第17話 細すぎる生命線
にやにやして僕のことを小突いて冷やかすムネさんの腕をなんとか振りほどいて空さんの現状について述べた。手荷物にスマートフォンや本人確認できそうなものが一切なかったことも強調した。ムネさんの顔がみるみる真剣なものに変わっていく。
「間違いねえのか」
「西巻先生の見立てや僕の知識と経験上では間違いないです」
「そうか……」
「……」
「専門家に任せなくていいのか」
「最初は週に2回西巻クリニックに通わせる予定です。それにここのホースセラピーの馬を使うより、抜群に相性がいいシエロと触れ合った方がずっといいと思います。シエロは空さんについてなぜか察しがついていて、それをどうにかしたいと考えているようにさえ見ます。ノウハウは担当の塚越さんに教わります。あと空さんを無理やりどこかに連れて行ったり問いつめたりしたら何をするか判りません。絶対にやめて下さい」
「そうか…… おめえは空のことをよく判ってやれそうだな。おめえなら間違いなく空を任せられそうだ。わかった、
「はい、分かっているつもりです」
ムネさんが原沢に向かって口を開く。
「原沢」
「はっ、はいっ」
「おめえはしばらく岩谷と組んでろ。あいつには俺の方から言っとく」
「えええーっ!」
原沢がショックに震えていると空さんが帰ってきたので朝の掃除で出たゴミわらをピッチフォークでかき出してまとめる仕事を二人でする。原沢は岩谷さんのところへトボトボと歩いて行った。空さんへ恨みがましい視線を送りながら。
作業中僕は空さんの出自とかの個人情報を詮索し過ぎない範囲でさり気なく聞いてみた。熊本県阿蘇市の生まれで、実家は米農家。両親と2人の妹がいて28歳の独身だと言う。恐らくほとんどが嘘だろう。僕も空さんも今朝ホールで見たテレビで、阿蘇市で珍しく激しい雹が降って農家が大損害を被ったというニュースを見た。そこからとっさに思いついたのではないか。岩手県のここでは熊本県に詳しいスタッフもそうそうはいないだろうから余計な勘繰りを入れられることもないだろうと踏んだのかも知れない。年齢も28歳より少し若く見える。
朝のお勤めを終えるとしばしの間時間に余裕ができる。シエロに会わせてやろうかと思ったが、それ以前に空さんには充分な休息が必要だと思った。表情からも疲労の色を感じる。手の空いたメンバーが扇風機の回る食堂兼ホールでしばし寛いでいた。
七~八人の職員が休憩してテレビを見ている中、空さんは何も言わずテーブルの隅っこの席にちょこんと座った。職員たちが不審の目を向ける。僕は慌てた。
「あっ、あのっこちらの方は空さんと言って今日から入った見習いです」
そのうちの一人、年の頃30代後半の岩谷さんがいた。どうやら自分はサボってその分原沢に仕事をさせているようだ。横目で空さんと僕を睨んでぼそっと言う。
「なんで自分の口から言わねえんだよ」
ホールに険悪な雰囲気が流れる。すると空さんがすうっと幽霊のように立ち上がって光を失った瞳で言った。
「空と言います。今日からよろしくお願い致します」
その空さんの異様な気配に気付いて言葉を失う人もいたが、岩谷さんを始め多くは舌打ちをしたり不機嫌そうな顔をしたりして顔をテレビ画面に戻した。
僕はため息をついて背もたれに背中を預けた。これは前途多難かもな。空さんは椅子に掛けると猫背でテーブルの一点を見つめたまま沈黙している。あいかわらずまるで何事にも興味がないかのように。いや、きっと本当に興味がないに違いない。だからこそ微かにでも抱いた馬への興味や好奇心、特にシエロに対する感情は空さんにとっての生命線になる。僕は決意を新たにした。この
【次回】
第18話 原沢とのひと時
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