第3話 隈原牧場「シェアト(Scheat)」

 ムネさんが手綱たづなを引き、その反対側に僕と彼女と原沢が歩く。薄汚れた白いつなぎがトレードマークの原沢は僕にぴったり身を寄せて不審の眼で彼女をじろじろと上から下まで眺めていた。


 歩きながら彼女は空虚くうきょな声でいてきた。


「ねえ、ここどこ……ですか?」


「えっ」


 僕は絶句した。


「なにっ」


「は?」


 ムネさんと原沢は呆れた。


「何も知らないで来たんですか? ここは『隈原くまはら牧場』。引退競走馬いんたいきょうそうばの牧場ですよ」


「引退? 競走馬?」


 ゆっくりとオウム返ししてきた彼女の眼からは光が失われたままだ。だがその虚無きょむの美しさに僕は息を呑む。原沢が僕を不安そうに見つめていた。


「競馬場で走るのをやめた競馬馬のことっす。競馬した事もないんすか」


 原沢がむすっとした声で言う。


「ここは競馬で走っていた馬が引退後も安心して暮らせるようにって作られた牧場です。それだけじゃなくて馬術用の馬に調教し直して再就職することもあるんですよ」


 この辺りは慎重な物言いが必要だと思った。ムネさんと原沢がこれ以上何か余計なことを言わないように、と僕が話に割り込んで説明する。


「競馬なんて全然知らないもの」


 彼女の反応の薄さに僕もムネさんもがっかりした。ただ原沢だけが不安と苛立いらだちを込めた眼で僕と彼女を交互に見ている。


「『隈原くまはら牧場』っても後からつけられた『シェアトファーム』って愛称の方が通りがいいみたいなんですけどね」


 僕が苦笑いをすると彼女は何かに気付いた顔をする。


「入り口の……看板」


「そうだな。隈原くまはら牧場って字よりシェアト(Scheat)って書いた字の方がでかいからな」


 水色やピンク、赤に青などで派手に彩色された「シェアト(Scheat)」の看板の方が遥かに人目を引くインパクトがある。


「シェアトって言うのはペガスス座を構成するβベータ星です。ペガスス座の大四辺形だいしへんけいをも構成する恒星のうちのひとつで二等星なんですよ」


「なんだ裕樹ひろきやけに詳しいな」


 僕の説明にやけに感心するムネさん。


「まあ、全部いぬいさんの受け売りです」


「なんだ……」


 いぬいさんというのはシェアトのスタッフで星や天文学だけでなく雑学全般にやたら詳しい人のことだ。仕事は全然できないけど。


「そういやそのいぬいさんいったいどこ行っちゃったんすかね。おかげであたしが駆り出される羽目になるし」


「はは、いぬいさんはサボりの天才だな」


「う、ううむ…… まあな」


 苦笑する僕と難しい顔になるムネさん。僕たちは色々な話をしながら僕はシエロの視界内にはっきりと彼女が映るように歩かせた。案の定シエロは全く暴れず、大人しくむしろ少し浮かれた様子で装蹄場そうていじょうまでたどり着くことができた。



【次回】

第4話 装蹄そうてい

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