第4話:白い悪魔
シルクの布が私の瞼を覆った。無機質な鉄の音が両手首から響く。左足首のひんやりとしたそれは籠から逃さないために施された枷なのだろう。光の見えないまま、ギィという扉特有の音がした後、私は柔らかいクッション状の何かに座らされた。
「もうすぐ、王子がいらっしゃいます」
抑揚のない声は蔑むように耳を刺した。甘い香りとほんのりと本の香り。何て喋っているのかわからない小鳥の声。
私の人生は何だったのだろうか。人工的に作り出された闇は、心まで蝕む。逃げたいと考えてはいけないのに。この選択が正解だといくら理解していても、どうしてこんなにも心は抗ってしまうのだろうか。
再び聞こえたドアの音が私の意識をこちらに呼んだ。カツ、カツ、と地を伝って響く足音が私の心臓を掴む。そっと過ぎった死刑宣告。
「レイにお別れを言えればよかったのに」
王様に了承をしたら、すぐにヴァシアの従者が私を引き取りに来たのだ。一人にしてごめんねと謝りたかった。幸せになってねと微笑みたかったのに。
足音が止まる。クッションが重さで沈む。するりと頭に回された手が、シルクの結び目に触れた。突然の光に目を瞬かせれば、そこには白の悪魔が目を細めて微笑んでいた。
「初めまして。……僕だけのお姫様」
「……初めまして。お招きいただきありがとう。この悪魔」
私と差して年齢の変わらない白髪の青年を睨みつけた。この悪魔が私の幸せを壊したと思うと腹の底から熱いものがせり上がるようだった。
「やめてよー。悪魔だなんて。僕がいなかったら、ベルドールは我が国の暴君にぐちゃぐちゃにされてたんだよ? むしろ僕はメシアなはずなのになぁ」
けらけらと笑う声は、戦争ゲームで勝利した子供のように無邪気で残忍だった。
「僕はディア。ヴァシア国の次期王、だから皇太子だよ。これからよろしくね、レイナちゃん」
「やっぱり悪魔じゃない。ディアモンから名付けられたのでしょう?」
嫌味のように刺々しく言えど、彼は嬉しそうに笑った。憐れむような暗い瞳が私を映し出している。
「まぁいいよ、何とでも。君がここにいてくれるなら何だっていいや。それよりさ、この部屋どう? 気に入ってくれた?」
目隠しをされていたせいで部屋の把握までできていなかった。連れてこられた場所は、決して大きいとは言えない部屋だった。小さな窓からは月明かりが差し込み、部屋を囲むように本棚が置かれている。絵本から政治書まであった。こいつが入ってきたであろう、ドアはアンティーク調で鍵がかけられるようになっている。私が座らされていたのは大きなクッションではなく、アザレアのようなシーツのベットだった。枕元にはうさぎのぬいぐるみ、サイドテーブルには小鳥の置物がある。どれも私が好きなものばかりだった。
「君、こういうふわふわしたのが似合うと思うんだ。これからずっと一緒なんだからさ、君も気に入ってくれた方がいいと思って」
うっとりと、甘美な声で彼は呟いた。私はここに殺されに来たも同然なのに、彼は一切そんな話をしない。意味がわからない。心の中で彼に有りっ丈の悪態をついた。
「ふふ、そんなに見つめないでよ。さぁ、夕食を用意してあるんだ。最初の晩餐をしよう。コルテス」
彼が手を鳴らせば、ワゴンに二人分とは思えない量の食事をのせた先程の従者が扉を開けた。コルテスと呼ばれた男は皇太子に会釈をすると早々に出て行った。私を見下すような侮蔑の視線を忘れずに。
「君の好きな料理とか分からないからいっぱい用意しちゃったよ。好物は何? 君の好きなものも嫌いなものも皆知りたいんだ」
「私は貴方が嫌いよ。何もいらない」
瞬きするのと同じ要領で拒否をした。いらない、こんな男から与えられるものなんて何もいらない。
「僕は君が好きだよ。何でもしたい」
笑っていた。にっこりと白の髪から覗くアメジストは確かな光彩なのに冷たい。ぞくりと何かが背を這ったようだった。
「だから軽食でもお菓子でも何でもいいから食べてね」
彼はティーカップに紅茶を注ぐとサイドテーブルに置いた。甘ったるいアップルティーの香りが私の頬をそっと撫でる。夜の闇は優しい空気を醒まさせるように重く鋭く私を縛り付けていた。
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