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 それから夏の事だ。望は栄作の子供だが、荒谷家で世話をしていた。子供が1人増えたが、安奈はそんなに苦労していなかった。抱く事が出来なかった本当の両親の分も頑張って育てないと。


 安奈には今回育てる事になった望の他に、3歳の明日香(あすか)、1歳の俊作(しゅんさく)がいる。親は違えど、3人とも可愛い子供だ。愛情をもって育てていこう。


 安奈は俊介と同じく池辺うどんで働いていた。だが、育児のために4年前に一旦退職している。だが、育児が落ち着いてきたら、また復帰すると言っていて、栄作も了承している。


 そんな中、池辺うどんは騒然としていた。だが、警察が来ていない。事件ではないようだ。周辺の住民や常連客のようだ。彼らは嬉しそうな表情だ。


 その騒がしさにひかれて、安奈は望を背負い、2台くっつけたベビーカーを引いてやって来た。ベビーカーには明日香と俊作がいる。


「みんな騒いで、どうしたの?」

「うちの近くの高校が、甲子園に行くんだってさ!」


 この近くにある高校が夏の香川県大会で優勝し、甲子園への出場権を獲得したそうだ。その野球部員は池辺うどんの常連客で、いつも特盛を注文していく。


「本当?」


 俊介も驚いている。自分たちのうどんを食べて育った高校生が夏の甲子園に行くとは。これは応援しないと。


「うん。ひょっとしたら、ふるさと紹介で取材が来るかもよ」


 ふるさと紹介は、夏の甲子園の出場校の初戦の前あるいは途中に、出場校のある地域を紹介するという。讃岐うどんは香川県の名物だから、おそらくふるさと紹介で登場するだろう。もしそうなれば、池辺うどんに取材が来て、ふるさと紹介で流れるだろう。そのおいしさが全国に伝わるだろう。


「これは来るね。期待しよう」

「ああ。取材が来るんだったら、うどん作り、張り切らなくっちゃ!」


 俊介は腕をまくり上げた。取材が来るのなら、もっと頑張らないとな。


「そうだね!」


 と、そこに野球部員がやって来た。祝勝会がてらにやって来たんだろうか? 夏の甲子園に出場できて、みんな笑顔だ。


「あら、いらっしゃい! 甲子園出場、おめでとう!」


 女性店員は喜んでいる。彼らが夏の甲子園に出場する事を、嬉しく思っているようだ。応援しているようだ。


「応援してくれた店の人々のおかげです! 本当にありがとうございます!」


 野球部員はお辞儀をした。支えてくれた人々のおかげだけど、おいしいうどんを食べさせてくれる池辺さんのおかげでもある。


「あら、ありがとう。じゃあ、奮発しとくね」

「甲子園でも頑張ります! ありがとうございます!」


 その後ろにいた野球部員もお辞儀をした。それを見て、栄作は笑みを浮かべている。彼らが夏の甲子園に行くのを喜んでいるようだ。


「香川県から応援してるから! 頑張って!」


 そして、野球部員は去っていった。栄作はその後ろ姿にほれぼれしている。引退したら、どんな進路を送るかわからない。だけど、薫みたいになってほしくないな。




 その夜、野球部員の夏の甲子園出場を祝って、祝勝会が開かれた。今日のメニューはぶっかけうどん、山盛りの天ぷら、ごはんで、天ぷらは部員みんなで取り合う。野球部員だけでなく、女性マネージャーや監督、コーチもいる。彼らも池辺うどんによく通っている。


「甲子園出場に、カンパーイ!」

「カンパーイ!」


 掛け声とともに、監督、コーチはコップに入ったビールを、野球部員と女性マネージャーはお茶を掲げた。


「いただきまーす!」


 それと共に、野球部員はぶっかけうどんを食べ始めた。いつも食べているのに、今日のうどんは一味違う。出場できたからだろうか?


「甲子園で頑張ってもらわなくっちゃいけないから、もっと食べてね!」

「うん!」


 女性店員に励まされた野球部員は決意した。おいしいうどんを食べさせてくれる池辺うどんのためにも、夏の甲子園で頑張らないと。




 その夜、安奈は3人の世話をしていた。大変だけど、この子が成長して独り立ちするまで、愛情をもって育てないと。どんな大人になるかわからないけど、いい大人になってほしいな。


「どうだ? すやすや寝てるか?」


 安奈は振り向いた。そこには栄作がいる。まさか、栄作が来るとは。栄作は深夜3時から仕込みを始めるので、もう寝ている時間だ。だが、まだ起きているとは。子供が気になったんだろうか?


「うん。とっても幸せそう」

「それはよかった。見つけた時は大丈夫だろうかと思ったもん」


 栄作は順調に育っているわが子を見て、喜んでいる。この子はいい子に育ってくれるんだろうか? どうか薫みたいにはならないでくれ。


「大丈夫よ。この子たちの将来に期待しましょ?」

「そうだな。どんな大人になってくれるんだろう。まさか、池辺うどんで働くうどん職人になったりとか」


 栄作は考えた。この子はうちのうどんを継いでくれるんだろうか? あのバカ息子には継がせたくない。もし働いてくれるのなら、継がせたいな。


「さてどうだろうね」

「幸せな将来を送ってほしいね」


 栄作は少しほころんだ。栄作の頑固な表情がほころぶのは、久しぶりだ。


「そうね」

「どうだい?」


 2人は振り向いた。そこには俊介がいる。俊介も3人の様子を見に来たようだ。


「大将、見に来たんですか?」


 栄作が来たのを、俊介も驚いているようだ。


「ああ。子供の顔が見たいと思ってね」

「いい子に育ってほしいと思う?」

「そりゃそうだよ。あんな息子、もう息子とは言ってやんないから」


 薫の事を考えると、栄作は拳を握り締めてしまった。もう薫の事なんて、想像したくない。二度と会いたくない。


「ですよね。もう話さないようにしましょう」

「ああ」


 と、栄作は寝ている望の前にやって来た。望は幸せそうに寝ている。とても可愛い。本当の子供ではないが、まるで我が子のようだ。


「かわいい寝顔だね」

「大将の顔がほころんでる」

「大将の笑顔、久しぶりに見たよ」


 2人は物珍しそうに見ている。普段は頑固なのに、こんなにほころんでしまうとは。


「そうかい」

「赤ん坊って、そんな力があるのかな?」


 ふと、栄作は思った。赤ん坊を見ると、なぜかほころんでしまう。可愛いからだろうか? 理由がわからない。


「そうかもしれないね」

「大将も温かく見守ってやりましょ?」

「ああ」


 栄作は部屋を出ていった。寝るために、自宅に向かったんだろう。2人はそんな後姿を見て、望もいつかこうなるんだろうかと考えた。

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