第10話 調子に乗るなよオタク野郎(面倒な事になったな……

 昼休み。


 九朗の所属する一年一組の教室前は、噂を聞きつけた上級生や他のクラスの生徒で人だかりが出来ていた。


「おいおいマジかよ……」

「あれが一年で噂になってるオタク君?」

「べー……マジかっけぇ……」

「超イケメンじゃん!」

「ヒィ!? こっち見た!? コワッ!」


 九朗が視線を向けると、窓からこちらを見ていた生徒達がギョッとして姿を隠す。


「………………」


 視線を戻すとすぐに姿を現し。


「やべー……。死ぬかと思った……」

「殺気エグすぎだろ……」

「俺には分かる。あれは確実に何人か殺してる奴の目だ……」

「死ぬほど怖いのになんでこんなに見惚れちゃうんだろ……」

「動物園の虎みたいなもんじゃない?」

「あ~ね?」


(あ~ね? じゃあないんだが……)


 神妙に頷く見知らぬ女子に内心で突っ込みを入れつつ、次に九朗は教室内をぐるりと見渡す。


 クラスメイトもまた、弁当そっちのけで九朗の事を盗み見ていた。


 彼の容姿の方が弁当の唐揚げよりも余程いいおかずになるとでもいう様に、九朗の変化についてあれこれ盛り上がっている。


 携帯を手に画像や動画を撮る者も大勢いた。


 面白いのは(九朗としては笑えないが)、九朗が視線を向けると、彼らが慌てて平然を装う事だ。


 そのせいで、九朗の視界がサーチライトのように可視化されている。


 九朗の視線に合わせて、クラスメイト達がマスゲームでも演じるように反応する。


 あるいはそれは、奇妙なだるまさんが転んだに似ているとも言えなくない。


 九朗の視界の中では平常を取り繕うが、死角に入った瞬間一斉にこちらを向く。


 今朝からずっとそんな具合だ。


 酷薄そうに見える九朗の唇から這い出すように重い溜息がこぼれる。


「……なぁ、日野さん」

「なに?」


 陰鬱なオーラを纏う九朗とは対照的に、明星は太陽でも背負っているみたいに明るかった。


 直前まで、明星は九朗の弁当を褒めちぎっていた。


 友達が出来たと聞いて母親が張り切ってしまったらしい。


 普段から文句のつけようのない立派な弁当なのだが、今日はそこに映えが追加されている。


『くーちゃんがお友達と一緒にお昼食べても恥ずかしくないようなお弁当にしておいたからね!』


 出がけにグッと親指を立てる母親を見た時から嫌な予感はしていたのだが。


 今日の九朗の弁当は、料理雑誌の見本が裸足で逃げ出すようなクオリティーだった。


 二段になった弁当の一方は、一口サイズに整えられた色とりどりのおにぎりがモザイク画のように並んでいる。


 のりたまやおかかに桜でんぶ、緑色の球体は高菜で巻いているのだろう。おかずも色鮮やかで、卵焼き一つとっても、小さく切ったハムやチーズ、海苔なんかを器用に使って、可愛らしいクマの顔を再現している。


 元々料理好きの母親なのだ。


 それこそ昔は今みたいに凝った弁当を作っていた。


 だがある時、九朗が弁当のせいで喧嘩したと知ってから派手な弁当は作らなくなった。


 クラスのいじめっ子に、オタクの癖に生意気だとか因縁をつけられ、弁当に唾を吐きかけられたのだ。


 その時は流石の九朗も頭に来て手が出てしまった。


 自分の事を悪く言われるのは我慢できる。


 だが、母親の弁当を粗末に扱われたら話は別だ。


 結局殴り合いの喧嘩になり、不利になった相手が応援を呼んだせいで、何人も鼻血を出すような大騒ぎとなってしまった。


 しかも相手は結託して嘘をつき、九朗が悪いかのように見せかけた。


 教師はろくに話も聞かず、またお前かと九朗を叱った。


 親だって呼ばれた。


 両親は『そんなわけない! うちの子は理由もなく手を出したりなんか絶対にしない!』と信じてくれたが、モンペ扱いされて終わりである。


 だから、母親の気持ちは嬉しいが、弁当を褒められても手放しには喜べなかった。


 またあの時のように自分のせいで親に嫌な思いをさせるのではと不安になってしまう。


 勿論、その時明星に話しかけたのはそれだけが理由ではなかったのだが。


「……なんと言うか、髪を切る前よりも状況が悪くなっているような気がするんだが……」


 というか、確実に悪くなっている。


 これでは完全に見世物だ。


 別に明星を責める気はないが、どういうつもりなのかというのは気になる所だ。


 明星を信じたい気持ちはあるのだが、対人関係で酷い目ばかり見てきたので、どうしても騙されているのでは? という不安が芽生えてしまう。


「ん~。まぁ最初はね。オタク君には悪いけど、色々嫌な目にも遭うと思う……。後だしでこんな事言うの卑怯かもしんないけど……。っていうか、卑怯だよねぇ……。ごめん……」


 明星の笑顔が急に曇り、どんよりと落ち込む。


「い、いや……。勘違いしないでくれ。別に日野さんを責めてるわけじゃないんだ。……ただ、不安と言うか……」

「分かるよ! ……って言って良いのか分かんないけど。そこはもち! あ~しが勝手に始めた事だし、最後まで責任取るから! オタク君は心配しないで!」


 手の中の箸をへし折りそうな勢いで明星が意気込む。


「……いや、別にそういう心配をしていたわけじゃないんだが……」

「へ? じゃあなにが不安なわけ?」

「………………いや、その」


 明星の気持ちを知った後では言いづらい。


「ちょっと! 勘弁してよ! そこで黙られたら逆にこっちが不安になるじゃん!?」


 まぁ、その通りである。


「ご、ごめん……」


 謝って、九朗は本音を吐露した。


「……その、怒らないで欲しいんだけど。……日野さんに騙されてるんじゃないかと思って……」

「はぁ!? それ、マジで言ってんの!?」


 信じらんない! そんな顔で明星が呆れかえる。


「悪かったよ! そういう性格なんだ! その……。今まで散々嫌な連中に騙されてきたから……。どうしても疑っちゃうんだ……」

「………………」


 明星は怒り混じりのジト目で黙り込み。


「もう! そんな事言われたら怒れないじゃん!」

「……いや。ここまでして疑われたんだ。日野さんには怒る権利があると思う……」

「そうだけど! ここでオタク君の事怒っちゃったらあ~しが悪者だし!」

「そんな事ないだろ……」

「あ~し裁判ではそうなるの!」

「むぅ……」


 よく分からないが、反論する余地はないらしい。


「まぁ、ともかく。オタク君がどういう人かはなんとなく分かったから。オタク君もあ~しの事もうちょっとわかってよね? あ~しはオタク君の事裏切ったりしないし騙したりもしないから! だから一緒に頑張ろ! 別にオタク君が悪いとは言わないけど、っていうか全然悪くないんだけど、ムカつく事に周りは全然そんな風には思ってないじゃん? そんでいきなりイケメンになっちゃったし、色々風当たりは強くなっちゃうと思うんだけど。ともかくそこは乗り越えて、本当は超イイ人なんだって事分からせていこう!」

「お、おぅ……」


 真っすぐ見つめて拳を握られたら頷くしかない。


 九朗としては、俺なんかの為にそこまでしなくても、とか。


 日野さんがそこまでする事ないだろ、とか。


 俺みたいな陰キャいオタクが人に好かれるなんて無理に決まってる……。


 と思ってしまうのだが。


 そんな気持ちが顔に出たのか、明星がジトっと見つめて来る。


「オタク君さぁ? もうちょっとやる気出してよ! オタク君の事なんだよ?」

「そ、そんな事言われても……」

「なに? じゃあオタク君はこのままでいいと思ってるの? 良い人なのに誤解されて、根も葉もない嘘垂れ流されて、ボッチだ陰キャだとかバカにされて!」

「えーと……」


 九朗は困った。


 勿論それでいいかと言われたらそんな訳はないのだが。


 昔からずっとそうなのでそういう物だと諦めてしまっている。


 それが当たり前で、それ以外の自分というものがイメージすら出来ない。


「はいダメー! 即答できない時点で終わってるから! オタク君はもっと自分の事好きになって! 手助けは出来るけど、最終的にオタク君を救うのはオタク君自身なんだよ!」

「……あ、あぁ」


 これだけ言われてもやはりピンと来ない九朗である。


 明星は疲れたような溜息を吐き。


「まぁ、いきなりそんな事言われてもってとこもあるか。とりま、あ~しはちゃんとオタク君の事考えてるから、焦らず気長にがんばりましょ~ってとこで」


 取り合えず話が終わったようで九朗もホッとした。


 同時に、明星の善意に報いる事が出来ない自分を不甲斐なく思う。


 親以外の人間にこれ程優しくされるのは初めてだ。


 正直、どう受け止めていいのか分からない。


 そんな風に思っていると。


「ケッ! オタク野郎が調子に乗んなよ!」


 机を蹴りつけ、トップカーストのチャラい男子が毒づいた。

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