第13章 秘密の場所

第56話 絆の瓦解

 朝の業務のあとの休憩時間に僕はいつもの泉へ向かった。


 この時間、空さんは大抵そこでスケッチをしていた。空さんはそこでスケッチをし、僕はその隣で空さんやそのスケッチを眺めたり、草原の上に横になって天上の空と雲や人間の空さんを眺めては、やはり草原に横になった空さんとほつりぽつりと話をした。


 空さんと僕が別部門に別れて以来、僕らが長い時間二人きりで一緒にいられるのはここだけだった。それは僕の数少ない癒しの時間だった。あそこに行く時は僕は胸を弾ませる。それは空さんと秘密を共有する場所に向かうからだけではない、僕にとって何かとても大切な何かがあそこには、そしてあそこでの空さんとの交流にはあった。


 今日も僕は胸を高鳴らせ泉へ向かう。


 だがそこいはいつもとは何かが違った。人の話し声がする。それも男性の。僕は脚を止め、さっきまでとは全く違う意味で胸の拍動を高鳴らせながら泉の草むらから僕たちがいつも寛ぐ草原をのぞき込む。


 そこには少しだけ小柄な空さんが体育座りで座っていた。泉をスケッチしている。そして大柄で少し筋肉質で逞しく浅黒い男性が空さんのぴったり横で座っていた。背後から見てもすぐに判る。大城おおきさんだ。大城おおきさんはいつものように大きな声で陽気に空さんに話しかけていた。空さんは僕の時とは違って大城おおきさんのおしゃべりを遮ることもなく黙々とスケッチをしている。が筆はほとんど進まぬようだ。


 状況が呑み込めず呆然としている僕の脚が思わず動いた。目の前の草むらに脚を突っ込み大きな音を立てる。大城おおきさんはゆっくりと、空さんは天敵に怯える小動物のようにびくっとした様子で慌てて立ち上がると僕の方を恐る恐る向いた。


「よう裕樹ひろき。どうしたんだこんなところで」


 大城おおきさんが笑顔で立ちあがると空さんは申し訳なさそうな顔をして勢いよく飛び跳ねるように大城さんの後ろに下がった。僕の視線から逃げようとするかのように。


「空さん、これは一体どういうことですか」


 僕は乾いた口で辛うじてそれだけを口にする。僕は自然と詰問口調になっていた。空さんは僕から目を逸らすとうなだれ地面を見つめる。


「おいおい裕樹ひろきどうしたんだ。そういう口の利き方はないだろう」


 いつになく強い口調の僕を大城おおきさんがたしなめる。空さんは背中が折れるほどうなだれたまま聞こえるか聞こえないかといった声で小さく呟く。


「ごめんなさい…… 本当にごめんなさい……」


 空さんは突如踵を返すと傍らのシエロに飛び乗り駈歩かけあしで走り去っていった。


「おい、空待てよっ」


 大城おおきさんは大声でそう言うとアークに跨り空さんのあとを追って消えていった。


 僕は茫然とこの美しかった秘密の場所を眺めていた。


 そこはもう美しくはなかった。


 僕は裏切られたような気がして惨めな気分だった。いや僕は実際裏切られた。空さんが大城おおきさんとここを共有したくなったのなら、僕はここには不要の人間になったということなのか。


 そして空さんは…… 大城おおきさんを選んだと言う事か


 僕がとやかく言えることではないとは分かっている。分かってはいるけれど、きっと空さんにとって僕はますます邪魔な人間になりつつあるということなんだろう。


 この場所で2人過ごした時間を思い出した。かつては甘酸っぱい記憶だったが、今ではもう泥のように苦い記憶になった。


 もう2度と来るもんか。


 土を蹴り上げた僕も踵を返して、今ではもうけがされてしまった僕たちの思い出の場所から走り去った。



【次回】

第57話 著名人の来訪に盛り上がるシェアト

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