第55話 笑顔と涙

 空さんをそっとゆすって起こす。


「ひろ君……」


「空さん。危ないですからすぐに離れてください」


 空さんは僕に分からないように涙をぬぐい、苦笑してシエロの鼻を撫でる。


「ううん、この子なら大丈夫。いつも私に気を使っていて大事に見てくれているから。誰かさんみたいに……」


「でも……」


 その時シエロが目覚め起き上がる。不機嫌そうに僕を見て鼻を鳴らす。僕は緊張した。


「いいのよシエロ。この人はいい人。シエロだって知っているでしょ」


 シエロは僕の顔に鼻面はなづらを押し付ける。くすぐったい。


「うちの班スケジュールが変わって時間余っちゃったの」


「そうなんですか」


「そう」


「でもどんな事故があるかわかりません。もうこういうことはしないで下さい。シエロの何気ない動作で空さんが大けがするかもしれないんですよ」


「ひろ君てば心配症。シエロはそんなことしないよ。ねっ」


 空さんがシエロの鼻面を優しく叩くとシエロはそれに答えて軽く鼻を鳴らす。


「ね、大丈夫、ってシエロも言ってる。よっと」


 空さんはシエロにまたがると駈歩かけあしで放牧場を駆け回る。僕はそばにいたトランクエレミカに乗りその後を追う。僕たちは時間の許す限り馬にまたがってたわむれれた。


 翌日僕が放牧場を通りがかるとまた空さんは大の字になってシエロと昼寝をしていた。しかも今度はシエロの隣の馬房ばぼうにいて仲の良かったメイまで一緒に寝て高いびきをかいている。僕は驚き呆れ溜息を吐いたが、昨日見たのと同じような野花の咲くような笑みを浮かべて寝ている空さんを見るとおいそれとは起こす気になれなかった。せめて夢の中でだけは苦悩と無縁でいて欲しかった。


 それでもやはり危険なので起こしはしたが。寝ぼけ眼をこする空さんに僕は訊いてみた。


「そんな幸せそうな顔をして何の夢を見ていたんですか?」


「幸せそうな…… 顔?」


「ええ、いい笑顔でしたよ」


「……言わない」


 空さんは頬を赤らめ、不機嫌な顔でシエロに乗って僕を置いて行ってしまった。



【次回】

第56話 絆の瓦解

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る