第3話 接近

〈一〉

大学生活にもすっかり慣れた頃、ライブ鑑賞はもれなく習慣の一つになっていた。

ショウさんとは、授業の空きコマが重なった時、一緒に暇つぶしをして過ごすことも増えた。


「作曲ってどういう風にしてるんですか?」

ある時単純に疑問に思って聞いたことがある。

「そうだなー。はじめは自分の主観というか、体験から曲が出てくる事が多かったかな。でも最近は映画とか小説読んで、色んな人格の感情をインプットして作ることが増えたかなぁ。俺、感覚主義だから、何にしても感情が揺さぶられるのが大事かも」


そんな話を聞いてから、空き時間はよく大学のシアタールームで一緒に映画を観るようになった。

シアタールームといっても、漫画喫茶より簡素な感じで、広い教室をパーテーションでブース分けしたようなものだ。

二人とも、ホラーや推理ものが好きで趣味が合ったため、映画選びは楽しかった。

ショウさんは意外と笑いのツボが浅いタイプで、コメディ系の映画を観た時なんかは、普通に声を出して笑ったりするので、周りから苦情が来ないか冷や冷やしつつも、つられて吹き出してしまうこともあった。


一方で、食の好みに関しては正反対に近かった。

ショウさんは、学食の麻婆豆腐定食やパスタメニューには必ず「追い唐辛子」や「追いタバスコ」をするほどの激辛好きで、砂糖をたっぷり入れたコーヒーや、甘すぎるお菓子は苦手だ。

シアタールーム利用時、一応ルール上は『私語厳禁、飲食禁止』ではあるものの、実際は誰しもがペットボトルの飲み物とお菓子や軽食をバッグに忍ばせていた。なので、隠しおやつを選ぶ時は、いつからか甘いのと辛いのを一つずつ揃えるようになった。

 

バンドの方はというと、ライブのたびに足を運んでいたので、自然とタクヤさんや他のバンドメンバーとも顔なじみになり、ある程度打ち解けて話せるようになった。

四人は、ショウさんとタクヤさん、ベースのシンさんとドラムのスミさんが、それぞれ幼馴染らしく、特にシンさんとスミさんは実家がご近所同士で、幼稚園からの付き合いだという。

 

「なぁなぁユウ、こいつ何でスミっていうか知ってる?」

ライブの後は、バンドメンバーと雑談するのもお馴染みの流れになっていた。

「え、いきなり何ですか。んー。えー、名前が……スミスさんとか?」

質問の意図が分からず何となく答えたが、向こうも向こうで予想外の返答だったらしく、シンさんが大笑いしだした。

「こいつ、また言ってんのかよ。にしても、スミスって。俺、バリバリ日本人だし、くっ……」

スミさんはうんざりしつつも、スミスはちょっと受けたようで、わずかに破顔した。

「あ、すいません。でも、他に思いつかなくて」

「ユウが気にすることじゃないよ。バカのことは放っておいて」

ひとしきり笑い終えたシンさんは、またニヤニヤしながら一歩近づいて来る。

「こいつねぇ、本名カオルっつーんだよ。昔っから女みたいな名前がめちゃくちゃコンプレックスだから、名前で呼ばれたくなくて、一人だけ苗字からメンバー名文字ってんの。な、カオルちゃん」

あー、そういうことか。

自分の名前も「優」なので、ちょっと気持ちは分からなくもない。

「ね、放っといて良かっただろ?こんなつまんない話、よくいつまでも出来ると思わない?ショウが手空いたっぽいし、あっち行こう」

スミさんはそう言ってロビーからステージの方に歩き出した。薄く顔に掛かる前髪を掻き上げたとき、ちょっと耳が赤くなっているのが見えた。

ステージを終えた飾らない彼らと接していると、普段大人っぽく見える人達も、意外と自分と同じような事で笑ったり怒ったりしているんだと、身近に感じられるようになっていた。


「盛り上がってたみたいね」

いつの間にか、ショウさんはステージで楽器の後片づけを始めていて、そこからロビーの様子が見えていたらしい。

あまり長居してはいけないと思い、佐々木の姿を探したが、佐々木はまだタクヤさんと話し込んでいるようだったので、とりあえずその場に留まることにした。

「シンがまたくだらない話をしてただけだよ。あのバカ本当にうざい」

スミさんがツンツンしている様子を見て、ショウさんは状況を察したらしく、

「ははっ、そういうこと。ユウは巻き込まれたって感じだね。ほら、スミ手伝って」

軽く笑ってからスミさんをいなしてくれた。


「ユウ、これあげる。コーラ平気だっけ?スタッフさんから貰ったんだけど、俺さっきいっぱい水分補給しちゃって」

「ありがとうございます。じゃあ、いただきます」

片づけの邪魔にならないようフロアの少し端に移動して、ショウさんが慣れた手つきで楽器とアンプをつなぐケーブルを巻き直す様子を見ていた。

太くて長いケーブルが、ショウさんの巧みな手捌きによって、まるで自ら元あった場所に戻るように整然と淀みなく円を形作っていくのが気持ちよくて、ずっと見ていたい気持ちになった。

「疲れてない?もうすぐ片づけ終わるから、そしたら望と一緒に打ち上げ参加していきなよ」

思いがけない言葉に、嬉しさとわずかな緊張が走った。

 

ライブの後は、出演バンドとその関係者で打ち上げをするのが恒例のようだった。

最初は佐々木と隣合わせで席に着いていたのだが、積極的な佐々木は、興味のある話題ならば初対面の人の輪にもどんどん入っていくし、ショウさんとは、はじめから離れたところに座っていたので、所在なく手元のウーロン茶を飲んでいた。

ショウさんは主役級の人なので、他の出演者とのやり取りに忙しく、こちらから近づくのが難しいのは一目瞭然だった。


「バタバグのスタッフさん?」

気付いたら隣に人が座っていた。


テーブルに片肘をつき、こちらを覗き込んでいる。サラッとした前髪が、にっこりと弧を描いた目に薄くかかっている。

たしか、よくライブで共演しているバンドのボーカルの人だ。

「あ、いえ。大学の後輩です」

「へー、そうなんだ。誰の後輩?最近よく見かけるよね!話してみたかったんだ。ね、グラス空いてるよ。これどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

謎のプレッシャーに気圧され、思わず受け取ったグラスの中身を大量に流し込んだ。


「ぐえっ!げほっ、げほっ!!」

未体験の刺激とツンとした味にカーッと顔が燃え上がり、盛大にむせ返った。

「げおっ!あっ、あのっ、まだ未成年で……一応……」

「あっ、ごめん!そうだったんだ!水貰ってくるね!」

男はすぐにカウンターに向かい、グラスを二つ持ってきてくれた。

「ごめんね、初めてだった?とりあえず水いっぱい飲んで。あと、これはただのオレンジジュースだから。ごめんね」

「いえ、こっちも確認しないで飲んだので……、ありがとうございます」

心臓がドクドク脈打つので、水を思いっきり飲み干した。

「大丈夫?気分悪くなってない?外に出た方が気持ちいいかも」

たしかにこの密閉空間にいると余計に息苦しくて、外の新鮮な空気に触れたくなった。

「ありがとうございます。そうします」

そう言って立ち上がると、男もついてくる。

「あの、大丈夫なんで。気にしないでください」

「いやいや、俺の確認不足。ほんとごめん!それに俺もちょっと外の空気吸いたいし、一緒に出ていい?」

そう言われると断ることもできず、男と二人、地上に出る階段を上がった。


「ふえー、外気持ちいい」

男はガードレールに寄りかかり、空を見上げている。

高いビルに阻まれ、街のネオンが明るすぎるせいで、星の見えない淀んだ空しか見えなかったが、少し冷んやりした空気は気持ち良くて、二、三回深呼吸した。

「名前聞いていい?俺、勇磨」

「豊川 優です」

「おっ、ユウ仲間!?ユウってどういう字書くの?」

どこか既視感のある人懐っこさを持った人だ。絶妙な押しの強さと親しみやすい声色のせいか、不思議と聞かれたことに素直に答えてしまう。

「えっと、“優しい”のユウです」

「“優秀”のユウね」

「……それ、自分で言いにくいです」

「はは、確かに。よかった、ツッコんでくれる元気があって。ちなみに俺は“勇気”のユウ。さっき途中になっちゃったけど、優は大学の後輩って言ってたっけ?誰の後輩なの?」

「はい、ショウさんの後輩で、今1年です」

「え、そうなんだ!俺はショウと同い年だよ。ショウとは何気に付き合い長いんだ。てか、年近いし、敬語じゃなくていいからね」


勇磨さんは、ショウさんと同じ二歳年上だが、高校を卒業してからは、バーでアルバイトをしながらバンド活動に励んできたらしい。

ちょうど今年に入って、ある音楽事務所から声を掛けられ、メジャーデビューに向けて調整中という話だった。

ショウさんとは、高校時代からライブで共演することが多く、ミュージシャンの卵を発掘する学生コンテストで、トップを争ったこともあると教えてくれた。


「ショウってさ、淡白そうに見えて実はめちゃくちゃ俺様だし、頑固なんだよね。俺も俺でこんな感じだから、最初の頃は結構やり合ってたよ。特にコンテストの時は、すごくお互いのこと意識してた」

「ふふっ。『やり合ってた』って…あんまり想像つかないです。でも、確かにショウさんって、案外頑ななところあるかもしれませんね。割と、好き嫌いがはっきりしているというか。それに、いい意味で周りの反応を気にしないタイプですよね」


勇磨は少し意外な顔をした。

それから独り言のような、ユウに聞こえるか聞こえないかぐらいの大きさの声で呟いた。

「へーぇ……ショウは優に心開いているんだな」

ユウにはその言葉がはっきり聞こえなかったが、勇磨が続けた。

「普段のショウからは、ちょっと想像しづらいよね。でもホント、お互い近付く度に結構バチバチとライバル視してたよ。まぁ、色々知ってくうちに仲良くなって、一時期はほぼ毎日一緒にいたんだ。ほら、ショウって一度懐に入れると、なんだかんだめちゃくちゃ優しいじゃん? それに、寝起きの時とかやけに甘えただし」

「え? あ、あんまり、寝てるのは……見たこと無いですけど……」


……ん? 一瞬、心に違和感を覚えた。

それに「あんまり」というより「一度」もショウさんが寝ている姿なんて見たことが無いのに、何を張り合っているのか、変な言い方をしてしまった。

「ごめん、なんか余計なこと言ったかな。あっ、でもそうそう。高校時代のショウの武勇伝、聞きたくない?」

口角を片方だけニッと持ち上げ、勇磨さんの顔が近付く。

「……!? 聞きたいです!」

勇磨さんはガードレールに腰掛け直して、話し始めた。


「昔は路上ライブの場所取りって大変だったんだけど。当時さ、力技で無理やり場所取りする評判悪い奴らがいたんだよ。んで、ある時そいつらがショウたちに絡んできてさ。最初は相手にしてなかったんだけど、しつこく妨害してきた上に、一人がショウのギターケースを蹴り飛ばしたんだよね。そしたらショウがブチ切れて。腹に蹴り一発入れただけで、相手が完全にノックアウト。あいつ子供の頃空手やってて、結構強かったらしいんだ。『人の商売道具に手掛けたらダメだろーが。』とかスゲー低い声で静かに怒ってて。あと三人いたんだけど、全員ショウに睨まれただけで逃げてっちゃってさ。ははは!意外と武闘派だと思わない?ああいうキレ方は見たこと無かったから、さすがにこっちもヒヤヒヤだったよ。でもさ、それ以降本当にそいつらの顔見ることなくなったんだよね。すごくない?」


勇磨さんは、身振り手振りを使って、当時の思い出を話してくれた。思いがけず十代の、しかもキレキレなショウさんのエピソードが聞けて、驚きと歓喜が混じった。

「ショウってさ、自分の中の正義に反することには、例えば相手がどんなに権力ある人でも容赦ないし、ものすごく反発する奴だから、そういう意味でやっぱり王様って感じ」


ショウさんの事を楽しそうに話す勇磨さんを見て、それだけで二人の絆が分かる。それに高校生の時から自分のやりたいことを見つけて、それを貫いているなんて、少し前の自分と重ねても、二人のことがすごく大人びて見えた。

いつの間にか火照っていた体が落ち着いて、頭が冷えてくると同時に、自分のやりたいことは何だろうかと、少し真面目に思いを馳せてしまった。


「他にも面白い話たくさんあるんだけど、ショウにバレたら怒られそうだから、今の話は秘密にしてね! さて、そろそろ戻らないとみんなに心配かけちゃうな。俺がいないと、場の空気が沈んじゃうしね」

「あっ、そうですよね。色々聞いてるのが楽しくってつい」

「俺も話せて楽しかった。さっきは本当にごめんね。飲めるようになったら、俺のバイト先に遊びに来てね。美味しい酒作るから!」

口を大きく開けてカッと笑ってから、勇磨さんは軽やかに階段を下りていった。


勇磨さんの後について会場に戻ると、ちょうどショウさんと目が合った。 

たまたま一段落ついたところなのか、ショウさんの方から近づいてきた。

「どうかしたの?勇磨と一緒だったよね?」

「あ、はい。ちょっと外の空気吸ってきました」

言いながらショウさんのエピソードを思い出し、自然と口元が緩む。すると、突然ショウさんの手が頬に触れた。

「ずいぶん長く外に居たんじゃない?なんか冷えてるし。望も探してたよ」

それだけ言うと、また行ってしまった。


触れられたところからまた熱がぶり返していく理由が、何なのか分からなかった。

それに、心なしかショウさんの声がいつもより低くて、冷たかった……ような。

「あーっ、ユウいた!そろそろ終電だから帰ろうぜ。つーか、なんか顔赤い?もしや酒飲んだ??」

「うん。実は、ちょっとだけ、間違えて……」

 

その後は会場のスタッフに急かされるまま外に出され、ショウさん達とは遠巻きに挨拶するだけで別れてしまった。


〈二〉

ライブから四日後、ショウさんとは間もなく会うことが出来た。

「ショウさん、こないだはお疲れ様でした。打ち上げも参加させてもらって、ありがとうございました」

「うん、こっちこそありがとう。楽しめた?勇磨から聞いたんだけど、お酒飲んじゃったんだって?あの後ちゃんと帰れた?」

ショウさんは穏やかな口調でほんのり笑っていて、いつも通りだった。

「あっ、はい。あの、勝手に抜け出してすみませんでした」

「ううん、俺こそ誘っておいて全然相手出来なくてごめんね。勇磨はノリ軽い感じだけど、まぁ、悪い奴ではないから、変なことされてないとは思うけど」

「変な?……確かに最初ちょっとびっくりしたんですけど、すごく面白い人ですよね。話してて楽しかったです。それに……」

『ショウさんの話も聞けたし』と言いたかったが、勇磨さんと約束したので口をつぐんだ。

「あぁ、なんか若かりし頃の話でしょ。あれ三割増しぐらい誇張して話してるから、真に受けないでね」


(勇磨さんが内緒って言ったのに。やっぱりショウさんと勇磨さんは、すごく仲がいいんだな。いいなぁ、何でも話せる関係って)

仲良しのお兄さんを取られたような感じがして、胸のあたりがもやっとした。


「そういや、あいつから自分のバンドの音源をユウに聞いてほしいからCD渡しといてって言われたんだけど、断っといたから」

ショウさんが珍しく悪戯な顔で笑うと、綺麗に整列した白い歯が覗く。

「え?そんな、興味ありますよ!聴いてみたいです」

なんだかその笑顔も勇磨さんの残像とかぶって、またモヤリとする。

「えっ、本当に興味あるの?ユウは俺のことが好きなんじゃないの?なんか悲しいな」

突然声のトーンが落ちて、ショウさんは手元のスマホをいじり出す。

「えっ、そういう事じゃ……すっ、え?何ですかそれ!じゃあ大丈夫です!」

ショウさんらしくないと思いながら、自分も自分で訳が分からない返事をしていると思った。

すぐにショウさんはぷっと吹き出し、また悪戯少年の顔に戻ってあっけらかんと笑った。

「はははっ!ごめんごめん。ちょっといじめたくなった。ちゃんとCD預かってるからさ、興味があるなら是非聴いてやって。勇磨と対バンした時の映像もあるし。俺んちそんな遠くないから、CD取りに来がてら見に来る?」

「本当ですか?見たいです!お邪魔していいんですか?」

謎に翻弄された気がするが、この間怒っていたっぽいショウさんの見る影もなかったのは、ほっとした。

「うん。俺は今日授業もう無いし、バンドもオフだから、ユウの予定が合うなら早速どうぞ」

 

大学の最寄りの二つ隣駅で、ショウさんは一人暮らしをしていた。

近くのコンビニでお菓子と飲み物を吟味していると、隣から鼻歌が聞こえる。

「甘いのオンリーだけは勘弁してね」

ショウさんの手には、辛そうなチーズとコールスローサラダが既にあった。


駅から五分も歩かないうちに、賑やかな商店街沿いに建つ新しいマンションにたどり着いた。

部屋に入ると、大きなパソコンモニターが目に入った。モニター周りには、スピーカーや小さいキーボードのようなもの、他にも見慣れない小さい機械が置かれていて、その横にはギターが三、四本立て掛けてある。

「狭くてごめんね。ソファとかなくて悪いんだけど、適当に座って。あっ、その赤いのはシンが勝手に持ってきたもちもちデカクッション。意外と悪くないよ」


大きくてふかふかした赤いビーズクッションは、確かに座り心地が良さそうだったが、何となく遠慮して、床に座ることにした。

ショウさんはデスクの椅子を少し動かし、背もたれ側を前にして座った。

ショウさんの部屋は、テレビの代わりにプロジェクターを使っていて、それもまた見慣れなくて、オシャレな感じがした。

慣れた手つきで小さなリモコンを操作すると、ベッドと反対側に置かれた低い木棚の壁面にライブ会場の映像が映し出された。

「これ、去年の夏頃。俺らと勇磨のバンドで開催したイベントだったんだ」

「うわ、なんかワクワクします」

「スマホで撮影したから音があんま良くないけど、結構いいライブだよ」


画面の中のショウさんは、たくさんの人の前で堂々と歌い、曲の合間のMCでも、お客さんの心を掴むようなトークをしていて、大物アーティストみたいだった。

(なんだろう。すごくカッコいいのに……。遠い存在のような感じがする)

はじめはただワクワクしながら観ていたはずなのに、徐々にまたもやもやと心がざわつくのを感じた。

 

「まっ、こんなもんかな。ライブ映像ばっかり観てても飽きるよね。そういえば、ユウはもうあれ見た?」

ショウさんがいくつかライブ映像を観せてくれて、気持ちは十分満足していたが、たまたまお互い気になっていた最新映画の配信が始まったらしく、折角なのでそのまま観ることにした。

「ユウ、腰疲れるでしょ。ベッドに乗っていいからね。壁に背中預けて座ると楽だよ」

お言葉に甘えて、映画が始まる前にベッドに移動させてもらい、更に万端な態勢で挑んだ。


 ところが、期待値が高すぎたのか、ショウさんのライブで満たされたからか、どうも映画に入り込めない。

「なんか、これ……どう?」

ショウさんも眠そうな声をしている。

「うーん、もうちょっと観てみたいけど、ちょっと伏線多すぎる感ありますね」

「うん。そんな感じ」

ショウさんは、椅子を回転させて立ち上がり、大きく伸びをすると、ベッドの方へ向かってきた。

ちょいちょい、と手の甲をこちらに二回振ったので、ベッドから下りようと体勢を整え始めたた矢先、一足早くベッドにたどり着いたショウさんが、ゴロンと体を倒した。


「へっ?ショウさん?」

膝の上に、ショウさんの頭の重みを感じる。

「んー。俺、ちょっと寝ていい?」


寝ていい? というか、この体勢……

「ショウさぁん……」

おずおずと声を掛けたが、そのまますぐ寝てしまったのか、ショウさんの反応がない。

まるで恋人みたいな体勢にそわそわして、ショウさんのほのかな体温に完全に心を奪われたまま、とりあえず内容の入ってこない映像を見続けるしかなかった。


結局見せ場もないままに締めくくられた映画のエンドロールが流れ始めても、尚ショウさんは起きる気配がない。

「ショウさん、あのー、映画終わりましたよ」

「うーん……」

少しくぐもった声で反応して体を捩じらせはしたものの、ショウさんは未だ夢の中だ。

しかし、それだけならまだしも、あろうことかショウさんの顔が脚の付け根の方へぐりぐりと近づいて来るではないか。

「ちょっ!ショウさんっ」

思った以上に大きな声が出ると、さすがにショウさんが眉をしかめながら片目を薄く開けた。

「んー、何……どうした?んん、おいで」

今度は腕が伸びてきた。

気だるさからか、ずしりと重い右腕が巻き付くと、その重力に耐えきれず倒れこんだ。

こぶし一つ分しかない距離感にショウさんの寝顔があり、瞬間、鼓動が早まる。

(うわ、ショウさん……って、睫毛長いんだ……)

居たたまれず息を潜めていたが、均一に美しく放射を描いた睫毛に目が留まると、思わず触れてみたくなって、指先を伸ばしていた。

何かが近付く気配を感じ取ったのか、ショウさんが軽く睫毛を震わせ、また薄く目が開かれる。

(し、しまった!)

慌てて手を離して息を凝らす。

「ふふっ、いい子にして」

これまで聞いたことがない甘い声がして、さらに見たことのないほど愛らしい、くにゃりとした微笑を浮かべたかと思うと、ショウさんの胸元にぐっと引き寄せられ、頭は温かい手のひらに包み込まれた。


(ええっ!何!?誰かと間違えてる!?)

ショウさんの匂いをいつもよりずっと濃く感じる。その匂いに溺れそうで、もう、どうしたらいいか分からない。

(どうしよう!何か、、!何か歌を……!)

完全にキャパオーバーに陥り、無理矢理目を瞑って意識を沈めようと思った時、咄嗟に頭に浮かんだのは、童謡の「お花がわらった」だった。

保育士だった母が、昔、お昼寝の時間によく歌ってくれていたのだが、まさか今この状況でこんな曲が出てくるとは……。

なんて恰好が付かないんだ、と自分を残念に思いつつ、けれどそれがまた妙に可笑しくなってきて、これはこれでどうやら作戦成功だと思った。


一番しか思い出せない歌を延々と念じていると、徐々に心拍数が落ち着いてきて、次第に沸騰した頭も冷めていくのを感じた。

そんなことなど露知らず、ショウさんは穏やかな寝息を立てている。

四苦八苦しながらも、頭上から聞こえてくる健やかで規則正しいリズムに呼吸を合わせていると、いつの間にか意識は白い靄の中に攫われていった。

(あぁ……、なんか今日は。もう、いいや)

 

ふと目を覚ました時、視界には見慣れない天井が映った。

首を勢いよく振って左右を確認したが、そこには誰もおらず、見慣れない部屋のベッドの上に寝ているのは自分一人だった。

「あれっ、ここ……。ショウさん?」

状況を把握しきれないままベッドから下り、部屋の扉に近づいていくと、向こうからドアが開かれる。

「あ、起きた?よく寝てたね。ちょうどよかった。もうすぐピザが届くから飯にしよう」

いつも通りのショウさんが現れて呆気に取られていると、軽く両肩を掴まれ、部屋に向かって体を反転させられた。

「ほら、座ってなよ。あ、それともトイレだった?」

「……あ、はい。……お借りします」

 

その後は、何事もなかったかのようにピザを食べ、何事もなかったかのように帰宅した。

いや、別に何事もなかったといえば……

なかった? のだけれど。

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