第2話 始まり

〈一〉

大学受験対策で通い始めた予備校からの帰り道。

佐々木とジュンと三人、近くの公園で少しまったりしてから帰ろうということになった。

最近読んだ漫画の話や、癖の強い講師の話。

他愛ない話をしながら、コンビニの肉まんを夜食代わりに頬張っていると、どこからか歌声が聞こえてくる。

池の向こう側からだろうか。冬の澄んだ空気に放たれた声は心地よく、するすると伸びて空に吸い込まれていく。

池の中央に架けられた橋の欄干に寄りかかり、月夜に昇っていく声の行方を自然と目が追っていた。


 月の光だけが頼りの暗い海。

岩場に腰掛けた美しい声を持つ人魚。

その歌声に魅せられた船乗りは操縦を誤り、船は船人ごとすべてを道連れに、深く冷たい海に沈んでいく――

 

はるか昔に聞いたおとぎ話を朧げに思い出していた。

 

「知ってるヤツかな。ちょっと行ってみない?」

佐々木は軽音部に入っていて、もしかしたら知り合いなのではと、気になったようだ。

ぐんぐん進む佐々木の後に続いて池沿いを少し進むと、ギターの音と歌声がそれぞれ二つずつ聞こえてくる。

仄暗い樹木の小路を抜けたその先、池に面して置かれたベンチに、声の主たちは腰を掛けて歌っていた。主の姿を捉えると、三人はその場所でしばらく耳を傾けることにした。

さほど感性が鋭い方ではないけれど、『琴線に触れる』とは、きっとこういうことなのだろうとユウは思った。


「すごくいい感じですね!デュオっすか?」

ひとしきり歌い終わるのを待って、佐々木が声を掛ける。近くで見ると、その垢ぬけた雰囲気からして、自分たちより少し年上のようだった。

「ありがとう!いつもはバンドで演ってるよ」

ぱっちりとした二重まぶたの男が、瞳に月の光をたっぷり取り込み、人懐っこい顔で答える。漫画に出てきそうなくらいに綺麗な弧を描いた口元をしている。

主旋律を歌っていた男は、切れ長の目にすっと通った鼻筋。薄い唇にほんのり笑みを浮かべていて、月が良く似合う人だと思った。


見た目はタイプの違う二人だが、並んで座っていると、それだけでオーラというか、雰囲気が出来上がっているように見えた。

佐々木とハモリの人は気が合ったようで、利用している音楽スタジオのことや、佐々木のバンドが今練習中のコピー曲などに何やらマニアックな話題が始まった。


「みんな同級生?」

その様子に気付いてか、主旋の人が話題を振ってくれた。

「はい、3年生です。今は受験シーズン待ったなしって感じです。塾の後の気分転換で。すっごくいい曲で、聞き入っちゃいました」

ジュンが声高に答えた。

「ありがとう!そうかぁ、受験生。今一番大変だよね。高校に入った頃には、既にバンド野郎だったから、実際他の事はぼんやりだけど、やっぱり試験前はめちゃくちゃ夜更かししながら勉強したなぁ。まぁ、大学に入ってもやっぱりテストとかレポートとかあるし、学部とか受講内容によってかなり違いはあると思うけど、さすがに受験勉強の比じゃないからさ。もう一息頑張ってね」

人見知りなタイプかと思ったが、話しはじめるとずっとフランクで、優しい人だった。


それに、やっぱり声がいいと思った。

会話の内容や話し方だけではなく、声の芯の周りを柔らかい空気が包んでいるような、なんだか人を惹きつける声を持っていて、つい口元にばかり目がいってしまった。

「これ、興味ある?もしかしてギターやってたりする?」

ばっちり目が合ってしまい、息を吸い込むと同時に思わず下唇を噛んだ。

「いや、ギターは全然。触ったとこないです。なんか、歌声が……すごかったなぁ、と」

「はは!なんかそれ照れるな。ありがとう」

笑うとぐっと下がる目尻と、自分だけに向けて紡がれた少し高めの声に、あまり感じたことのない胸の高鳴りを覚えた。

「そうそう。今度ちょうどライブがあるんだ。これ、貰ってくれる?前売り料金で入れる券付いてるから、よかったら遊びに来て。よろしく!」

「行きたいっす!バンドの音聞いてみたいっす!」

佐々木はすっかり彼らに懐いているようだった。

 

別れ際、彼らはショウとタクヤだと名乗り、バンドはBUTTER BUGS(バターバグズ)というグループだと教えてくれた。

自分たちも名前程度の軽い自己紹介をして、その場を去った。

 

「望君、すっかり仲良しになってたね。ユウも今日はすごく楽しそうだった!」

帰りのバスの車内、ジュンに言われてふと思い返す。

「え、そんな態度に出てた?でもほんと歌上手かったよね。また機会があれば聞いてみたいな」

ジュンは別に気にしていないと思うけれど、いつも一緒にいるジュンに浮ついた姿を見られたと思ったら、何だかむず痒くなって、その後、席に座っていても腰が落ち着かなかった。


〈二〉

「うぉー、テンション上がってきた!そろそろ始まるんじゃね?」

開演までの待ち時間、チケットの発券所でもらったベントのフライヤーに見ていた。出演するバンドの写真がいくつか並んでいて、ちょうど真ん中辺りの4人組の写真に、以前見た顔が二つあった。

「バターバグズ、か」

公園の日から約二週間後、佐々木と二人で早速ライブイベントに行った。


ライブが始まると、まず大音量に驚いた。

ベースの低音がずしんと体に響き、ドラムは絶え間なく全身を突き刺す。

ギターの歪んだ音色や、かき鳴らすリズムに歌声が乗ると、一つの塊となって客席に押し寄せてきて、空気がビリビリ揺れるのを頬で感じる。初めての感覚だった。

ライブが進むにつれて、観客のテンションも上がっていき、気付けば半袖になりたいぐらいに会場内は熱気で満ちていた。


二組目の演奏が終わり、それまでの激しい音の嵐から一時解放され、凪が訪れる。

静かすぎて耳鳴りがするほどだ。

そこへ、BUTTER BUGSのメンバーが現れて、凪の中心にショウさんが立った。

細身のダメージデニムに真っ白なシャツ。

ショウさんは、その静の世界に唯一人存在しているかのように、まばゆい光の下、目を閉じてじっと動かない。

静まりかえったステージの上、ひとつ息を吸い込み、パッと目を開くと、ショウさんは迷い無い表情で真直ぐ一点を見据えた。

「今日は来てくれてありがとう!」

花が咲いたと思った。

瞬間、全身は轟音の渦に飲み込まれていた――。


ショウさんの声は、初めて聴いた時の穏やかで少し哀愁のある声より、もっと意思があって、爆音の演奏に負けない激しさと、怒りにも似た強さが混じった声だった。

(眩しい……)

音で満杯になった箱の中、気付けば目を見開いたまま息をするのも忘れ、苦しくて体が潰れるかと思った。


 ライブはあっという間に終わっていた。

激しくて、キラキラしていて、しばらく経っても心臓がドクドク脈打っていた。


「マジで恰好よかったです!特に三曲目のギターソロとか、すっげー好きでした!」

イベント終了後、佐々木は人波をかき分けて彼らに駆け寄り、興奮冷めやらぬ様子でライブの感想を伝えはじめた。タクヤさんも嬉しそうに機材の組み方や演奏方法について、説明してくれているようだった。

「おぉ!来てくれてたんだ、ありがとう!」

激しいライブの後だからか、ショウさんの表情と言葉にも熱いものを感じた。

「こんばんは、めちゃくちゃカッコよかったです!ライブ自体初めてだったので、すごく楽しかったです!」

その熱に充てられて、思わず声が上擦った。

「初ライブだったんだ、それは光栄! 小さい箱だし、音の圧すごかったでしょ。これからしばらくは月一でライブやる予定だから、受験落ち着いたらぜひまた遊びに来てよ」

「はい、絶対また来ます!」

こんなに素直に言葉が出るなんて、自分も相当興奮しているなと思った。


話し足りなくて少し後ろ髪を引かれつつも、それ以上に心が解放されてすっきりした気がして、帰りの足取りは軽かった。


〈三〉

少し前まで、淡いピンクの花をたわわに携えていた枝を、今は薄緑の若葉がしっかりと覆い始めている。夜はまだ冷え込む日が多い。


久しぶりのライブで気持ちが急いてしまい、予定より早く着きそうだったので、会場の周辺をぶらぶらすることにした。

初めてのライブ以降、たまにバンドのホームページで近況をチェックして、配信された動画を視聴することはあったが、受験の追い込みが始まると、さすがにライブに行く機会はなかった。

佐々木の方はというと、タクヤさんと連絡を定期的に取り合っていて、タクヤさん自ら佐々木のライブを見に来てくれる間柄にまで昇進していた。

その甲斐あってか、なんと今回、BUTTER BUGSの企画ライブに、オープニングアクトとして佐々木のバンドが出演することになっているのだ。

楽しみが重なっていることもあり、今日一日ずっとそわそわしていて、授業中も気を抜くと頬が緩んでいた気がする。

クラスは別れてしまったものの、ジュンも同じ大学の学部に進んでいて、今でも頻繁に「ランチをしよう」とか、「一緒に帰ろう」と誘ってくれている。今日は授業が被らなかったので、ジュンとは会場で待ち合わせることになっている。


(この辺あんまり詳しくないから、どうしよっかなぁ。カフェに入るか……そこまでのんびりする時間もないか。)

あてもなく街をぶらついていると、正面から見覚えのある姿が向かってくる。

背筋が伸びていて、パッと目を引く。向こうも気付いたようだ。

「ショウさん!」

「うわぁ、久しぶり!ユウ君だよね? 望から今日来てくれるって聞いてたよ。望とはもう会った?」

『望』。知ってはいたが、佐々木は少し会わない間に、ショウさんともかなりお近づきになったようで、少し羨ましく感じた。

「いえ、まだ開場まで時間があったので、少しぶらついてて。お久しぶりです」

思いがけないところで一足先に顔を見ることが出来て、素直に嬉しい。

「そういえばさ、俺たち同じ大学なんだってね!びっくりしたよ!」


……えっ!? 

予想外の展開に、思わず変な間が出来てしまった。

「えっ!!佐々木から聞いたんですか?ジュンとは、全然そんな話題になったことないし。あいつ何にも……」

嬉しいのと驚きと混乱で頭が追い付かず、声が上ずった。

「いや、本当びっくりだよね!まさか同じ大学とは思わなかった!もし大学で会っても、俺の事無視しないでね、すごい悲しいから」

「えぇ!?そんなことしないですよ」

自然と二人並んで歩きながら、ショウさんは大学について色々話してくれた。


「俺はよくスカイラウンジで昼ご飯食べてるかなぁ。あと図書館裏のピロティのベンチとか、穴場で気持ちいいよ」

「シアタールーム知ってる?あそこは時間潰しには最適だよ」


ショウさんの日常が垣間見え、その上、慣れない大学生活に頼もしい味方が出来た気がして、明日の学校が俄然楽しみになった。

「俺、結構映画好きなので、シアタールーム行ってみたいです!」

「おっ、マジで?案内するよ」

会話に夢中で、どこを歩いているのか全然気にしていなかったのだが、気付けばライブ会場の側まで戻っていた。

「さて、俺はそろそろ準備しなくちゃ。望のバンドもいい感じに仕上がってるから、楽しみにしてて」

「はい!そろそろジュンも着く頃だし、合流したら入ります」

「うん、ジュンちゃんにも先輩がよろしく言ってたって、伝えておいて!」

 

ジュンと合流するなり、ショウさんのことを伝えると、目を丸くして喜んでいた。

びっくりエピソードも早々に、二人して意気揚々と会場に入ったのだが、その日、会場内は既に満員に近い人で埋め尽くされていた。

「うわー!凄い人だね。ライブってこんな感じなんだ。」

「俺もまだ二回目だけど、前回より凄く人が多い気がする。ショウさんたち、人気あるんだね」

「ジュンこっち。端っこだけど、ここならステージ全体見えていいかも」

「あっ、確かに。できれば前の方に行きたかったけど、真ん中は完全に埋もれるし、ミニサイズにはこっちだね」


場所取りが落ち着くと、間もなく佐々木のバンドが登場した。

「……望君、こんなに人が多い会場で大丈夫かな?なんか身内感あって緊張してきた」

ジュンが祈るような目でステージを見つめている。

佐々木本人は、そんな心配を他所にリラックスしているように見えたが、ジュンの言葉を聞いてからは、確かに妙な緊張感が生まれてきて、じわりと汗ばむ手を握りながら演奏を見守っていた。

 

「楽しんでる?望たち、なかなかいい演奏してるね」

曲の合間に隣で声がしたので、ハッと横を見ると、ショウさんがすぐ隣に立っていた。

「ショウさん!」

「今日会うの二回目だね。ちょっとステージの様子確認しにきたんだ。望さ、『あとで全員に感想聞きますからー』って張り切ってたよ」

「そうなんですか?なんかこっちが緊張しちゃって、変な感じです」

曲が始まると、耳元近くでもはっきりしゃべらないと聞き取りにくい。

「ショウさんは今日何番目ですか?」

その言葉を伝えようと近づいた瞬間、ショウさんの横顔が目の前に来ていた。二人して同時に話しかけようとしたらしい。

「うわ、ごめんなさい!」

危うくショウさんの首元に顔を突っ込むところだった。

間近でその気配や匂いを感じたら、急にドキドキしてきて、あたふたしていると、ショウさんはククっと笑って言った。

「うん。じゃあ、またあとで」


(あんな風にも笑うんだ……)

笑顔になった時、口が横一杯に広がる顔が心に留まり、思い出すとふわふわした。

 

その日、ステージに立つショウさんは、大学の話をしながらブラブラ歩いた人とも、ついさっき間近でドキドキした人とも違う人のようで、近づき難く遠い存在に思えた。

でもそれが少し誇らしくもあった。

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