第4話 あまり有難くない「第九」

 私は、あるオーケストラの年間会員になっていて、毎年継続しています。

 12月の演目は、決まってベートーベンの「交響曲第9番合唱付き」です。

 なぜか日本では、年末の第九演奏が恒例となっており、一種の風物詩ともいえるでしょう。

 ところがこの第九、私はあまり好きではありません。

 以下、ほぼ100%私の好みに基づく記述で、賛同される方は少ないと思います。それを承知の上で書きます。


 演奏会は年10回あるのですが、12月の演目は必ず第九です。

 私は、毎年12月が巡ってくると、1回分損をしたような気分になります。

 第九が優れた作品であることは認めますが、毎年となると飽きます。ですから、65分間の演奏を聴きに、交通費と時間をかけて都心のコンサート会場まで行くのは、馬鹿らしく感じます。

 友人にチケットを譲った年もありました。しかし、身の回りを見わたすと、わざわざコンサートに足を運ぶほどのクラシックファンは、意外に少ないのです。

 

 チケットを無駄にするのももったいないので、今年も先日聴きに行きました。

 広いホールは、ほぼ満席でした。しかも、チケットを単体で買った場合、第九の価格は他の演目のコンサートより高く設定されています。興行側、オーケストラ側としては、とても有難い演目なのでしょう。

 もっとも、4人のソリストや、合唱団のギャラもありますから、原価も高いのでしょう。利益率が高いのかは知りません。


 1楽章は緊迫感があって好きなのですが、2楽章は同じことの繰り返しで、つい居眠りをしてしまいました。

 3楽章は、安らかで美しい旋律が奏でられ、快い眠りを誘われます。

 第4楽章は、ご存じのとおり合唱が出てきます。

 ただ、ソリスト4人の出番が少ないと思います。特に、女性歌手2人が単独で歌う場面はほとんどありません。


 そして、有名な「歓喜の歌」ですが、小学校か中学校、あるいはその両方で、音楽の時間に習いましたね。

 もちろん訳詩で、私が習ったのは、「晴れたる青空、漂う雲よ、小鳥は歌えり、林に森に……」だったように記憶しています。

 やたらに陽気で楽天的な内容で、チャイコフスキーのメランコリックな曲が好きだった私には、詰まらない歌に思えました。


 ご存じのとおり、元はシラーの詩です。もちろんコンサートではドイツ語の原歌詞で歌われ、会場でもらったプログラムに、ドイツ語の原文と日本語訳が載っていました。

 溢れる喜びを詩にしたようですが、何がそんなに嬉しいのでしょうか?


 それと、第九の場合、演目は1曲だけで、通常は行われるアンコール演奏もありません。やはり、何か損したような……。

 来年から第九ではなく、別の演目にしてほしいのですが、まあ、無理でしょう。


 余談ですが、私の席はステージとアリーナ席の境辺りの2階にある、1列のみの細長い部分です。席から、1階のアリーナ席が俯瞰できます。

 いつも感じるのは、そこにいる観客の頭はほとんど、「白」か「光っている」かのどちらかだということです。つまり、高齢者ばかりです。

 こうした高齢者がさらに年を取ってコンサートに来れなくなったら、オーケストラは一体どうなるのでしょうか? ちょっと心配になります。

 少しでもオーケストラの維持に役立てばという気持ちもあって、迷った末に来年度も年間会員を継続することにしました。

 しかし、年末の第九だけは、何とかしてほしいです。

 ベルリオーズの「幻想交響曲」などはどうでしょう。

 理由ですか? 単に私が好きな曲だからです。

 

 

 

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