第111話 悪霊

「ウゥ…… ヒ……ロ……ク、ゥン」


 姉さんのうめき声をかき消そうとするかのようにガンガンとスチール製の扉を叩く音がする。するとその音は何か金属製の大きなものがガラガラと崩れ落ちる巨大な音に変わった。すぐさま空さんがリビングに飛び込んでくる。なんだって? あのスチールの扉をぶち破ったというのか、空さんは。なんて腕力なんだ。


「オ、アァ…… アナ…… タ…… ハ…… ア、ナタ……ア……ナ、タ……」


 空さんは僕を抱え込むようにして覆いかぶさってかばい、姉さんに向かって厳しい言葉で怒鳴りつける。


「あなたはお姉さんなんかじゃない!」


「いいんだ! 空さんもういいんだ! 僕がここで姉さんの元へ逝けばいいだけなんだ!」


「よくない! ひとっつもよくないそんなの!」


 空さんは僕を叱り飛ばすとまた姉に向かって叫んだ。


「あなたなんかただの亡霊、ううん悪霊じゃない!」


「ググゥ…………」


「お姉さんの心が少しでも残っているならお願い! もうこれ以上この人を、自分の弟を苦しめないで! いらない罪の意識で責めさいなむようなことはしないで! 目を覚ましなさいっ! もう生きている人を巻き込まないでっ!」


「アアアアアア!」


 姉さんは立ち上がると頭を抱え悶絶もんぜつする。すると周辺のすべてがゆがみ始める。暗闇と姉と家財に天井や床や壁や窓やカーテンが洗濯機の中で掻き回されるかのように一緒くたになって渦を巻く。僕たちはしっかりと抱き合いながら意識を失った。


 ゆっくりと、朝日が昇るように僕らの視界が白み始めると、声が聞こえてきた。


「ひろ君。ひろ君。ごめんねひろ君。もう私のことは気にしないでいいの。どうか大切な人と幸せになって……」


 それは懐かしくも温かい声だった。僕は自然と涙を流した。


 ゆっくり目を開けると僕は喫茶店のソファにうつ伏せに倒れていた。その上に空さんが折り重なるようにして僕を抱きしめている。周りには数人の店員が心配そうな顔でこわごわと僕らを見つめていた。


「あ、あの…… 救急車呼びますか?」


 そう言った店員に僕は恐縮しながら答える。


「あ、もう大丈夫です。時々こういった発作があったんですが、もう出ることはないと思いますから…… 彼女のお陰で」


 曖昧な笑顔で僕が起き上がろうとすると僕が指した「彼女」、空さんも目を覚まし起き上がる。空さんと僕は微笑み合った。


「ね、聞こえた?」


「はい」


「ふうん……」


 空さんはにやっと笑う。


「えっ、なんですかそれ?」


 疲れたような、だけどどこか嬉しそうな笑顔を僕に向ける空さん。


「ふふっ、私も色々聞いちゃった」


「何をですか? めっちゃ気になるんですけど」


「色々」


「いや、はぐらかさないで下さいよ」


「さ、もう帰ろ。疲れたでしょ。ほんとはムネさんから『今日いちんち帰ってくんなーっ!』って職務命令受けてたけど、もうこんな時間だしいいよね」


「はい、理不尽で横暴な命令は拒否する権利があります」


「そね、じゃ帰ろう帰ろうっ。私シエロに会いたくなってきちゃった」


 僕たちは早々に会計を済ませ車上の人となった。だがその目的地、シェアトでは恐るべき企みがされていようとは僕も空さんも知る由もなかった。



【次回】

第112話 殺処分

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