第109話 Cafe
以前の買い出しで寄ったことがあるという古くからあるカフェへ、空さんの全くあてにならないナビで散々迷いながらようやくたどり着く。空さんは相当な方向音痴だと判った。
そこは少し古いが落ち着く雰囲気のカフェで、リラックスできそうだ。空さんは早速シフォンケーキとプリンアラモードとスイートポテトとコーヒーを頼む。相変わらずの大食漢ぶりだ。それに空さんは辛党なだけじゃなくて甘党でもあったのか? これが両刀使いってヤツか?
だがこれほどの食欲があれば健康体重へ戻るのも時間の問題だろう。実際近頃胴周りが少しふんわりしてきた気がする。僕が単品でコーヒーを頼もうとすると、空さんは不思議そうな顔をした。
「コーヒーだけでいいの?」
実を言うと僕は甘いものが少々苦手だった。空さんに案内されてきた手前、甘いものは苦手だとは言いづらい。適当に誤魔化そうとする。
「あー、実は今おなかすいてなくて……」
「そ…… おごってあげようと思ったのに……」
「そんな、おごられる理由がありません」
「私にはあるからいいの。気にしないで」
微笑みながら少し上目づかいで僕を見て言う空さん。やはり一昨日の一件以来空さんの表情は間違いなく穏やかにそして豊かになってきている。またひとつ精神的な壁を乗り越えた、とでも言えるのだろう。僕の心も満たされていく。
「じゃ、ケーキセットのアイスコーヒーで……」
「ん……」
でもなんで急におごるだなんて。僕にはいまいちピンとこなかった。
「あの……」
「ん?」
巨大なシフォンケーキをフォークで切りながら空さんがこちらを見る。
「あ、食べたい?」
空さんが何の気なしに切り分けたシフォンケーキをフォークに刺して差し出す。そんなことをしたら間接キスになるのにまったく気にしてないようだ。
「ええっ、いやそうじゃなくて、そうじゃなくて…… どうしておごるだなんて言うのか……」
「判らないの?」
「え、あ、はい……」
空さんは少し照れたような笑みを浮かべ、ちょっと顔を伏せると眼を細める。
「私のために都合三人も投げ飛ばしてくれたじゃない。そのお礼」
僕は昨日川東と西岡を一本背負いに巴投げしたことを今更ながら思い出した。
「まあ、もちろんこんなものではその対価に見合わないことはわかってるわ。だからいずれ本祝いはそのうちに、ねっ」
「でっ、でもあれはっ」
「仕方なく?」
からかうような目の空さんに僕はますます慌てる。
「ちっ、違いますっ。そんなことあるわけないじゃないですかっ。僕はっ」
はっと息をのむ。僕はまた口を滑らして分不相応な発言をしてしまうところだった。「あなたのためならなんだってします」と。空さんはまるで次の言葉でも待つかのように僕の顔をじいっと見つめている。しばらく僕が固まったままでいると空さんは小さな微笑を浮かべ、ため息をついてティーカップに目を伏せた。
「私…… 私ね…… 今回のこととこの間の集中豪雨の時、あなたのお陰で、ああこんなに私に死んでほしくないって強く強く願ってる人がいるなら、私みたいな人間でもちょっとは生きてていいのかな、許されるのかな、ってほんの少しだけ思えるようになれたから」
「よかった。それは本当に良かった」
僕は少し泣きそうなほど嬉しくなった。よかった。僕のしてきたことは決して無駄じゃなかったんだ。空さんはわずか二ヶ月強の期間ですっかり回復したんだ。心の底から安堵する。
【次回】
第110話 姉
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