第3話:平和への天秤
「入りなさい」
執務室の扉を開ける。革張りの椅子に腰かける父は昔のように威厳に満ちた姿はない。翼を失った鳥のように肩を撫でていた。
「お呼びでしょうか」
「今、隣国と大きな問題があるのはお前もわかっているな」
私を見つめる瞳はどこまでも昔見たお父様とは違って、一人の王としての眼差しだった。
「我が国民はこの日々に疲弊し嘆き悲しみ、王である私の交代を望んでいる。国民だけでなく臣下達は、お前とレイのどちらが次の王となるかで揉めている」
「存じ上げております」
成人し、国政に関わってきた私は後の女王になると噂されていた。私自身は権威なんて興味はなくて、当然として国務をこなしてきた。
しかし、一方で王子相続が多いこの国では『レイを王位に着かせるのでは』という噂も立っていた。レイを支持する者にとって、私は『王座を狙う女』であった。
レイはまだまだ若くて幼い。そして彼は体が昔から弱かった。だからこそ、国民や臣下は不安に駆られ権力争いに走ってしまった。それは今、この状況で最もあってはならない内部分裂であった。
「王として私はまだ退くつもりはない。だが、このように国民が怯え国力が枯渇した今、決断を迫られているのは確かだ」
私はレイが王になっても構わない。ただ、幼く純粋な彼がこんな穢れた政治に身を染めなくてはいけないということだけは残酷に感じた。
「先日、隣国から秘密裡に使者が来た」
「使者といいますと?」
「ヴァシアの第一王子だ」
そんな重要人物が来るなんて余程のことだ。
「彼は捕虜の解放を提案してきた。そして資源を強奪するのではなく定期供給の条約も」
「……上手い話ですね。代償は?」
悪魔の息子は落としたのは、甘い罠か苦い事実か。
「勿論だ。代わりに自国軍を我が国に駐留させることと有事の後方支援を要求していた」
資源がある我が国といえども、鉄や火薬が多いわけではない。況してや、軍事加工を専門としないため精錬技術などは発達していない。食品などの後方支援はできたとしてもそれも定期供給の条約がある以上は無理に強奪することも出来ない。息子は矛盾に気付けない程の馬鹿か、それとも。
「それだけですか?」
娘ではなく一臣下として王の目を射抜けば、彼は逃げもせず言った。
「もう一つの絶対的条件は、姫であるお前を貰うということだ」
有無を言わさない目。王の天秤では『姫』と『捕虜の解放』の傾きは明らかであった。『女王の座を狙う女』というレッテルは剥がされ、私のいない平和が訪れる。条約という枷は国益を導く。どの条件にも『私』は必要ない。かちりかちりと理詰めして最後に出された結論はひとつ。
__生贄として死ぬこと
「分かりました。今までお世話になりました、お父様」
初めて、父の頬が濡れるのを見た。『彼も人間なのね』そんな場違いなことを思った。
大切なものは悪魔によって音を立てて崩された。訪れるであろう幸せは私がいないという条件によって成立する。
「さようなら」
踵を返して、王に背を向けた。
「私は涙を流すことも許されないのね……」
私の虚栄心はどこまでも自分を縛り上げていた。
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