第94話 手を取り合う事、支え合う事。そして襲撃

 遠くから、それこそ山の向こうのような遠くから、荒い息とともにかすかな声が聞こえてくる。


「死なないで、死なないでお願い。お願いだから。あなたまで失ったら私…… 私…… ああお願い! この人を連れて行かないで慶! 慶! この人だけは! この人だけはお願い! 私からこの人を奪わないで慶!」


 慶って誰だったろうか。ああ空さんの亡くなったご主人か。空さん…… そうか空さんが僕に救命措置を…… 救命措置!


 ぎょっとした僕は目を見開いた。目の前1㎝にも満たない場所に空さんの顔がある。焦げ臭いのに甘い香りがする。僕の口を包むようにやわらかな何かが押し付けられている。僕は仰天してうめき声をあげた。すると空さんは僕の口から口を放し驚いたような顔をして僕を見つめ叫ぶ。


「ああひろ君目が覚めたのね!」


 すすだらけで美人が台無しだ。つやのあるセミロングの髪は焦げてところどころちりちりになっている。


「そら…… さん、どう…… して」


 空さんは笑顔を浮かべていった。


「あなた前言ったじゃない。私が死のうとしたら全力でそれを阻止するって。だから私もそうしたの」


「僕は…… 僕はずっと、ずっと7年間も苦しくて…… やっとそれから解放されるって思ったのに…… やっと……」


 気が付くと僕は力なく泣いていた。空さんは僕の上に覆いかぶさりそっと抱きしめる。細くて薄くてだけどこの確かな存在に僕はしがみついた。誰かにすがりたかった。誰かにこの苦しさを理解してもらいたかった。僕は無様にしゃくりあげながら空さんを抱きしめ、空さんも僕をやさしく抱擁してくれた。


「ああああ姉さん。姉さんごめんなさい…… ごめんなさい僕のせいで……」


「うん、苦しいね、つらいよね。私もつらくてつらくて仕方ない。だけどみんなそれを背負って二本の脚で立っていかないといけないの。立てないときは私が支えになるから。だから、私が苦しいときはひろ君が支えてくれる?」


「はっはい。はいっ」


「ありがとう……」


 いつの間にか空さんも泣いていた。僕たちは消火活動でてんやわんやの小屋のそばに寝っ転がったままいつまでも泣きながら抱き合っていた。


 それを見て大城おおきさんはその場を離れいぬいさんたちのいる方へ行く。その顔には諦観ていかんの笑みが浮かんでいた。それを見たいぬいさんは無言で大城おおきさんの肩を軽くたたいた。


 廃倉庫の火災もおおむね鎮火し、いぬいさんと大城おおきさんが侵入者や川東西岡を後ろ手に回して結束バンドで両手の親指を結束していると、突然川東が立ち上がりいぬいさんと大城おおきさんの手をすり抜け駆け出す。それは僕たちのいる場所を目指していた。


「むっ」


「しまった」


 川東が右腕を勢いよく振るとそこから棒状のものが飛び出す。特殊警棒だ。あんなものまで仕込んでいたとは。


 川東が叫ぶ。


簑島みのしまぁ! 空ぁ! てめえらにだけは舐められたくねえんでなあっ!」



【次回】

第95話 老闘士

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