15 剣闘士の最後
嘲笑は事欠かない。ここじゃ立ってるだけで、倒れるだけで雨みたいに降ってくる。
それともうひとつ、いくらでも手に入るものがあった。それは鉄塊だ。
刃こぼれした剣を投げ捨てると、そばの観客席から真新しい剣が放り込まれる。
剥き身のままのそれを空中で受け止めると、ズシリとした痛みが走り、足が地面に埋まったかと思うほどに身体が重くなった。
もう限界なんて、とっくの昔に超えてる。
身体は切り傷とアザだらけで、どこも真っ赤っか。ケガしてないところを探すほうが早いくらいだ。
だが、次の戦いで最後となる。
なんとしても勝つ。勝ってここを出て、ふたたび妹を抱きしめるんだ。
俺はゆったりとした足どりで闘技場の真ん中へと歩いていく。
走らないのは身体を少しでも休めるためだが、どのみちもう速く動くことなどできない。
前方からは「さっさとしろ!」という観客たちのヤジ。後方からは、前の戦いで殺したトラが引きずられていくかすかな音がしていた。
あれは、ここに立つヤツが最後に立てる音。ひとつ間違えれば、あの音をたてていたのは俺のほうだった。
ヤツの牙が首筋に迫った時の感覚、その咆哮が耳にこびりついて離れない。
恐怖を振り払うように顔をあげ、客席を睨みあげる。
客席のなかでも貴族たちが集う貴賓席、その頂きにはドレスと厚化粧でめかしこんだ中年女がいた。
ガマガエルの化け物みたいなソイツは、でっぷりとしたアゴをクイと動かす。
それが合図となって、入場門が開く。
門からどやどやと現れたのは、顔なじみのヤツらだった。
ヤツらは手負いの獅子を見つけたハイエナのように用心深く、それでいて勝利を確信しているような笑みで俺を取り囲む。
俺は少しでも身体を休めるため、口を動かすことにした。
「どうやら、応援に来てくれたわけじゃなさそうだな」
「げへへ、悪いなグラド。お前さんはここでオシマイだ」
「ひとりの剣闘の場合は、相手もひとりっていうルールだったはずだが」
「それだけゲマニエル様はご立腹ってこった。大人しくゲマニエル様の愛玩になってりゃ、いまごろは豪華な宮殿で暮らせたってのによ」
貴族夫人の愛玩になる。それは剣闘士奴隷から抜け出すひとつの方法だ。
だが俺は死んでもなるつもりはなかった。
「腕を切り落とされたんじゃ、妹を抱きしめられなくなっちまうからな」
「へっ、この期に及んでまだ妹のことなんざ気にしてんのかよ。ったく、バカなヤツだぜ」
「そうかもしれないな。でも、この数はやりすぎじゃないか? 20人はいるだろ」
俺はある男に横目を向ける。
「こんなザコといっしょになってひとりを襲うなんて、アンタも落ちぶれたもんだな、ドム」
ドムはこのコロシアムいちの剣闘士奴隷。両手剣を片手で振り回す剛者だ。
俺がこの道に入ってから、いちばん稽古を付けてもらったヤツでもある。
ドムは包囲網から歩み出て、俺の前に立っていた。
「どうやら、俺の手で地獄に送られたいようだな。よし……1対1だ、誰も手は出させん」
ドムの宣言に「えっ?」と抗議じみた声をあげるザコども。しかしドムに一瞥されるだけで、それ以上なにも言わなくなる。
最後の戦いの合図となるホーンが高らかに鳴り響いた。
ドムはまだ剣を肩に担いだままだ。
抜刀していないヤツを斬るのは気が進まないが、俺にはもうムダな動きができるだけの余裕はない。
一撃で決めるつもりで挑みかかっていったが、身体が途中でよろめいてしまい、こちらの剣はまるで届かなかった。
刹那、俺の鼻先を大上段のからの剣閃が掠めていく。
股の間の地面に鉄球が落ちたような激震が走り、芝生が舞い上がる。
ひとりでに震えだす脚。ドムの容赦ない眼光が俺を貫いていた。
「お前がいつもの体調だったら、いまの抜刀斬りでまっぷたつになっていた。グラド、もはやお前は野良犬一匹殺せん」
「そうかな」
俺は今度こそ本気で、己にムチ打つように地を蹴る。
ドムの懐に飛び込むと、ヤツの顔色が変わった。
「お前……まだそんな力を残して……!?」
「忘れたのかよ、この演技はアンタに教えてもらったんだ!」
しかしこれすらも演技かもしれない。
なぜならば、身体はもう自分のものではないような感覚で、なぜ動いているのか自分でも不思議なくらいだったから。
間違いなく、この一撃で最後だ。
俺は、身体じゅうを走る激痛ごとぶつけるように剣を薙ぎ払う。
ドムの反応は完全に遅れていて、俺の剣撃をとっさに腕でかばおうとしていた。
ヤツの手首と生首、ふたつの首が同時に舞い上がる様を俺は想像する。
「もらった……!」
しかし剣はドムの手首にぶつかった途端、陶器のような脆い音をたてて折れてしまった。
「なっ……!?」
まっぷたつになった刀身。手元に残った半分だけの剣を見てみると、断面が空洞になっていた。
罠だと気づいた次の瞬間、俺は背中から突き上げを受けてのけぞっていた。
ザコのひとりが、背後から俺を刺したんだ。
「く……くそ……!」
腹から突き出た剣先から、穴の開いたタルのごとく血があふれだす。
ヒザから崩れ落ちた俺の肩に、ずっしりとした鉄塊が乗せられる。
睨み上げた先には、にわかな驚きを隠せないヤツの姿があった。
「ひ……卑怯だぞ……ドムっ……!」
「ヤバくなったら後ろから刺すように命令してたのは俺だが、脆い剣を渡したのは俺じゃねぇよ。しっかし、ゲマニエル様がここまで俺たちのことを信用してねぇとは思わなかったぜ」
ドムは「そんなことより」と俺の肩に乗せた剣を横に傾け、首筋に押し当てた。
「最後になにか言っときたいことはあるか? それとも、神サマにでも祈るか?」
俺の口から、その名が自然とこぼれる。
「リムル……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
俺は農家の息子だった。
しかしオヤジみたいに一生畑を耕して暮すのが嫌で、大きくなったら村を出て、剣士になるのを夢見ていた。
俺には歳の離れた妹がいたんだが、よく笑う子で、村のみんなから可愛がられていた。
剣術の練習をする俺を、いつも応援してくれたな。
「がんばれーっ! フレー、フレー、お兄ちゃん! あと5回だよ! 96、97、98!」
「99……100っ! と!」
「腕立て伏せが100回もできるなんて、お兄ちゃんすごい!」
「まだまだだよ、立派な剣士になるには、もっともっとできるようにならないと」
「お兄ちゃんは、どうして剣士になりたいの?」
「剣士は農家よりもずっと金を稼げから、家族にいい暮らしをさせられる。それに剣士は強いから、いざって時に家族を守れるんだ」
「ふぅん……リムルのことも、守ってくれる?」
「当たり前だろ! お前のことは一生、兄ちゃんが守ってやるからな!」
「わぁい、お兄ちゃん、大好き!」
しかしある日、村を山賊が襲った。
家にもひとりの山賊が来たんだが、俺が下手に抵抗したせいで、山賊は俺たち一家を皆殺しにしようとした。
俺は死ぬのが怖くて、震えて動けなくなっていた。でもオヤジとオフクロは農具で山賊に立ち向かったんだ。
しかし山賊を殺すことはできず、逃げられてしまう。このままだと仲間の山賊が来てしまうので、俺たちは家の裏手にある川へと避難した。
オヤジは俺を、オフクロはリムルを船に乗せると、船のもやいを解いたんだ。
「グラド! リムルのことは頼んだぞ!」
「えっ!? オヤジ、みんなでいっしょに逃げないのか!?」
「パパ、ママ、行かないで! リムルといっしょにいて!」
「母さんたちはあとで追いかけるわ! だから先に逃げて!」
みんなで逃げたら山賊は追いかけてくる。逃げる時間を少しでも稼ぐために、オヤジとオフクロは残る決意をしたんだ。
山賊が家の前へと押し寄せてきた。オヤジとオフクロは岸を離れ、農具を構えて立ち向かっていく。
ふたりの悲鳴を聞き、燃え上がる家を見て、リルムは泣き叫んだ。
「いやああっ! パパ! ママ! 戻って! 戻って! お兄ちゃん!」
俺はなにも言えず、狂ったように暴れるリルムをずっと抱きしめていた。
「お兄ちゃん……! なんで!? どうして!? お兄ちゃんは、みんなを守ってくれるんじゃなかったの!?」
俺たちは山賊から逃げおおせることができたが、ゲマニエルの手下に騙されて奴隷になってしまう。
もう、リルムは泣かなかった。オヤジとオフクロを失ったショックで抜け殻のようになり、笑いもしなくなった。
奴隷というのは、首に鎖型の焼印を押される。
赤くなるほどに熱した鉄の首輪を付けさせられるのだが、リルムは灼熱の首輪をはめられても呻くだけだった。
俺はリルムの笑顔を取り戻すため、涙を捨てる。
剣闘士奴隷になって、死ぬ気で戦った。今度こそ本当にリルムを守るために。
しかし……あの日、異世界転移と呼ばれる異変が起り、俺とリルムはアストルテアから別の世界へと移る。
そして、リルムとは離ればなれになってしまったんだ……。
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