第113話 競走馬の悲しき現実

「競馬馬ってのは年間大体七千頭余りが生まれる。だがな、この中で生を全うする奴はほんの一握りもいねえ。一割だって生き残れるかどうかわかりゃしねえ。能力のないやつ、調教に従わないやつ、それにどんな名馬でも病気やケガをしたやつはすぐに殺処分だ。最終的にほとんど全てと言ってもいい競馬馬は結局のところ馬肉になっちまうしかないのよ」


「じゃ、シエロも肉にするの? そして売られて誰かに食べられるの?」


 一同は沈黙した。僕らをにらみつける空さんの冷たい目が僕には痛い。


「いや、だからさ。だからよ。俺たちシェアトはそんな馬を一頭でも減らそうとな」


 ゴウさんがなだめるように言う。だがそれは苦しい良い訳のように聞こえた。空さんはゴウさんにギロリと視線を向ける。


「でもシエロは殺すんだ」


「すまん、今ここにはシエロを買い取る持ち合わせも、飯代をかぶる余裕もねえ」


 ムネさんはうなだれた。こんなムネさんを見るのは初めてだ。ゴウさんは慌てた様子だった。


「いやいいんだって、ムネさんは悪くねえって」


「すまん……」


 それでも空さんの追及は止まない。空さんの声は静かで冷たいくせに灼熱の怒りで震えていた。


「他の馬たちを守るためにシエロを犠牲にする。そういうことなんだ。九十九頭の羊のために一頭の羊をいけにえに差し出すのね。そして次はどの馬をいけにえに捧げるの?」


「何と言われても仕方ない。今の俺たちの力ではシエロを処分するしかねえんだ。俺の力不足だ。すまん」


「絶対殺させないから」


 空さんはシエロの手綱たづなを持ってUターンしようとする。僕たちは慌てた。


「おいおいおいおい、何しようってんだ空」


「空さん一体何を!」


「まてまて、落ち着け、いいから落ち着いて、なっ」


 僕は考えた。このままだと気のたかぶった空さんはシエロともども失踪するかも知れない。それは最悪の事態に思えた。それに、もしかすると空さんなら新しい何かを僕たちに授けてくれるかもしれない。理由はないがそんな気もした。イチかバチか空さんに賭けてみたい。この情熱があればきっと空さんなら。


 僕は空さんとムネさんゴウさんの間に立つ。


「あのっ、あと数日でいいので空さんに任せてみませんか?」


「なんだって」


「ひろ君?」


 ムネさんと空さんが驚いて僕の方を向く。


「そんなことして意味あんのか?」


 ゴウさんの鋭い指摘にもめげず僕は続けた。


「意味はないかもしれません。それでもやらせてくれませんか。これから数日の餌代は僕が支払います」


 ムネさんが僕をにらむ。が、それはいつもの鬼瓦のような形相とは違っていた。


「わかった」


 ムネさんの声は力なかった。


「お前らに任す」


 僕と空さんは安どの溜息を吐いた。


「五日間やる。精々あがいてこい。ただし、五日過ぎたらすぐにでもシエロは処分だ。判ったな」


「はいっ!」


 僕は勢いよく答え空さんと目を合わせた。空さんはまだ緊張したような、誰も信じていないような表情だった。



【次回】

第114話 裕樹ひろきと空の決意

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