第95話 老闘士

 狂気と言ってもいい表情を浮かべている川東に対し僕は空さんの上に覆い被さってかばうことくらいしかできなかった。空さんも恐怖で言葉を失う。


 だが僕たちと川東の間にゆっくりと歩いて立ちはだかった一つの影があった。暗がりでよくわからないが年老いて小柄なそれは装蹄師そうていし比嘉ひがさんに間違いない。比嘉ひがさんはひょうひょうとした口ぶりで川東を制す。


「止まりなさい、若いの」


「どけやじじい」


 川東がすごんでも相変わらず人好きのする笑顔を崩さぬ比嘉ひがさん。


「ふ、どかぬと言えばどうする」


 心配顔の大城おおきさんが一歩踏み出すが、いぬいさんがその肩を掴んで制止する。


「じゃ死ねやあっ! この老いぼれがあっ!」


 川東が特殊警棒を振りかぶろうとすると、比嘉ひがさんは一瞬でいつもの柔和にゅうわさとはかけ離れた猛禽もうきんの目になった。川東が得物えものを振り下ろす。ところが比嘉さんは川東が全力で振り下ろした金属製の警棒を、前腕で何事もなかったかのように受け止めた。それと同時にもう一方の手の指先で川東の腹部を素早く突く。川東は白目をむいて背後からあお向けに倒れる。


「琉球空手上地流。けちなごろつきごときが、いくらいきがったところで手も足も出ぬよ」


 比嘉ひがさんはうつむひとちた。


「またやってしまったか…… 許せ……」


 僕は唖然とした。ここにはいったい何人の優れた格闘家がいるというのか。


 僕は立ち上がろうとする。


「だめ、まだ寝ていなくちゃだめよ」


「いえ、もう大丈夫です。来ます……」


 よろよろと立ち上がった僕を空さんがしっかりと支える。僕も腕を空さんの肩に回し体重を預ける。


 川東はもうすぐ立ち上がるだろう。そしてあの物騒な警棒を振り回してなめられたくない存在、つまり僕や空さんに殴りかかってくる。


「空さん、どいていて下さい」


 おずおずと空さんが僕から離れる。案の定川東が起き上がった。僕が川東に向かって歩いていくと比嘉さんはすっと後ろに下がる。


「なめんじゃねえぞこんガキゃぁッ!」


 川東はさっき比嘉さんから痛打を受けたとは思えない戦意で僕に特殊警棒を大きく振りかぶる。隙しかないその体勢にまずは双手刈もろてがりで背中から地面にたたきつける。やっとの思いで起き上がるとまたこりずに同じことをしてくるので、今度は帯取返おびとりがえしで左後背からたたき落す。川東の意識が一瞬遠のいた隙をついて警棒を取り上げ乾さんの方へ放り投げると乾さんはそれを難無くキャッチした。


「てめえ、なめたマネしやがってクソがぁ」


 比嘉ひがさんが川東に声をかける。


簑島みのしまさんは本気だよ。ここで手を引かなければ骨の1本や2本じゃ済まないからね」


 いぬいさんも大城おおきさんも腕組みをして事の成り行きを見守っている。鼻息荒い川東には比嘉ひがさんの警告は通じなかった。



【次回】

第96話 裕樹ひろき暴走

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