第12話 もう二度と君を泣かせない(嘘つき!

「……ごめん。日野さん」


 なんとはなしに見せかけて、口にするには勇気が要った。


 放課後。


 二人で帰っているのには理由がある。


 昼休みの一件のせいで、そのあとずっとクラスは嫌な空気になっていた。


 拓海と真宵がピリピリしているせいで、他のクラスメイトも顔色を伺うようにソワソワしていた。


 それだけならばいいのだが、どうやら明星は裏切り者の烙印を押されたようで、誰も彼女に話しかけない、見てもいけない、話題にも出してはいけない、腫物のような扱いを受けていた。


 いつも大勢の友人に囲まれて笑顔の絶えないクラスの人気者が嘘みたいだ。


 明星は明星でそんな周りの反応に腹を立てたのか、見せつけるように九朗に絡んできた。


 二人やクラスのみんなに対する当てつけなのだろう。


 止せばいいのにと思いつつ、ここでそんな事を言ったら明星の梯子を外すことになってしまうので、九朗も黙って従った。


 その流れでこうして一緒に帰っている。


 道中明星は何事もなかったかのように振る舞っている。


 最近ハマっているドラマとか、バンドとか、お笑い芸人の話なんかをしている。


 アニメ以外の番組はほとんど見ない九朗なので、全然ついていけないが。


 それで明星は「アニメってそんな面白いの?」とか、九朗の知らないドラマのあらすじや、バンドの良さや、お笑い芸人のギャグやコントの説明なんかをベラベラ喋っている。


 一見すると盛り上がっているようにも思えるが、なんだか九朗には、彼女が沈黙を恐れているようにも思えてしまう。


 昼の出来事やその後に起きた変化について口にしたくなくて、関係ない話題で煙幕を張っているような気がした。


 勿論それはただの杞憂かもしれない。


 でも、そうではないのかもしれない。


 そうでないとすれば、九朗としては居た堪れない。


 俺なんかの為にと思わずにはいられない。


 それで耐えられなくなり、ふと訪れた沈黙の隙間に口を開いたのだ。


「………………なにが?」


 不自然に長い沈黙があった。


 それで九朗は、やっぱり明星は凹んでいるのだと確信した。


「……俺のせいで、日野さんまで目の敵にされたから」

「オタク君のせいじゃないじゃん!」


 被せるように明星が叫んだ。


 怒鳴ったと言った方が正しいような剣幕だった。


 たじろぐ九朗を尻目に、溜め込んでいた物を押さえるようにフーフーと明星が熱い吐息を噛み締める。


「悪いのは二人だよ! それにみんなも! どうして分かってくれないわけ!? 自分の目で見たわけでもないのにさ、ただの噂を頭っから信じちゃって! それでどうしてオタク君を悪者だって言い切れるの? あんなひどい事言って! 本当信じらんない! ああいうの、あ~しマジで許せない!」

「ひ、日野さん……。ちょっと、興奮しすぎだ……」

「だってムカつくじゃん! オタク君は平気なの!? あんな事言われて!」


 明星に睨まれ、九朗が視線を逸らす。


「……平気じゃないと言いたいけど。多分平気だ……。いつもの事だから、気にもならなくなってる。……日野さんの事を悪く言われた方が余程腹が立ったよ」

「あ~しはいいの! オタク君の話!」

「よくないだろ。俺は……日野さんの話をしたいんだ」

「聞きたくない」


 プイっと明星がそっぽを向く。


「ダメだ。聞いてくれ。このままじゃ――」

「聞きたくないってば!」


 明星が耳を塞いでブンブンと頭を振る。


「……もう、やめにしよう。十分だから。日野さんの気持ちはよく分かった。こんな俺にも一人くらいは味方がいる。それで十分。これ以上俺に関わって嫌な思いする事ない。そんなのは……俺が耐えられない……」


 明星の背中に語り掛ける。


 聞こえていないのだろうかと思ったが、そうではなかった。


 暫くして、耳を押さえていた明星の手がだらりと脱力する。


 振り返った明星の顏は怒りで真っ赤になり、目には涙が溜まっていた。


 それを見た瞬間、九朗は心臓をグサリとやられたような気分になった。


「ひ、日野さん……」

「オタク君のバァカ!」

「ちょ、日野さん!?」


 ドン! と明星の拳が九朗の胸板を叩く。


 ドンドンドン! グルグルと振り回した腕で叩きまくる。


 ポカポカなんて生易しい力ではない。


 けれど九朗は甘んじて受け入れた。


 彼女には、それくらいする権利があるはずだ。


「バカ、バカバカバカ! なんでそんな事言うの!? そんなのあ~しも一緒だし! あ~しだってこれ以上オタク君に嫌な思いして欲しくないし! ここで手を引くとか絶対無理だし! てかもう完全に手遅れだし! それなのにオタク君、あ~しの事捨てるわけ!?」

「ち、違う! そういうつもりじゃ!? っていうか、捨てるってなんだよ!?」


 気付けばそこは夕暮れの商店街。


 道行く人々の視線が痛い。


 あらあらまぁまぁ、とんだ修羅場ね、クズ男だわ……。


 そんな呟きが聞こえてくる。


 九朗の焦りも知らず、明星は拗ねたような涙目を向けて来る。


「だってそうじゃん! オタク君の味方して、二人にも喧嘩売って、みんなも日和ってあ~しの事避けだして、これでオタク君までいなくなったらどうなるし!? あ~しのやってきた事って何? バカ丸出しのピエロじゃん!」

「そ、そんな事ない! 日野さんは立派だ! 立派過ぎるくらいだ! 君みたいに立派な人、俺は今まで見た事ない! 本当立派で……立派過ぎるよ……」


 優しいだけでなく、それを行動に移す勇気もある。


 自分の身も顧みず、他人の為に正義を貫く。


 これを立派と言わずなんと言うか。


 そんな奴、漫画の世界でしか見た事がない。


 何故だろう?


 理由は簡単だ。


 そんな奴、漫画の世界でしか生きられない。


 これは現実で、現実は漫画みたいに正しくはない。


 だから九朗は現実が嫌いだ。


 それでも一つくらいは良い所がある。


 そう思わせてくれただけで充分なのだ。


「……あいつらは俺がなんとかするから。日野さんはもう、向こうに戻りなよ……」

「無理だって! オタク君になんとかできるわけないじゃん! 謝ったって今更だし、ここで引いたらあ~しもオタク君もおしまいだって分かんない? あいつら、自分のポジション守る為なら平気で酷い事するんだよ! そんな奴と笑顔で友達ごっこ続けられるわけないじゃんか!」

「そうかもしれないけど……」

「けどはいいの! 一緒に頑張ろうって言ってよ! 嘘でも設定でも、オタク君はあ~しの彼氏でしょ!? なんで助けてくれないの? あ~しの事見捨てないで! あ~し一人に頑張らせないで! あ~し一人じゃ、無理なんだよ……」


 商店街のど真ん中でしゃがみ込み明星が泣き出す。


 勝手な言い分だった。


 そんな事、九朗は一度も頼んでいない。


 勝手に彼女になって、勝手に二人に喧嘩を売って、勝手にピンチになって泣きわめいている。


 なにもかも、全部明星が一人で勝手にやった事だ。


 九朗の為に?


 いいや。


 彼女自身の為に。


 彼女が嫌だから。


 ただそれだけだ。


 九朗も嫌だった。


 これ以上明星が傷つくのは。


 これ以上明星を失望させるのは。


 これ以上明星に悲しんで欲しくない。


 今すぐにでも涙を止めて、いつもの眩しい笑顔を見せて欲しい。


 そんな力、こんな陰キャオタクのどこにある?


 俺なんかに、いったい何が出来ると言うのか。


 クラスを牛耳る人気者の二人を敵に回して、明星を救う事が出来るのか?


 出来っこない。


 絶対に無理だ。


 だからどうした?


 明星だって無理を承知で手を伸ばしてくれた。


 こんな俺を救う為、泣く程頑張っているのだ。


 いい加減、俺も覚悟を決めるべきだ。


「……ごめん日野さん」


 九朗もその場にしゃがみ込む。


「俺、日野さんの彼氏になるよ。あいつらだけじゃない。学校中のみんなが羨むような立派な彼氏になって日野さんが正しい事を証明する。だから、ごめん……。泣かせてごめん。さっきは俺が悪かった。全部取り消す。もう二度と君を泣かせない」


 膝の間に頭を埋めていた明星がピタリと泣き止んだ。


 そしておもむろに顔を上げる。


 綺麗な顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。


 ぐすぐすと鼻を鳴らすと、明星は言った。


「嘘つき」


 そしてすぐ、ぶわっと涙が溢れ出す。


「そんなん言われたら泣いちゃうじゃん!」


 明星に抱きつかれ、九朗は路面に転がった。

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