5

 深夜2時半、望は目を覚ました。俊作や明日香、俊介、安奈はまだ寝ている。だけど、望は起きた。とても静かな夜だ。普段のゲームの騒がしさがまるで嘘のようだ。


「うーん・・・。じ、時間だ・・・」


 望は目をこすっている。まだ眠たいようだ。


 突然、誰かがノックをした。栄作だろうか? ドアが開くと、その向こうには栄作がいる。迎えに来たようだ。


「望・・・」

「父さん・・・」


 望は下を向いた。栄作が怖くてしょうがない。


「来い・・・」


 2人は玄関を出て、栄作の運転する軽自動車に乗った。だが、4人は全く気付いていない。望は荒谷家を見ている。


 軽自動車は走り出した。望は考えていた。こんな夜遅くに、どこに向かうんだろう。こんな夜遅くにする仕事って、何だろう。


 軽自動車は1軒の店の隣にある家の庭に停まった。その店を見て、望は驚いた。池辺うどんだ。


「あれっ、ここって・・・」

「昨日、ここに来ただろ?」


 望は呆然としている。俊作しか見ていないだろうと思ったら、栄作も見ていたとは。そして、栄作もここで働いていたとは。


「はい・・・」


 昨日の昼、池辺うどんに来ただけで、こんな事になるなんて。望はびくびくした。


「同級生と一緒に来たの、見てたんだぞ」

「そ、そんな・・・」


 2人は店に入った。店内は消灯していて、暗い。栄作は店の厨房の明かりをつけた。厨房を白い明かりが照らし出す。厨房の奥には畳がある。その畳は何に使うんだろう。望は興味津々だ。


「俺が何をしてるか、わかるか?」

「わからないです」


 望は答えられない。もし間違えたら、怒られるかもしれないと思った。


「このうどん屋の主人だ。みんなからは大将と言われてるんだけどな・・・」

「た、大将・・・」


 栄作は池辺うどんの店主で、従業員からは『大将』と言われているという。店の名前から察していたけど、ここの店主だったとは。


 栄作は厨房に入り、大きな袋を持ってきた。望はその様子をじっと見ている。


「な、何これ・・・」

「中力粉だ。うどんはこれと塩水だけで作る」


 栄作が持っている粉は中力粉で、これが讃岐うどんを作る材料の1つだ。


「父さん、いつもこんなに早いの?」

「ああ。営業日の深夜はこうやって仕込んでるからね」


 栄作は深夜3時から仕込みをしていて、子育てをする時間が取れないという。だから、荒谷家で世話になっているそうだ。


「そんな・・・」

「驚いただろ? だから朝はいないし、帰ったらすぐに寝るんだ」


 栄作は、望に申し訳ないと思っていた。自分の子供なのに、面倒を見る事ができない。そんな父だけど、許してくれ。


 栄作は懸命にこねていく。中力粉と塩水の割合は日によって違い、目分量で混ぜてこねていく。望は生地をこねる様子を後ろから真剣に見ている。栄作はこんな事をしているんだ。自分もこんなの作れるようにならなければならないのかな?


 しばらくこねると、栄作は生地を隣の畳に持っていった。これから何が始まるんだろう。望は興味津々で見ている。


「さて、いよいよ踏みだ」

「踏み?」


 望はじっと見ている。あの畳は、踏みのために設けられているんだな。


「これでうどんの味やコシは決まるんだ。俺は、うどんに命を吹き込むと表現してるんだ」


 栄作は生地を踏み始めた。足踏みの音はあまりしない。静かな店内だ。望は眠たそうだ。こんなに夜遅くに起きるのが初めてだからだ。


「眠たいか?」

「大丈夫・・・」


 栄作は望を気遣っている。こんな夜遅くに起きるのは初めてだから、これについていけるか、心配そうだ。


「そっか。でも眠そうだな」


 だが、望は面白そうに見ている。こうやって讃岐うどんはできるのか。


「本当は眠いよ・・・。でも見てて夢中になる」

「そっか」


 30分が経った。だが、栄作が踏むペースは落ちない。いつまでやるんだろう。望はそう思えてきた。だが、来たからには最後まで見ないと。


「まだやるの?」

「ああ。1時間な。体験施設のやり方では本物にはならん」


 望は呆然となった。1時間も踏むとは。体験施設ではどれぐらいなんだろう。


 それから10分ほどすると、望は寝てしまった。だが、栄作はそのまま踏み続ける。


「ふぅ・・・」


 踏み始めて1時間、これで1つ目の踏みは終わった。栄作は生地を切り分けていく。栄作が振り向くと、望が寝ている。


「あれ? 寝ちゃったのか・・・」


 だが、栄作は気にせずに、次の工程に入る。生地は1日寝かされ、団子状にして、また1時間踏む。合計2時間踏む事で、栄作が理想としている讃岐うどんは完成する。次第に、望のいびきが聞こえてきた。だが、栄作は全く気にしていない。


 踏みが終わると、栄作は生地を伸ばし始めた。いよいよ完成が近づいてきた。望はすっかり夢の中だ。だが、栄作は作業を続ける。


 生地を伸ばし終わると、栄作はうどん包丁を出した。このうどん包丁は、栄作の手に合わせた特注品だ。機械で切る店が多いが、ここは完全手作りだ。


 うどんをゆでていると、望が目を覚ました。湯気で目を覚ましたようだ。


「あれ?」

「望、起きたか」


 望は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。寝ないように注意していたけど、寝てしまった。栄作に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「ね、寝ちゃってごめんなさい・・・」


 だが、栄作の表情は変わらない。寝てしまった事を許しているんだろうか?


「いいんだよ。こんな時間に起きたの、初めてだろ?」

「うん」


 望はほっとした。怒られるんじゃないかと思ったが、許してくれた。こんなに夜遅くに起きるのが初めてだから、許してくれたんだろうか?


「来てしまったんだから、どんな事をしてるか、教えてやったんだ」

「あ、ありがとうございます・・・」


 栄作は鍋からうどんを取り出した。何を作るんだろう。


「見てもらったお礼に、食わしてやる」

「あ、ありがとうございます」


 栄作は生卵を割り、かき混ぜ、しょうゆを垂らした。どうやら釜玉うどんのようだ。


 栄作は望の前のテーブルに、釜玉うどんを置いた。望はすぐに食べ始めた。まさか、朝からうどんを食べられるなんて。


「おいしい!」


 昨日の昼食べたばかりだけど、何度食べても飽きない。これが讃岐うどんだろうか?


「そうだろ? うちのうどんは香川で一番と自分で言ってるから」


 望は黙々と食べた。気づけば、もう夜が明けていた。


「ごちそうさま」


 望は食べ終わると、食器を返却口に持っていこうとした。


「俺が片付けとくから、帰んなさい」

「はい・・・」


 今日は栄作が片付けてくれた。普通はそうじゃないのに。これが栄作の頑固な顔に秘められた、優しさだろうか?

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