第118話 疲労感

「でも今は違う。一度シェアトに預けたのだったら最後までそれを全うべきです。海崎さんのその時その時の都合だけでシエロの生死を決めるべきではありません。それはシエロに対して無責任です」


 空さんの声も瞳もまるで冷徹な裁定者のようだった。そして裁かれるのは海崎さん。


「うるせえっ、こっちにゃこっちの事情ってもんがあんだっ、首突っ込んでくんじゃねえっこのガキがっ」


 海崎さんは目をき乾いた声で空さんを怒鳴り付ける。しかし空さんは微動だにしない。座った目で海崎さんを見つめている。そしてゆっくり口を開いた。


「海崎さん」


「なんだ、うるせえもう帰れ。ヤツを千四百万で売るかは考えてからシェアトに連絡する」


 空さんが黙ってさらに百万円の札束を乗せた。札束は計千五百万円になった。


「どういうことだ」


「一つお願いがあります」


「なんだ、早く言え」


「一度、たった一度でいいので、シエロを見に来てやってください」


「なに? 俺に、あれを見に行けというのか」


「はい」


「なぜだ」


「そうすれば、シエロと海崎さんの中のいい思い出が甦るんじゃないかと思って」


「思い出?」


「ええ、それとシエロはとても変わったんだそうです。それを見るだけでも来ていただく価値はあると思います」


「ああ判った。判ったからもう帰れ。また連絡する」


 海崎さんは空さんの言葉を取り合わない様子に見えた。空さんは千五百万円の現金をカバンに詰め直し、僕たちは海崎さんに追い立てられるようにして応接室を出る。海崎さんの会社の駐車場で軽トラに乗り込んだ僕たちに言葉はなかった。なぜだかひどい疲労感に襲われ、その一方で達成感は全くなかった。


 僕は車を運転しながら空さんに訊く。


「これは…… 上手くいったって言っていいんですよね?」


「ええ、多分……」


 しかし僕と空さんの表情は硬い。


「海崎さんがシエロを売らないと言い出したりはしないですよね」


「おそらくそれはないと思う。あれだけの現金を目にしたら。でも値を吊り上げたりはするかもしれない」


「値を吊り上げられたらどうするんですか」


「お金ならまだ少しある。足りなかったらまたなんとかして工面するだけ」


 僕も、大金を詰め込んだバッグを抱きかかえた空さんも、今ひとつスッキリしないもやもやしたものを抱えながらシェアトに帰りつく。空さんはその足でシエロに会いに行った。毎度のごとくどこに隠していたのかポケットからニンジンを取り出しシエロに与える。


「待っててね。今度こそ本当に自由にしてあげるからね……」


 決意に満ちた表情の空さんはそう囁きながらシエロの頬を撫でた。




【次回】

第119話 馬と老人

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