16.義妹と脳破壊

「はい、今日から登校することになりましたので……」

「分かりました。ご両親からご事情は聞いてます。なにかあったらすぐに相談してくださいね」


 職員室に行き、担任にひよりが登校することになったのを報告する。


 俺たちの担任の吉田先生。

 赤ぶち眼鏡をかけた女性の先生だ。

 ちなみに三十歳独身らしい。

 吉田ちゃんと呼ばれ、密かに男子には人気はあるっぽい。


「ふふっ、こんな風に職員室にまで付き添ってくれるなんて本当にいいお兄さんですね」

「そ、そうなんです……」

「ひよりさんならすぐに学校に馴染めると思います。これから宜しくお願いします」

「は、はい……」


 ひよりの声が震えている。

 知らない人と話すのはまだ緊張するらしい。


 社交不安障害。


 それがひよりが病院で診断された症状だった。

 昔はあがり症と呼ばれていたものらしい。


 人前で話したり、他人と会話をすると持続的な不安と恐怖を抱く病気とのことだ。


 治療を開始すると、約一年くらいで症状は緩和されるらしいのでひよりはもう大丈夫だと思いたかったのだが……。


「こ、これから宜しくお願いします!」


 ひよりが先生と目を合わせずに頭を下げた。


「これから宜しくお願いします」


 俺もひよりと一緒に頭を下げる。


 この病気は心理的な強いトラウマがあると、はっきりと治るタイミングは分からなくなるらしい。


 モデル時代に大きな失敗をしたことがトラウマになっているらしいが、そのことは俺には話してくれない。


 中学時代に自分を利用しようとする人間が多かったのも、トラウマの一因になっているらしい。


(本当は争いごとが苦手だもんな……)


 性格が致命的に芸能界にあっていなかったのかも。


 家に引きこもって家事と料理をやっているほうがひよりらしかった。

 本当に楽しそうにしていたし。


(父さんとの約束だしな。俺がひよりを守るって)


 つい握っていた手に力が入ってしまった。

 ひよりが登校するようになった今、俺が兄としてしっかりしなければ……。


 


※※※




「あっ、おかえりー!」


 職員室から出ると、あかねが廊下で俺たちのことを待っていた。


「なんであんたがまだいるのよ!」

「彼氏のこと待ってるのは別におかしくないじゃん……」

「おかしい! あんたがお兄ちゃんのことを彼氏っていうのがまずおかしい!」


 ひよりはそう言いながら、まるであかねに見せつけるかのように俺の腕に組みついてきた。


 あ、争いごとが苦手……?

 少しばかり自分の考えに疑問がよぎる。


「も、もぉー! そんなに私のこと敵視しなくてもいいじゃん!」

「あんたが私のお兄ちゃんを寝取ろうするのが悪い」

「だ・か・ら! ひよりさんが私の彼氏を寝取ろうとしているの! また話が振り出しに戻っちゃったじゃんか!」


 あかねも大概だと思っていたんだけどなぁ……。

 この場合、ちょっとだけあかねの方が大人に見えるのが不思議だ。


「と、とりあえずその話は置いといて、ひよりさんにお願いがあるんだけど……」

「なによ。私にとっては置いておけない話なんだけど」


 あかねが手持ちのバックから、色紙とペンを取り出した。

 とても恥ずかしそうに、それをひよりの前に持ってくる。


「お願いします! サイン下さい!」


 あかねがひよりに頭を下げた。


「サイン?」

「ずっと憧れてたんです! 可愛くて、格好良くて! 私もひよりさんみたいになれたらいいなって思ってて!」

「……」


 ひよりが俺の腕に抱きついたまま、じっとあかねのことを見つめる。


 ひよりの腰がちょっと引けてしまった。


「あんたは私みたいになりたいの?」

「はい!」

「あんたは私のこと可愛いって思ってるの? 自分より?」

「私なんかがひよりさんに敵うわけないじゃん……」

「むぅ……」


 頭を下げたままのあかね

 戸惑うひより。


 ほんのちょっとだけ沈黙が流れた。


「それに私はあんたって名前じゃ……今村いまむらあかねって名前がありまして……」

「……」


 ひよりが助けを求めるようにちらっと俺のことを見た。


「ひより、書いてあげたら?」

「……」

「純粋にひよりのことが好きなんだよあかねは」

「うぅ……」


 俺がそう言うと、ようやくひよりがあかねから色紙を受け取った。


「ふんっだ。あんたなんてあんたよ」


 ぶつくさ言いながら色紙にペンを走らせる。

 とても手慣れた手つきだ。


「はい、どうぞ! なんで同級生にサイン書かないといけないのよ」


 ひよりがあかねに色紙を返した。


「あ、ありがとう!」

「今日だけ特別なんだからね!」

「って、あれ?」


 あかねが色紙を見て涙目になっていく。


「どうした?」


 あかねの様子がおかしいので、俺もその色紙を覗いてみることにした。



【 あんたへ! 片岡かたおかひより 】



 あんたさんへ当てられたサイン色紙になっていた。

 昨日から楽しみにしていたのにあんまりなサインだ。


「ぐすっ……」


 あかねが鼻をすすり始めてしまった。

 今にも泣き出しそうな顔になっている。


「シンプルに可哀想」


 ポカっとひよりの頭を小突く。


「痛っ!」

「そういう意地悪は好きじゃない」

「お、お兄ちゃんが今村いまむらあかねの味方をしてる……」


 俺の言葉にひよりも涙目になってしまった。

 なーんでそういうことするかなぁ。

 普通に今村いまむらあかねさんへで書いてやればいいのに。


「あ、ありがとう! 一生の宝物にするから! 感動して涙出てきちゃった」

「そっちの涙かよっ!」


 あかねがひよりにお礼を言った!

 俺は盛大にズッコケそうになってしまった!

 今の俺たち兄妹のとやりとりはなんだったんだ!?

 怒り損に怒られ損になってしまった!


「えへへ~、額縁を買ってこないと」

「……」


 ……あかねって結構オタク気質があるのかもしれない。


 


※※※




 ひよりと一緒に廊下を歩く。

 ひよりはずっとカップルみたいに俺の腕を組んでいる。

 昨日にも増して、やたら視線を感じるような気がする……。


「お兄ちゃん! 私、たこ焼き食べたい!」

「昨日、あかねと食べた」

「お兄ちゃん! 私、あそこのお化け屋敷寄ってみたい!」

「そう言えば、昨日茜あかねと歩いていたらお化け屋敷あったなぁ」

「お、お兄ちゃん、私あそこで休憩――」

「昨日、あかねと――」

「なんで全部私が二番目なのよッ!!」


 ひよりが壊れた。


「あっ、トオル君。あそこに昨日出てなかった屋台が出てるよ」

「本当だ」


 あかねは俺たちの後ろを一歩下がってついてきている。


「うぅーーーー!」


 ひよりから奇声が聞こえてきた……。


「なんなのあんた! どこまで私の脳を破壊すれば気が済むの!?」

「別にそんなつもりは……」

「というかどこまでついてくるつもり!?」

「彼女としてはやっぱり心配なわけで……」

「か、彼女って……! 無自覚マウント取ってこないでっ!」


 朝からずっと賑やかだなぁこいつら。

 俺はそろそろ疲れてきたよ……昨日は寝てないし……。


「だって、キスするって言ってたじゃん……」

「うん」

「ど、どこでするつもりなの?」

「みんなの前で」

「そ、それは無理なんじゃないかなぁ……。みんなの前に出る機会なんてないし」

「えっ? お兄ちゃんから貰った文化祭のパンフには、未成年の主張をやるって書いてあったけど」

「未成年の主張?」


 未成年の主張。

 昔、あるテレビ番組でやっていた名物企画。


 確か、生徒が学校の屋上から自分の思いを叫ぶコーナーのはずだったが……。

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