社畜オッサン、世界規模の異世界転移に取り残されたので気ままに暮す

佐藤謙羊

01 特異種との戦い

「神がいない世界の十字架って、なんの意味があるんだろうな」


 俺がそうつぶやくと、頭の中で声が響いた。

 ここ2年ほど聞いている、女の声だ。


『それは、今夜のテレビアニメに関する話ですか?』


「いんや。アレ・・を見て、なんとなくそう思っただけさ』


 俺は新開発されたボディスーツに身を包み、ビルの屋上で腹ばいになっていた。

 伏射で構えたスナイパーライフル。レンズの向こうには、十字架の地上絵みたいな横断歩道がある。


 あそこは世界でもっとも人が行き来するというスクランブル交差点だが、いまは人っ子ひとりいない。

 正確には、2年前から。あの交差点をいまなお横断している人間は、世界で俺ひとりだけ。


 俺たちの話し声以外は、風の音すらもない若者の街。しかしふと、遠くからかすかな声がした。


『まもなく電車がまいります。黄色い線の内側に、下がってお待ちください』


 交差点の向こうに見える駅、誰もいないホームに電車が入ってくる。

 電車は朝日を受け、車体に光を滑らせながら停車。機械的に扉を開く。


『渋谷、渋谷です。次は恵比寿。お降りの方はお忘れ物にご注意ください』


 降りる客どころか乗る客もいないが、アナウンスは気にしない。

 電車もそれが当たり前であるかのように扉を閉じ、ホームから走り去っていった。


「そういや、電車にも長いこと乗ってねぇなぁ。ちょっと前までは毎日乗ってたのに。立ち食いソバが懐かしいぜ」


『では、昔を思いだして召し上がってみてはいかがですか?』


「それもいいけど、また今度な。いまの俺の胃はハンバーガーだから」


『そのハンバーガーの到着まで、あと30秒です。2時の方角』


「マジか」


 俺はゆるみきっていた気分を引き締めるように、銃を構えなおす。

 スコープを言われた方向に向かって動かすと、ビルの陰から四つ足の巨躯がぬうっと現れた。

 デカいとは聞いていたが想像以上だったので、思わず「でかっ」と口に出してしまう。


「あれで【グレーターアンガス】なのかよ。牛の仲間っていうより、まるでゾウじゃねぇか」


『グレーターアンガスの特異種、【ズルブイア】。正確には牛とモンスターの仲間です』


 俺がスコープの照準で捉えているのは、身体じゅうが傷だらけの黒牛。

 道路脇に停車している物流トラックの後ろを通り過ぎていたのだが、身体はトラックの陰に隠れきらず、丸太を削ったようなぶっといツノが盛大にはみ出していた。


「2トントラックよりもデカいのかよ。完全にモンスターだな」


『これまでの実戦よりも心拍数が上昇しています。止めたほうがいいのでは? こちらから手を出さなければ、あのズルブイアは渋谷区を抜け目黒区方面に向かうでしょう』


 お天気お姉さんみたいなその声をよそに、俺は照準のド真ん中にズルブイアの額を捉え、引き金に指を掛けた。


「言っただろ、いまの俺の胃はハンバーガーなんだ。それも、とびっきりのな……!」


 銃口が炎を吐く。耳をつんざく発射音に、寝そべっていた金属の床板がビリビリと震える。

 スコープの向こうには、首がちぎれんばかりにのけぞるズルブイアの姿が。


「やったか!?」


 戦いにおいて、その言葉は負けフラグだと気づいた時にはもう遅い。

 ズルブイアは天に向かって吠えていた。


「……ブモォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 陥没した額から血を噴出しながらいななくその姿は、発車を控えた蒸気機関車のよう。


『まもなく発車します。駆け込み乗車はご遠慮ください』


 駅からのアナウンスが終わると同時にズルブイアはアスファルトを蹴っていた。

 地響きが聞こえてきそうな疾駆で、渋谷809めがけてまっしぐらに向かってくる。

 まさにそこの屋上にいた俺は面食らった。


「アンチマテリアルの弾を食らって生きてんのかよ? しかも撃った方角までわかるなんて……!」


 にわかに焦る俺とは真逆の、落ち着き払った声が頭の中で響く。


『ズルブイアの視力は0.04。牛と同程ですが、嗅覚は犬の30倍あります。現在は無風ですので、硝煙の匂を辿っているものと思われます』


「マジかよ」


『ズルブイアとの距離、あと100メートル。こちらに到着するまであと10秒です』


「なんだ、けっこう遅いじゃねぇか。まあ、どっちみちこっちはビルの屋上にいるから大丈夫だろ」


『いえ。ご案内しているのは、こちらの屋上に到着するまでの時間です。あと5秒』


 俺は半信半疑で身を乗り出し、ビルの端から下を覗きこんでみる。

 すると眼下には信じられない光景があった。

 なんとズルブイアは壁に足を突き刺すようにして、ビルを垂直に登ってきていたのだ。

 血まみれになった顔、血走った眼光と目が合っちまった。


「ま……マジかよっ!?」


「ブモォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 雄叫びとともにズルブイアは天高く舞い上がる。

 朝日を隠してしまうほどの巨体が作り出した影が、暗雲のように俺を覆った。


「ヤベっ!?」


 2トントラック級の踏みつけ攻撃を、間一髪転がってかわす。

 ズルブイアが屋上に着地すると、金属の床がすり鉢状にひしゃげた。

 このデカブツにかかれば、厚い金属の床板すらもアルミの空き缶同然のようだ。


 アリジゴクのようにへこんだ床。俺の身体は傾斜で滑り、ズルブイアのいる地獄の中心まで落ちそうになっていた。


「ま、マジかよぉぉぉぉーーーーっ!?!?」


 俺はとっさに四つん這いになり、しゃかりきになってアリジゴクを這いのぼる。

 いつの間にかグローブのグリップが効いていて、すぐに這いあがることができた。


「サンキュー、テス! つぎは配車をたのむ!」


 次の突進に備えて土蹴りをしているズルブイアに背を向け、とんずらを開始。


『承りました』


 テスの声と同時に両手を広げ、ビルの屋上から飛んだ。


 息つくヒマも許さず迫ってくるアスファルト。

 なにも俺は絶望して自ら命を絶とうとしてるわけじゃない。

 でもこの瞬間だけは、何度もやっても慣れなかった。


 尻が地面とキスする直前、花嫁をさらう怪盗のような黒い物体が横薙ぎに突っ込んできて、俺の身体をさらっていく。

 俺のもうひとりの仲間、サイドカー付きバイクの【リンドブルム】だ。


 尻は柔らかいシートとのキスを楽しんでいたが、俺はそれどころじゃなかった。

 背後の地面が爆ぜ、危うくリンドブルムごとひっくり返りそうになっていたから。

 もうもうとあがる土煙の向こうには、蜃気楼としか思えないほどの巨影が揺らいでいた。


「あ……あの高さから飛び降りてもなんともねぇのかよ!?」


「ブモォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」


 煙を蹴散らし、暴走列車のごとく迫り来るズルブイア。

 リンドブルムは体勢を持ち直し、すでにトップスピードで走っていた。

 しかし一瞬にして、荒い鼻息を感じ取れそうなくらいの距離まで詰められてしまう。


「マジかよっ!? グンニグル、アサルトモードだっ!」


 その声が終わらないうちに俺が抱えていたスナイパーライフルが変形。

 銃口が短くなり、望遠鏡のようなスコープがダットサイトへと変わる。

 流線型のアサルトライフル、そのストックを肩に押し当て構えた。


「くらえっ!」


 引き金を引き絞った瞬間、バーナーじみた炎がズルブイアの鼻先にかかる。

 音速の壁を破る弾丸の群れが撃ち放たれ、ズルブイアの顔にどんぐりを埋め込んだような穴を開けていく。


「ブ……ブモォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?」


 眼球に弾を受けてはさすがのモンスターもひとたまりもなかったようで、ズルブイアは狂ったように身体をわななかせながらコースアウト。

 ブティックのショーケースをブチ破ってブッ倒れ、リノリウムの床に血のドリフト痕を残しながら壁に激突した。

 あたりに激震を走せていたがそれでも飽き足らず、壁尻状態になってもなおもがき続け、ブティックを震撼させている。


 なんにしても、勝負はついた。

 俺は自動操縦にしていたリンドブルムのハンドルを握り、Uターンさせてブティックに横付けする。

 そして深いため息とともに、揺れるきょケツに向かってグンニグルの切っ先を向けた。


「ふぅ……。これが女だったら別の楽しみがあったんだがな」


『ズルブイアはメスですよ』


「マジかよ」


 高くなりつつある陽のなかにマズルフラッシュが溶けていき、俺は今日もまた生き延びた。

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