EP22【ネジ・アルナートは慕われがち】
俺は軽く背筋を伸ばして、孤児院の厨房に立っていた。職員の許可を取って、料理の手伝わせてもらうことにしたんだ。
なーに、ネジの紹介でそれなりに大きなレストランで働いたこともあるんだ。そこで学んだ腕で今夜は、このスパナ様が美味いシチューを作ってやろう。
そのためにもまずは鍋が必要だな。
「あっ、そこの鍋を取ってくれませんか?」
俺は職員の一人に軽い気持ちでお願いした。しかし、そいつの格好が妙なことに気づく。
クレイドル孤児院の職員は気の良さそうな夫婦だった。けど、今、俺と一緒に厨房に立っているのは、黒服でイカつい面をしたおっさん。基い、ネジの社員のケインじゃねぇか!
「何してんだよ⁉ アンタは⁉」
「お前の方こそ」
「お、俺はただ子供達に美味しいシチューを作ってやろうと」
「だから鍋か。ならこれでいいな?」
ケインは俺に手頃な寸胴鍋を渡してくれた。嫌味の一つでも言われるかと思ったが、そうではないようだ。
俺がまな板の腕で人参を切り出せば、ケインは横で玉ねぎのみじん切りを始める。その手際はやけに手慣れていた。
「俺はネジ社長の付き添いだ。前に来た時、子供達に顔の傷を怖がられてな。それからは裏で施設の清掃をしたり、こうやって食事を作る手伝いをしている」
「ふーん……似合わねぇな」
「お前こそ。今のお前はとてもクズなギャンブラーだと思えないぞ」
「ほっとけよ」
ネジにしろ、コイツにしろ、うるさい奴らだな。俺は天下のスパナ様。親父のダメ息子で、債務者のロクでなし。その事実はどうやっても変わりない。
「なぁ、お前から見て、この施設はどう思う?」
ケインがいきなり妙なことを聞いてきた。
何か意図があるのか? それがピンと来なかったので、俺は率直な感想を述べることにする。
「特に。どこにでもあるような孤児院だ。……けど、ガキどもは元気すぎるな。なんつーか、愛されてるっていうか、大事にされてるっていうか……少なくと不幸には見えねぇ」
「なら良かった。ここの施設は運営もネジ社長が運営を始めたんだからな」
曰く、このクレイドル孤児院はネジの手によって、つい最近運営が始まったらしい。
施設で働く夫婦もネジが子供達と真剣に向き合える人間を選んだらしく、他にも設備や環境、食品に至るまでを彼女は厳しい基準で精査したんだとか。
要は、それだけ彼女が頑張ったということだ。境遇に恵まれなかった子供たちを救うために。
「社長は一人でも多くの子供達にも、愛情に包まれながら大人になって欲しいと願っているんだ」
「あのネジがねぇ。まぁ……でも、あのネジだからかもな。……ネジらしいって言えるかもしれないけど、」
そんな風に、俺は少しばかりの思考に浸ってしまった。
「社長はワガママな人だからな。この施設の運営のためにかなり無理もしたし、苦悩もしてる」
「それで手っ取り早く金を集めるために、闇金ってわけか」
どこの世界も結局は金なのだ。これだけの施設を作るのにも、運営するのにもそれだけ金がいる。色んな所にこだわってるなら尚のこと。
「多くの子供達を救いたいって社長が思ったとき、彼女はやり方をこれしか知らなかったんだ」
「ケッ……不器用な奴」
やり方なら、他にあるのだろうに。
だが、ネジには不器用なクセに強欲なところがある。きっと、目についた子供達全てを救いたいとか綺麗事を吐かし、それを実現しようとするのだろう。
「けど子供達はどう思うんだろうな? 自分を育ててくれた施設の金が、クズどもから取り立てた汚い金だって知ったら。有意義であっても綺麗とは言えない話だぜ」
「子供達も苦悩するだろうな。けど、社長だってそれと向き合う覚悟も出来ている。社長は今、自分で出来ることを全力でやろうとしてるんだ」
俺は少し思考する。
「ネジはずっと戦ってたんだな…….俺が堕ちて自堕落になってる間、アイツはアイツの出来ることを全力でやってたんだ」
ケインはパチンと指を弾いて、「そういうことだ」と小気味の良い音を鳴らした
「ついでだ。少し俺の身の上話もしとこうじゃないか……といっても俺もお前と変わらないクズだったさ。喧嘩、喧嘩、で満たされねぇ日々を送って。けど、ある時社長が俺の前に現れたんだ」
んでもって、ネジは「そんなに元気があるのなら、私の元で仕事しない?」と誘ったらしい。
はぁ……何が闇金だよ。確かに彼女が相手にしてるのは、俺のようなクズばかりだが、ソイツに更生を促して、せっかく稼いだ大金も恵まれないガキどもに還元しちまう。やってること自体は、ただの慈善事業と変わりやしねぇ。
ネジが俺の知らないところで強くなったのは魔女としての腕っぷしに留まらない。その精神が強靭なものへと磨き抜かれたのだ。
けど、何故だ?
何が、あのネジをここまで強くしたというのだ?
「うちの社員だって、ほとんどがクズでどうしようもない人生を過ごしてる奴ばかりだけどな、社長はそんな俺たちにさえ手を差し伸べてくれたんだ。本人は蛇の道なんだからと、闇金を営むのに適した、アウトローの人材を探していただけなのかもしれない。けど社長のおかげで、俺たちが救われたのも一つの事実なんだ」
「だから、アンタらはネジの奴を慕ってるんだな」
だからこそ、ネジを悩ませる俺は敵ってわけか。
シドの野郎に殴られた理由もそう言う事なんだろう。
「スパナ。社長をそんな人間にしたのはお前だ」
またケインが唐突に妙なことを言い出した。
「んなこと、知ってるよ……けど、それは誤りでもあるんだ。ネジがお前らを救ったことに俺は何の関係もない」
今のネジが多くの人を救ってることは十分に理解できた。ケインたちが彼女に着いて行こうと思えるのも、それだけアイツの信念に芯が通っているからだ。
「俺が関係あるとしたら、ネジの生きる世界を〝表〟から〝裏〟に追いやったことくらいだよ……」
そう。他の誰でもない。
俺自身がネジの人生を真っ当な舞台から蹴落としたのだ。
「俺はレンチ・ヘッドバーンとシロナ・ヘッドバーンの息子、スパナ・ヘッドバーン様だ。だから何でも出来るって、一人の少女を父親から救うくらい簡単だって……そんな風に本気で信じてたバカなクソガキさ」
ネジの過去。それは今思い出しても、惨いものだった。
時は遡って十年前────まだ俺が今みたいに捻じ曲がなっていなかったあの日まで遡る。
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