとんど見ない、高い建物だ。それを見ると、薫は下を向いてしまう。


 薫は駅までの道のりを歩いている。駅までは徒歩で数分だ。そんなに歩く必要はない。歩いている人々は様々で、この時間帯は小学校の通学団を見かける。彼らを見て、薫は少年時代を思い出した。栄作のうどんを作る姿を見て育った少年時代。あの頃の栄作はとっても優しかったな。そして、いつか栄作のようなうどん職人になりたいと夢見た。だけど、それはかなわないだろう夢になってしまいそうだ。


 薫は最寄り駅にやってきた。この時間帯は朝ラッシュだ。多くの人が行きかっている。故郷とは混雑の様子が全く違う。だが、薫はその違和感に慣れている。いつもこうして通勤しているのだ。


 薫は電車に乗った。電車は10両編成だ。香川県ではこんなに長い電車はない。ドアが閉まり、電車は動き出した。薫はドアの窓から、東京の空を見た。今頃、栄作は同じ空を見ているんだろうか? 栄作は今、どうしているんだろうか? まだ、薫を許さないと思っているんだろうか? 帰りたいのに、故郷に帰れない。そんな日々を過ごしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る