第5話:命より重たいモノ
朝陽に瞼を擽られ、目を開ければ優しい香りのする紅茶が私に挨拶をする。そんな挨拶を無視して怠い身体をベットから起こせば、白が飛び込んできた。
「おはよう、レイナちゃん。すっかりやつれちゃったね」
伸ばされた白い手が労わるように私の頬を撫でた。振り払おうにも動かない手は鎖のせいか、体力がないからか。
「ねぇ、こんなくだらないことで死なないでよ」
『くだらない』と言い放ったそれはきっと何よりも大切なことだ。私が私であったというプライド。悪魔になんて屈したくない。
「僕にとっては君自身が大切なんだ。君のプライドは気高いし、崇高だけど、そんなものもう捨ててよ」
小さく息を吐けば、彼はベットに腰かけた。
「もう君は『お姫様』じゃない。だからそんなプライドは意味ない」
「……どういうこと?」
やっと喉から出た声は想像しているよりもうずっとずっと枯れていた。
「君の父上との交渉の時、僕が出した条件は君を貰うことだった。正確には僕の兵に『殺された君』を」
「殺された私?」
つまりはこの世界から消えた存在ということ。ベルドールの姫という肩書きも何もかも捨てた存在。
「君の弟君がベルドールの王になるらしい。だから君は女王にはなれないし、あの国には戻れない。残念だけど、君はもうあの国には不要な存在なんだよ」
私が戻れば、レイが王に就いてもまた波紋が広がってしまうかもしれない。
「選択肢さえ、もうないのね」
荊が覆う抜け道でさえ彼は一つ一つ潰していった。私に残されたのは、彼が誂えたこの鳥籠しかない。
「だから、こんなことで死なないで」
懇願する瞳は悲痛を映していた。伸ばされた手は紅茶のカップを持ち上げる。私の唇にそっと押し当てられた。重力に逆らうこともせず流れ込んでくる液体は、弟と一緒に飲んだものよりも味がしない。
「ん……」
久しぶりに感じる水分が身体に染みていく。彼は安堵したようにカップを下すと、嬉々とした様子でリンゴの刺さったフォークを私に向けた。
「あーん」
「は?」
鳥肌と共に思わず零れた声は、さっきよりも綺麗に相手の耳に届いたことだろう。
「え? ほら『あーん』だよ?」
「……死んでも食べないから」
外を向けば太陽が高々と私たちを覗いていた。全く腹が立つほどの晴天だ。 鍵の無い小さな填め込み窓から見える木に咲いていた白い花たちが風に揺られて笑っている。
「うーん。でも君は一人じゃ食べられないだろう?」
「絶対、嫌」
譲れないプライドよりも、これは人として譲ってはいけないラインだと思う。さっきまでの心配そうな仮面は何処へ投げ捨てたのだろうか。
「仕方ないなぁ。じゃあ……はい♡」
ウインクをした彼をふり仰げば、憎たらしいほどの微笑みだった。気持ち悪いと思わず言ってしまいそうになったが、身体が自棄に軽くなっていうことに気付く。上体を前に出せば、手首が革に撫でられた。
「これで食べられるよね?」
手を上にあげれば、縛り付けていた手枷はぱっくりと口を開けベットに取り残されていた。
「何で……」
「だって、手枷あったら食べてくれないんでしょ?」
コルテスに怒られるかもしれないと、呟きながら笑う彼の思考回路は相変わらず理解できない。手枷と足枷は私をこの籠に縛り付けておくものだ。両手の拘束が解かれれば、飛び立ちやすくなるのは言うまでもない。
「逃げるかも知れないわよ」
「大丈夫だよ、君は逃げない。僕が逃がさない」
彼の視線は、私の軽くなった手首をベットに杭で刺し縛るようだった。
「ふふ、ちゃんと外してあげたんだからご飯食べてね」
触れられてもいないのに血が沸くように痛む手首は私のものとは思えなかった。
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