14 当然の世界
クラッチを繋ぐとリンドブルムは肉のじゅうたんを乗りあげ、足元からは生きたままひき肉にされるような絶叫がおこる。
タイヤの隙間から覗く苦悶の表情に向かって、ツクシは説いていた。
「神の足圧マッサージです! 悪に凝り固まった身体をほぐしてください!」
これで改心してくれるといいんだが、そんな心配をしてる場合じゃなかった。
「いただきだぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!!」
山賊の残党が奴隷少女の乗った檻馬車を奪い、マーチャンたちの集団から離れようとしていたんだ。
「ヒャッハー! このガキは通行料としていただいてくぜっ! 毎度ありぃーーーーっ!」
その時ちょうど首都高5号池袋線の西神田出入口にさしかかっていて、マーチャンは出口に向かうよう仲間に指示していた。
どうやら目的地に着いたので、奴隷少女を見捨てるつもりのようだ。
マーチャンは俺に気付くと、御者席からぶんぶん手を振ってきた。
「ありがとーっ! ダークくんのおかげで、被害ゼロでタップウォーターブリッジまで来られたよーっ!」
被害ゼロ、だと……?
そうか、護衛任務を達成したらあの奴隷少女を檻ごともらえる約束になってたから、山賊に奪われてもマーチャンにとっては痛くも痒くもねぇのか。
「タダ働きになっちゃって、残念だったねーっ! せっかくだから、ボクらといっしょに来なよ! また仕事をあげるよーっ!」
笑顔で手招きしながら、坂道を下っていくマーチャン。
「ふざけんなっ!」
俺は振り払うようにハンドルを切ると、檻馬車を追ってさらに高速を走った。
相手はノロい馬車だからすぐに捉えられる。俺が追撃しているとわかったとたん、山賊は泡を食っていた。
「なっ!? へんな鉄の馬が追ってきやがる!? くそっ、飛ばせ、飛ばせぇぇぇーーーーっ!」
山賊は大騒ぎしながら馬に鞭打ち、手綱を操りつつ片手でクロスボウを撃ってくる。
檻ごしに飛んでくる矢。檻の中にいる少女は片隅で膝を抱えたまま座っていた。
下手すると流れ弾が当たるかもしれないのに、少女は身を固くすることもない。
鼻先スレスレを飛んでいく矢を、茫洋な瞳にただただ映すばかり。
矢をかわしながら檻馬車の後ろに付けると、ツクシがシートベルトを胸によりいっそう食い込ませながら少女に声を掛けた。
「怖いかもしれませんが、あと少しだけガマンしてくださいね! アンノウン様……じゃなかった、ダーク様が助けてくださいますからね!」
すると少女はこちらを見やる。顔を動かした拍子に矢がこめかみをかすめた。
ツクシは我が事のように「キャッ!?」と小さな悲鳴をあげる。しかし少女は血を流してもなお、変わることはなかった。
「……誰も、リルムを助けてくれない。口では助けるといっても、最後はみんないなくなる」
乾いた唇から漏れた言葉は、生きるのをあきらめているかのようだった。
「アンノウン様は、そんなことは……! ……きゃあっ!?」
次の瞬間、リンドブルムは見えない壁にぶつかったような衝撃とともに停車した。
『ドライブセーフティ作動、停車します。このまま進むと、高架から落下するおそれがあります』
見ると、檻馬車は道路脇に停まっていたキャリアトラックに乗り上げていた。
ジャンプ台のように傾いたキャリアを馬車は駆け上がっていき、高く飛びあがる。袖のフェンスを乗り越え、高架から放り出されていた。
山賊は俺たちを追い払うのに必死で前を見ておらず、キャリアトラックに気づかなかったようだ。
「し……しまったぁーーーーーーーーっ!? こんなところで死ぬなんて! し、死にたくねぇっ! 死にたくねぇよぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっ!?」
山賊の命乞いが天高くこだまする。
檻馬車の少女は、俺たちの視界から消えるまでこちらをじっと見ていた。まるでこうなる運命を予見していたかのような、光なき瞳で。
「ふ……ふざけんな……!」
あの子は……リムルは、いったいどんな人生を送ってきたっていうんだ……!?
どんな過酷な人生を歩んだら、あの幼さで死を受け入れられようになるんだ……!?
そんな人生が、いまここで終わるっていうのかよ……!
そしてそれを、黙って見てろってのかよっ……!
俺は力まかせにアクセルをひねる。頭の中で冷たい声がした。
『後を追うのはおすすめできません。高架下は、建造物の多い街中となります。下が平地なら問題なく着地できますが、建物などに衝突する可能性が高いです』
「ふざけんな! ふざけんなよっ!」
『サイドカーには安全装置がありますので衝突しても大事には到りませんが、マスターは命を落とす危険性があります。その確率……』
「ふざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
アクセルを掴んだまま、ねじ切るほどにブン回す。
リンドブルムは一瞬にしてキャリアトラックを乗り越え、射出されるように高架から飛びだしていった。
『フィジカルアシスト作動。エレメントによる疑似アドレナリンを発生させます』
その声とともに、世界はスローモーションとなった。
先行している檻馬車は重い放物線を描き、垂れ落ちる油のようにゆっくりと落下している。
俺はグンニグルを構え、檻馬車の錠前を狙って発砲。
弾丸は水の中を進んでいるかのように空間を歪めながら進んでいき、錠前を弾き飛ばす。
その音でハッと顔をあげるリムル。鉄格子の扉が弾け飛び、木の葉のごとく舞い上がった。
俺は手を伸ばし叫んだ。
「こいっ、リムル! そこから飛ぶんだ! 俺が受け止めてやる!」
リムルは信じられないような表情をしていた。まるで、自分にはぜったい起らない出来事に遭遇したかのように。
声にならない声。唇はこう動いていた。
「なんで、助けてくれるの……?」
「なんでって……!」
親が子を助ける、兄が妹を助ける、大人が子供を助ける。
そこには疑問とか、理屈なんてあるわけがねぇ。
だってそれが……。
「それが当たり前のことなんです! アンノウン様のいるこの世界では、それが当たり前のことなんです!」
祈りにも似たツクシの声。俺は声をかぎりに叫んだ。
「そうだ、わかったか! わかったらゴチャゴチャ言ってねぇで、こっちに来いっ!」
見えない手に引かれるように、リムルは立ち上がる。
「俺を信じて、飛べぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
盲目の少女が初めて光を見たかのように、檻馬車から飛んだ。
「あ……アンノウン……さまぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
死神が気まぐれで起こしたような突風が吹き、ちいさな身体が空に連れ去られそうになる。
「させるかぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
俺はシートから飛びだし、間一髪のところでリムルの手を掴んだ。
もう片手で握りしめているハンドルだけで、俺は辛うじてリンドブルムと繋がっている。
下からの風を受けて手が離れそうになったが、片手懸垂のごとく腕に力を込めてシートに戻った。
抱き寄せたリムルをツクシに預ける。すると待ち構えていたかのようにサイドカーはキャノピーで覆われ、ふたりを保護した。
よし、これでツクシとリルムは安全だ。
さぁて、あとはどこに着地するかだな。
俺は鼓膜を打つほどの風鳴りを感じながら、パノラマに広がる眼下を見渡す。
リンドブルムはすでに神田川を超えており、後楽園のほうに向かって飛んでいた。
ゆっくりと、しかし着実に迫ってくる大地。
街中はどこもトゲトゲしく、まるで地獄の針山の上を飛んでるみてぇだった。
「うわぁ……! お姉ちゃん、お空を飛んでる! お空を飛んでるよーっ!?」
しかしキャノピーごしのリルムにとっては天国みたいで、ツクシにヒザ抱っこされておおはしゃぎ。
年相応に瞳をらんらんと輝かせていた。
「ほら見てお姉ちゃん! あそこに大きな雲があるよ!」
大きな雲……? なるほどたしかに大きな雲じゃねぇか。
あそこならもしかしたら、フワッといけるかもしれねぇな……!
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