第47話 積極果敢な原沢

 僕がばさっとゴザを捨てた瞬間、はっとあることに気付く。なんかおかしい。何かひどく大事なことを忘れている。


「あれっ」


「ん? どうしたんすか?」


「しまった! 空さんがいない!」


 原沢が悪い笑みを浮かべる。


「いいじゃないすかあんなやつ。もう先輩に飽きちゃったんじゃないすかあ?」


「いやいやいやよくないよくない。僕ちょっと探してくる! それじゃっ! また夕のお勤めん時に!」


「だめっす」


 原沢がすっと僕の進路を塞ぐ。


「おい邪魔するなよ、急いでるんだからさ」


 原沢は僕に食らいつくような真剣な表情で僕の眼を見る。僕はそれにたじろいだ。


「原沢……」


「先輩は……」


 すっと原沢が眼を細める。


「あの女のどこがいいんすか?」


「あ、あの女?」


「空」


「う……」


 僕の前に立ちはだかる原沢。18で6つも下のその座った目に僕は間違いなく気圧けおされていた。こんな原沢の眼、見たことがない。自然と僕の声が上ずる。


「ど、どういうことだ」


「どうもこうもないっす。言った通りの意味っす。あの女のどこがそんなに好きなのか」


 考えるまでもなかった。


 僕が死なせたあの女性ひとの面影。

 僕が死なせたあの女性ひとの瞳、たゆたう死のかげ

 生きる力を失い死人のように地べたに這いつくばる姿。

 カゲロウのようにはかなげな存在。

 罪悪感で圧死しそうな胸苦しい呼吸。

 慟哭どうこくする唇。

 自分を責める言葉ばかりを拾い上げる耳。

 そして救おうと抱きしめても折れてしまいそうに薄く細く華奢きゃしゃな身体。


 だが、それを原沢に言っても理解などできない。それ以上に理解させる必要も全くない。


「原沢には関係ない」


 僕はきっぱり言った。


「関係あるっ、あたしには関係あるっす!」


 原沢は吐き出せる限りの大声で叫んだ。誰かに聞かれてもいいかのように。


「関係あるにしても聞いてどうする」


 原沢はそれには答えず、まるで体当たりするように僕にしがみ付いてきた。


「おいこら原沢だめだっ、そういうのはだめだって」


 僕は原沢の両肩を掴んで引き剥がそうとする。


「あの女はよくって、どうしてあたしはだめなんすか!」


 あの時僕と空さんが抱き合ってしまった偶発的な事故を目撃したのは原沢だったのか。よりにもよって、と僕は内心舌打ちをする。


「どうしてもだっ、いいから離れろっ」


「いやっす!」


「あれは事故だ、二人ともそんなつもりじゃなかったっ」


「にしてはいい雰囲気だったっすね」


「どんな雰囲気だったにしても事故は事故だっ、そのつもりでした事じゃないっ」


「じゃ、あの女の事はそんな好きじゃないってことすか?」


「え」


「じゃ、あたしにもまだワンチャンあるんすね」


「え、あ、いや、それは」


 僕が動揺して力を抜いた隙を突いて原沢が僕の背中に腕を回してくる。


「あっ」


 不覚にも変な声をあげる僕。


「ふふっ」


 原沢は僕の背中に腕を回して抱きついたまま僕を上目遣いで見る。ショートボブがそよ風に揺れる。その眼はどこかしら挑むかのように笑って見える。原沢の両腕がキュッと僕の身体を締めつける。僕はとにかくこの場から逃げ出したかった。力を込めて原沢を引き剥がし駆けだす。


「とっとにかく急いでいるからっ! またなっ!」


「ああもうっ、せんぱーいっ」


 原沢の名残惜しそうで腹立ちまぎれの言葉を背中に浴びて逃走した。僕は駆けずり回って空さんを探した。



【次回】

第48話 空の嫉妬、口を滑らす裕樹

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