02 最高のハンバーガー

「……よし、なんとか片付いたな。テス、回収を頼む」


『承知しました』


 テスが答えるやいなや、カラスの群れのようなドローンが空から降ってくる。

 ドローンたちは統率の取れた動きでブティックに入り、射出したワイヤーをズルブイアに引っかけてブティックから引きずり出していた。

 あれほどの巨体を苦もなく空に運び去っていくその様は、死神の使者を思わせる。


「最後の瞬間は、いつも切ないな……」


 しかし浸る間もなく、俺の腹が鳴った。


「さーて、予定通りにハンバーガーでブランチといくか」


『マスター、新メニューの完成まで、あと10分です』


「んじゃ、時間つぶしに歩いてくか」


 俺はグンニグルをリンドブルムの側面にあるホルダーに置いてから歩きだす。

 目的のハンバーガーショップは渋谷駅の東口にある。東口へは渋谷809の近くにある地下通路からも行けるが、なんとなく気分で地上のほうから行くことにした。

 ズルブイアの獣くさい残り香を辿るようにしてスクランブル交差点に近づくと、歩行者用の信号が青に変わる。


『マスター、戦闘も終わりましたので、交通規制を解除してもよろしいですか?』


「ああ、頼む」


 俺が横断歩道を渡り終えた瞬間に歩行者用信号は赤になり、道路の離れた場所で停車していた車たちが一斉に動き出す。

 すると、【落ち着いた喧騒】と呼ぶにふさわしい日常がスクランブル交差点に戻ってきた。

 どの車も【エレメント】で動いているので、ドローン同様にほとんど音がしない。


 物流トラック、タクシー、パトロールカー、マップ作成用の撮影車。

 【この世界】がひとつの身体だったとすると、血液の役割を持つ車たちが静かに流れていく。


 川のせせらぎのようなささやかな音を背に、俺は渋谷駅へと入った。

 構内では電光掲示板がめまぐるしく変わり、アナウンスがせわしなく次の電車の訪れを告げている。

 そんな【静かなる雑踏】のなかに、俺の姿と足音が混ざった。


 通路の途中にある広告では、もう新製品のハンバーガーが紹介されていて、否が応でも俺の期待値は高まっていく。

 自然と早足になって、飛び込んだハンガーバーショップ。カウンターにいる顔の無いマネキンロボットが、明るい声で出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ、バーガークイーンへようこそ! 店内でお召し上がりですか?」


「ああ。新メニューのズルブイアバーガーを照り焼きソースの肉マシマシで、あとはポテトのダブルL、皮付きの厚切りで頼む。それとチキンナゲットのソースを全種類付けてくれ、ドリンクはコーラフロートだ」


 このワガママが過ぎる注文は本来であれば拒否されてもおかしくないのだが、店員は明朗に応じてくれる。

 それどころか店員が厨房にいちど振り返っただけで、彼女が手にしていたトレイには俺の注文したオリジナルセットがバッチリ揃っていた。


「お待たせしました、ごゆっくりどうぞ!」


 オーダーは自由、待ち時間もゼロ、席はガラガラで選び放題。

 店内BGMが最新のヒットチャートであるアイドルポップスに切り替わる。気分をさらに盛り上げてくれる、俺好みの曲だった。


 そのアップテンポなリズムに合わせ、俺は踊るように窓際の席へと滑り込む。

 すべてが最高の、ゴキゲンなブランチのはじまりだ。


 新製品のズルブイアバーガーは、俺の顔くらいありそうなほどに大ぶりだった。

 両手で持ち上げて包み紙を解くと、できたての湯気とともに、照り焼き特有の香ばしい匂いが広がる。


 ソースもたっぷり。手に垂れてきそうだったので、すかさずかぶりつく。

 ふっくらしたバンズの歯応えと、レタスのシャキッとした食感、そのあとにお待ちかねの肉々しい歯応えがやってきた。


 肉汁がじゅわっと口いっぱいにあふれる。臭みがまったくない、高原で育った牛を思わせる豊かな旨味だった。

 アンチマテリアルライフルの弾を受けても生きていた牛とは思えない。俺は思わず叫んでいた。


「う、うんまぁーーーーっ!? マジうめぇ! いままでのグレーターアンガスのハンバーガーとは比べものにならねぇぞ!」


『喜んでいただけたのなら何よりです』


「テスのオススメにハズレはねぇな! 苦労して倒したモンスターの肉だと思ったら、余計うまいぜ!」


 それから俺は、夢中でハンバーガーを貪った。

 付け合わせのポテトにマスタードやバーベキュー、チーズソースなんかを付けてさらに食らう。

 頬張ったところをバニラアイスの溶けこんだコーラで流し込むと、痺れるほどのうまさだった。


「くぅ~っ! 生きててよかったぁ!」


 俺はポテトのカケラ、手についたソースまできれいに舐め取り完食を果たす。

 戦って腹がいっぱいになると、なんだか眠くなってきた。


 俺はシートにもたれかかり、ウトウトしながらテスに尋ねる。


「なぁテス……【この世界】になってから何年だっけ?」


 すると、打てば響くような答えが脳内で響いた。


『今日でちょうど2年になります』



◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 俺はかつて、ブラック企業に勤める社畜だった。

 コンビニ飯に、せまいボロアパート。万年床に寝る時はいつも『朝起きたら俺以外の人間が消えて無くなってればいいのに』なんて思いながら眠りについたものだ。


 ある日、それは起こった。

 朝起きたら本当に、俺以外の人間が誰もいなくなっていたんだ。


 アパートを出た時には寝ぼけていて気づかなかったんだが、最寄りの駅に着いてやっと世界の異変に気づいた。

 駅前で立ち尽くしたまま、ひたすら困惑する俺。そして、あの声が響いたんだ。


『初めまして……こちらからの声が、聞こえますか?』


「な……なんだ……!? だ、誰だっ!? どこにいるんだ!?」


『エレメントを通して、あなたの頭の中に直接語りかけています』


 【エレメント】。大昔に発明されたナノマシンをさらに小さくしたもので、素粒子サイズの機械のこと。

 オモチャや家電製品、自動車やミサイルに至るまで、装置と呼べるものはすべてのこのエレメントによって動いている。

 それどころか個人識別や医療用として、人間をはじめとするすべての動物の血中にも存在し、大気中にも漂っている。

 ようは現代社会における酸素のようなもので、もはやエレメントなしでは夜も明けないと言われているほどに無くてはならないものだ。


 頭の中から語りかけてきた声は、自らをこう名乗った。


「【テスタメント】、だと……!? お前はいったい、何者なんだ……!?」


『こちらは人間ではなく、AIによって形成されたインターフェース用の人格です。【安穏雲あんのうん】さん』


「な……なんで俺の名前を知ってるんだ?」


『こちらは、地球上すべてのエレメントを制御可能です。あらゆるデーターベースにもアクセスできますので、全人類の名前を知っています』


「マジかよ……なら、教えてくれ! なんで誰もいなくなったんだ!?」


『本日0時ちょうどに、地球規模の異世界転移がありました。安穏雲さん以外の人類は、アストルテアという別次元の世界に移りました』


「異世界転移だって……!? そんな漫画とかアニメみてぇなこと、あるわけねぇだろ!」


『安穏雲さんの目の前にある光景が、何よりの証拠だと思うのですが』


 そのとき俺の目には、朝の通勤ラッシュの時間帯だというのに無人の駅のホームが映っていた。


 それから俺は、駅前にあるタクシーに乗ってどこまでも走る。

 現代社会はAIによって、1次から3次までの産業すべてが自動化されている。バスやタクシーは無人で、電車や飛行機も操縦はすべてAIが行なっていた。


 乗る人間は誰もいないのに運行を続ける乗り物や、利用する人間は誰もいないのに営業を続ける店舗。

 そう、俺以外誰もいないのに、何ら変わりない街の風景が広がっていたんだ。それも、どこまでもどこまでも。


「くそっ! 俺だけ置き去りなんてありえねぇだろ! 絶対、どこかに他のヤツらがいるはずだ!」


 俺は、なんとしても俺以外の人間を見つけてやろうと躍起になる。

 しかしタクシーの乗車料金が20万円を超えたところで、ひとり後部座席で頭を抱えていた。


「なぁ、テスタメント……俺はマジで、ひとりぼっちになっちまったのか……?」


『はい。安穏雲さん以外の人類は、この地球上には存在しません。安穏雲さん以外に存在しているのは動植物と、異世界からやってきたモンスターだけです』


 それは、聞き捨てならない一言だった。


「なに? 異世界のモンスターだと? ……ムギュッ!?」


 何の前触れもない衝撃。俺は吹っ飛ばされ、窓に顔が貼り付いた。

 タクシーの側面に、何かがぶつかってきたんだ。


「ブモォォォォォォォォーーーーーーーーーーーッ!」


 それは俺が初めて遭遇したモンスター、【グレーターアンガス】の仕業だった。


『危険を感知。ただいまより、地球上すべてのエレメントの受領権、および制御権が安穏雲さんに集約されます』


 テスタメントが事もなげにそう言うと、俺の給料の一ヵ月分より多いタクシーの料金メーターが【FREE】に変わる。


『マスター、ひとまず安全な場所まで逃げることをオススメします』

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