第83話 原沢の怒り

 その日の夕食。また生温なまぬるい病院食を空さんに食べさせてもらっているところだった。まだ身体中が痛くて言うことを聞いてくれない。空さんに食べさせてもらうのはひどく気恥ずかしいやらそれでもどこか嬉しいやらだったが、明日には一人で食べられそうだ。


 しかし食欲がわかないし、正直病院食は美味くなかった。僕はそれを3分の1ほど残したところで食べ飽きた。


「どうしたの? もういらない?」


 空さんが心配そうに僕に訊いてくる。


「うん…… ちょっと…… ごちそうさま」


 空さんが食器の乗ったトレーを片付けようと廊下に出る。廊下の僕の見えない場所から空さんの慌てた気配を感じる。そして空さんのとは明らかに違う騒々しい足音をたてて年の頃十八~十九歳で活発そうなショートボブの薄汚れた白いつなぎを着た女性が病室に勢いよく飛び込んできた。


「センパイ……」


 どこか呆然とした表情の女性は僕に一言だけ呟くと、あとは黙りこくって僕をにらみつける。一瞬頭が混乱したが、こいつは原沢だ。間違いない。僕も原沢を見つめ返した。


「よう、どうしたんだそんな慌てて」


「センパイ……」

 

 ほとんど泣きそうな顔の「原沢」は上ずった声を絞り出した。


「そんなズタボロになって。まるでミイラじゃないすか!」


「いやいや、ミイラは言いすぎだろう。こうして生きてるわけだし」


 僕のベッドのかたわらでは空さんが不安そうにたたずんでいる。僕はこれ以上空さんに罪の意識を植え付けたくなかった。


「センパイこいつかばって材木の下敷きになって頭打って意識を失ってAEDまで使ったんすよ! 全部、全部……」


 原沢が僕の隣の空さんを指さす。


「全部この女のせいっ!」


 空さんはそれを否定するでもなく、申し訳なさそうな表情になりうつむいた。原沢は空さんに向き直る。


「みいんなこいつが原因。どれもこれもみんなこいつのせいなんすよ」


 原沢の言葉を否定しようともせずただうつむいているだけの空さん。反論できないようだ。原沢はさらに畳みかける。


「お前さえ、お前さえあんな天気の時に、んなとこにスケッチに行かなきゃセンパイはこんなことにはならなかったんだっ! どうしてくれるっ、どうしてくれるんだよっ! このまんま一生怪我が治んなかったら、後遺症が残ったら一体どうやって責任取るつもりなんだっ!」


 看護師が数人病室に入ってきてきつい口調で原沢をたしなめる。


「やめてくださいっ。ここは診療所ですっ、病室で騒がないでっ」


 原沢はそれが聞こえないかのようにまくしたてた。


「大体あんた何しにシェアトなんかに来たんすか。死ぬためっすか! おかげであたしら大迷惑なんすけどね、この疫病神ぃっ!」


 「疫病神」と言われてさらに首を垂れる空さん。だが原沢の言いようは余りに酷い。さすがの僕もこれには腹が立った。


「原沢、それは違うぞ」


 僕はいつもより厳しい表情と強い口調で原沢に言い放った。


「空さんは疫病神なんかじゃない」


「うう……」


「前にも言っただろう。本当に厄介な人なんてそうはいない。そういった人は自分がなすべきことを掴みとっていないだけなんだ」


 原沢はどこか悔しそうな顔で僕を上目遣いに睨む。


「センパイはお人よしすぎっす……」


「僕は何と言われようといい。こうして一人の人の人生に陽ざしを当てることができたんだ。それでよかったじゃないか」


「あたしはいやっす。絶対許せない」


 硬い表情の原沢はつかつかと空さんの前に歩みより右手を大きく振りかぶる。空さんは面を上げ原沢を見据え微動だにしない。


 だが僕の方が早かった。僕は痛む身体をおして電光石火のごとくベッドから起き上がり原沢の右手を掴む。


「だめだ。だめだ原沢。そんなことをしても何にもならない…… ぞっ。うっ……」


 僕の右腕にズキンと痛みが走り、包帯にはじわりと血がにじむ。


「センパイ……」


「いいから。もういいから…… 私が悪かったの……」


 空さんが僕の腕を取りそっと膝の上に乗せる。

 僕の顔と血のにじんだ包帯を交互に見て泣きそうな顔になった原沢はうなだれると、そのまま3人の看護師に両脇を抱えられるようにして病室から連れ出された。


 僕の右腕を処置される間、僕と空さんの間には長い沈黙が流れていた。




【次回】

第84話 裕樹の告白。姉の面影

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