第8話
この手記は現在高校生である自分がこれまでの人生を懐古するものであり、自分のことを知ってほしいのに自己を開示できない自分への戒めを込めたものでもある。
私はもともと人と接するのが苦手でした。
人として生きることは出来ても人間として生きることはこれまで一度もかないませんでした。これからもそのように生きることはないと思います。かといってそのように生きたいのかと問われればそういったわけでもなく自分でもよくわからないのです。特に、笑顔というものが一等苦手であのように顔の筋肉を動かせる人を見るたびに何を食えば自由自在に表情を動かしえるのかと不思議にばかり思います。ですので私は笑顔というものに大変に嫌われていると感じていますので、決して笑わないようにしているのです。ただ過去に一度、自ら笑顔を作ってみたことがありました。小学校低学年か幼稚園かその時分に集団で写真を撮ることがありまして、その頃は自分のそういった特性をあまり理解しておらず笑顔というものを試みたのです。写真を撮った後、取ってくださった方は一瞬顔をしかめたように記憶しています。数日後写真が現像されたものが配られみんなが穴が開くほどに見ているさなか、一人が私の方を指さして、なんで直治くん変な顔してるの?と子供特有の大声で聞いてきました。私は答えに困りました。自分ではいたって真面目に笑顔でいたのにそのように言われてしまったのだから。音痴が正しい音と間違った音の区別がつかない様に、私には他の人との違いがまるで分らなかったのです。ともかくその場は適当にやり過ごすことは出来たのですが、それ以降一部の子からの見られ方が変化したように感じたのを今でも鮮明に覚えています。具体的には私とかかわりたくない、頼むから関わってこないでくれといった雰囲気があるのです。
社会から異物と認定されたものは直接的に自分が異端なのだと認知するのではなく、間接的にどこか憐憫を持って知らされるのだということが私が社会で学んだ初めてのことでありました。そして、真に社会から追放されるということは無視されるということではなく、愛玩動物のようにやさしくされるということをこの時わからされました。もともと仲が良かった子、ほかのクラスメイト、担任の先生、全員に言えることで私だけ扱いが違うのです。一部の子たちが私に向けていた視線というのは金魚を鉢から眺めるように観察の目なのだと後に合点がいきました。他者としての人格が認められないという経験は私の自分は歪な人間じゃないという常識を破壊され、また自尊心を大きく傷つけられました。
またその写真を親に見せてしまった時、親がカメラマンさんと同じ顔をしたことで私の写真嫌いと笑顔嫌いは決定的なものになりました。それ以降からでしょうか両親の中が少しずつ悪くなっていったのです。投げる言葉は日に日に強くなり、離婚こそしなかったものの別居にまでに至りました。その原因は私にあるのでしょうか。単なる自意識過剰であると今も信じたく思います。もちろんそれまでに多くの夫婦喧嘩が起こり、私もそれを耳に入れることになるのですが、頻繁に他人のけんかを聞かされるのは精神的にだいぶ苦しいものでそれが家の中で起こっているのだからなおさら。当時の私は家族全員不幸になってしまうのになぜ結婚なぞをしてしまうのだろうかと常々不思議に思っておりました。最終的に別居が決まったのが小学五年生の頃なのですが、その頃にはもうちととかかわること自体が恐ろしく感じられました。
私には嘘とは何なのかいまだにはっきりせずにいるのです。幼い子供さえわかるような嘘をなぜおまえは真剣にとらえ続けるんだと半ば怒られるような心配するような調子で言われたことがあるのです。特に父は私によく嘘をついてからかい、そのたびにお前はなんて頭が悪いのかといわれ続けました。何度噓をつかれても結局成長することはありませんでしたので、自分でもどこか否定できないものに現実味を帯びてきたことが悲しかった。きっとこのようなことの積み重ねが人を恨むに足る憎しみへとなるのでしょう。
思い出せる限りの幼少期の記憶はこの程度である。中学の頃の思い出に関しては何もなかった。何をしても、どこにだれといても、楽しくなかった。そんな調子なので、高校は離れたところを選んだ。
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